かつて日本には「沢村栄治」「暁の超特急」「友情のメダル」「フジヤマのトビウオ」など、世界のトップレベルと互角に勝負できるスポーツ選手がいました。問題は、その“後継者”が現れなかったことで、これは「個人(天才)」の登場に頼っていて、システムで選手を育て支えるという発想が昔の日本になかったためではないか、と私は想像しています。
それだと、その「天才」がこけたらそこですべてが断絶するわけですから、せっかくの天才を“無駄遣い”するだけなんですよねえ。もったいないことです。
【ただいま読書中】『なぜ日本の女子レスリングは強くなったのか ──吉田沙保里と伊調馨』布施鋼治 著、 双葉社、2017年、1500円(税別)
かつて「スポーツは男性のもの」でした。1896年第一回近代オリンピックも男性オンリーでした。しかし女性スポーツは19世紀終わりには上流階級で始まっていて、第二回オリンピックから女性が(テニスとゴルフだけですが)選手として参加するようになりました。「陸上の長距離は男性のもの」とか「格闘技は男性のもの」も長くオリンピックの“伝統”として受け継がれました。しかし、1980年代にフランスなどで女子レスリングが盛んになり始めます。それを視察した日本レスリング連盟の福田富昭は「日本でも女子レスリングを」と主張、まわりの反対を半ば強引に押し切ってしまいます。女子レスリングの“パイオニア”となった(させられた)のは、女子柔道のパイオニアであった大島和子。「女子格闘技」への無理解と好奇の目の中、大島は外国人選手に負け続け、そして裏方に回ります。「女子プロレスのオマケ」「マイナー競技」の段階を経て、世界選手権での金メダリストが生まれるようになり、そしてついに正式採用された2004年のアテネオリンピック、女子レスリングで日本は6階級すべてでメダルを獲得しました。おっと、その前に、1987年に13歳で日本選手権に優勝した山本美優や93年にデビューした浜口京子により、マスコミが女子レスリングに注目するようになったことを忘れてはいけません。
そして「新しい世代」吉田沙保里と伊調馨が登場します。しかしこの二人、まったくタイプが違っています。性格や生き方、戦いのスタイルが極めて対照的なのです(たとえば吉田沙保里は高速タックルが“代名詞”ですが伊調馨は組み手が特徴的です)。そしてその二人を高校・大学で育てた中京女子大(現在の至学館)の監督栄和人もすごいと思います。まったく異なる選手それぞれに対応できる(そして世界チャンピオンに育てる)レシピを持っているわけですから。そして、2016年のリオデジャネイロオリンピック、女子レスリングの日本代表は全員至学館のOGか在校生で占められていました。
本書では、まるでリレーのように、様々な人が女子レスリングについて語ってくれます。話は必ずしも時系列にはなっていませんが、様々な視点からの「女子レスリングへの思い」を味わうことで読者は「女子レスリング」そのものを多角的に味わうことができます。次回の東京オリンピックではこれまでとはちょっと違った観戦が私にはできるかもしれません。