テレビなどで「癒やされる〜」が頻出していますが、ものや人や言葉によってただ「癒やされる」ことを求める態度は、非常に受動的で「自分は何もしない。さあ、癒やしてくれ」と言っているだけに見えることがあります。時に病的な雰囲気を感じることも。もうちょっと能動的に動いてその結果(自分だけが癒やされるのではなくて)自分もまわりも「癒やされる」方が健康的なんじゃないかな。
【ただいま読書中】『注文を間違える料理店』小国士朗 著、 あさ出版、2017年、1400円(税別)
「テレビ番組を作らないディレクター」が取材に行ったグループホームで見かけた光景に心を動かされ、「注文を間違える料理店」を発想しました。認知症の老人がホール係として働くレストランです。そこでは注文したのと違う料理が出てくるかもしれません。それは「不謹慎だけど、面白い」。
実際にオープンしてみると、「間違い」は続出します。料理は3種類に限定し、テーブルにはでかでかと番号を掲示し、注文伝票はお客が自分で記入して渡しても、料理を隣のテーブルに運んだり、水やサラダを2回持ってきたり、ピアノ演奏が始まるとホール係も椅子に座り込んで聞き惚れたり……だけど、働く人もお客も、そして裏方で働く人たちも、「暖かさ」を感じ続けることができる空間が成立しました。そして、全員の人生がほんの少し変わります。
「間違えること」はこの料理店の目的ではありません。そもそも「間違える」は、間違えた人には苦痛です(これは認知症の人でも同じことです)。それでも忘れてしまう間違えてしまう。だけど、適切なサポートをすれば認知症の人は自信を持って働くことができる。そして、お客が喜ぶサービスの提供ができる。お客としてやって来た対人恐怖気味の知的障害の人も騒ぐ小さな子供たちもにこにこしながら過ごせる、そんな素敵な空間ができあがるのです。
「コスト」から「価値」への転換、と著者は印象深い言葉を述べています。たしかに私たちは経済原理によって様々なものを、人さえも「コスト」として計算してしまっています。だけど「人」は「価値」のはず。そういった単純なしかし重要な主張(とその主張の根拠)が本書には詰まっています。現実離れした思い込みの強い主張やお涙ちょうだいが詰まった本ではありません。
読んでいて、心がほっこりして、でも泣けるという、不思議な本です。「認知症」ということばを知っているつもりの(だけど実際に深くつきあったことはない)人は、こういった本を“入門書"にして一歩“現場"に踏み込んでみたらいかがでしょう。本当に“癒やされる"かもしれませんよ。読んだ後、どんな行動をするか、によりますが。