私は純文学にはあまり縁が無いのでたくさんは読んでいません、というか、そもそも「純文学の定義」を知りません。ただ、芥川賞が純文学を対象にしていることくらいは知っています。だから芥川賞受賞作をたまに読んで「ふ〜ん、こんなのが純文学なのか」という感想を持つ程度。
ところで、芥川龍之介の作品で現在の「芥川賞」を授賞できそうなものって、どれなんでしょう?
【ただいま読書中】『性器の進化論 ──生殖器が語る愛のかたち』榎本知郎 著、 化学同人、2010年、1500円(税別)
「愛」を科学で取り扱うのは無理です。だって「化学分析のために愛を抽出する」なんてことはできませんから。ただ、「理解を進める」ことは科学にも可能そうですし、そのための手段として「歴史」に注目するのは有効そうです。ヒトが進化する過程で、生殖器・性生理・性行動・性交渉・雄と雌の関係性などは複合体として進化してきました。その中で具体的に扱える「生殖器」「性生理」「性行動」の進化は、近縁の動物と比較分析することが可能です。そこで著者は「生殖器の進化」を切り口としてそれと密接に関係する要素を総合的に考察することで、ヒトの性さらに愛について理解するヒントを得ようとした、のだそうです。
精巣の大きさは、ヒトは中途半端だそうです。精子競争(一頭の雄の精液の中での精子同士の競争、複数の雄の間での精子同士の競争)や乱交をするのだったらチンパンジーのように大きな精巣が必要ですし、貞節重視ならゴリラのように小さなもので十分なのですが、ヒトはその中間。
卵子は精子にとって“意地悪”です。どこにいるのかを知らせてくれませんし、卵子の周囲のバリアー(放線冠や透明体)を精子が突破するためには最低150個の精子が酵素を放出する必要があります。だから男は確率的に1億個の精子を射精する必要があります。
陰茎も、猿の中でヒトはずいぶん大きなものを持っています。しかし、その目的は? ディスプレイだとしたら、どの文化でも陰茎を隠すのは不思議です。
比較解剖学や進化の立場からは、ヒト(の特に雄)の性器はずいぶん中途半端なもののように見えます。しかし、その中途半端さこそが、ヒトの強みだったのかもしれません。中途半端だったら、どんな状況にもとりあえずの対応ができそうですから。そして、セックスに「愛」が強く作用する点もまた、なにか進化論的に他の動物に比べて有利な点があったのではないか、と想像できます。
ただ、「愛のあるセックス」集団と「愛のないセックス集団」で進化論的に何か有意の差が生まれるか、なんて実験はできませんから、本当のところはわからないんですけどね。