水で人を殺せるでしょうか? 殺せるとしたらその「致死量」は?
たぶん何トンもの水をまとめて頭の上に落とせば圧死すると思うのですが、ではそれより少ない量ではどうでしょう。浴槽一杯分(数十リットル?)の水で溺れ死ぬことは可能です。数リットルの水でも強制的に肺に送り込んだら溺れ死にをしそうですね。ではもっと少ない量では? 氷のナイフ(つららの先端部だけ、みたいなもの)を作って刺すのだったら数十グラムでも「水で人を殺す」ことが可能そうです。氷の弾丸だったら数グラムでしょうが、これは銃を発射した瞬間に熱で蒸発するでしょう。
ということで、人に対する水の致死量は数十グラム、のようです。実験をして確認をするわけにはいきませんが。
【ただいま読書中】『世にも奇妙な人体実験の歴史』トレヴァー・ノートン 著、 赤根洋子 訳、 文藝春秋、2012年、1800円(税別)
「人体実験」と言うと悪い印象の言葉ですが、本書では「自分の体で人体実験をした科学者たち」が扱われています。この手の本で以前に『自分の体で実験したい ──命がけの科学者列伝』(レスリー・デンディ、メル・ボーリング)を読んだことがありますが、いくつかネタがかぶっています。
まずはジョン・ハンター。「実験によって事実を確認する」という18世紀としては先駆的な思想に基づいて医学を進歩させた外科医です(ジェンナーの師匠でもあります)。当時「淋病」と「梅毒」は区別がついていませんでした。ハンターは「局所に感染した淋病が、のちに全身に広がる梅毒になる」と仮説を立て、それを実証するために自分のペニスに傷をつけてそこに淋病患者の膿を擦り込みました。問題は、その淋病患者が同時に梅毒にも罹患していたことでした。一見間抜けに見えますが、他人で人体実験をしない心意気は買うべきでしょう。この章では「科学」の名の下に他人で人体実験をしていた20世紀の医者も比較対象として登場しています。
初期の麻酔薬に出会った医者は、次々その中毒患者になってしまいます。新しいガスを見つけたらまず自分で吸って効果を試し、それで気持ちよくなったらついつい何回も吸ってみたくなりますから。
野生動物を次々食べた人も登場します。動物園から「死んだ動物の死因を特定して欲しい」と頼まれて、その「仕事」に従事しつつ「食欲」も満足させているのです。これって「公私混同」では?
しかし、本書に登場する医者はすごい人ばかりです。患者の膿を自分に注射したり(病気が感染症かどうかを調べるため)、血液疾患の患者の血液を自分に注射したり(病気の原因を特定するため)、自己実験が科学の役に立つとはいえ、それは自己実験と言うよりも自己犠牲でしかない、と言いたくなる実験が次から次へと。心臓カテーテル検査が、1人の勇敢な医師の自己実験によって開発された、は有名な話ですが、そのフォルスマン医師がドイツ医学界では“アウトサイダー”だったため国内では徹底的に無視をされた、というのは知りませんでした。彼の名前がドイツの教科書に載るようになったのはノーベル賞を獲ってからなんですから、ドイツの権威主義は徹底しています。
深海や成層圏への挑戦も、一番最初は「人体実験」でした。だって、他にやり方がないんですもの。科学の世界にも「冒険」という分野があったことが、本書ではよくわかります。私にはとてもそんな人体実験に挑戦する勇気はありませんけれど、それらの結果を今享受している身としては、軽く笑うわけにもいきません。ありがたやありがたや。