私は小学校の理科で「活火山」「休火山」「死火山」の区分を習いましたが、現在はこの分類は使われていないそうです。2014年に突然噴火して多数の死者が出た御嶽山は1979年の噴火までは「死火山」だったそうで、火山を分類する行為自体に意味がないのかもしれません。そもそも「活火山」とわかっていても、先月の草津白根山のように「想定外の所」から噴火する場合もありますし。「危険な自然」については「“ラベル"を貼って安心する」という態度は採用しない方が良いんじゃないかな。
【ただいま読書中】『火山と原発 ──最悪のシナリオを考える』古儀君男 著、 岩波書店、2015年、520円(税別)
2002年に出版された『死都日本』(石黒輝)は、超巨大噴火(破局噴火)によって日本が壊滅状態になる過程をリアルに描き、驚いた火山学者たちは翌年「火山小説『死都日本』シンポジウム」を開催、2005年に日本地質学会は異例の表彰をこの小説に対して行っています。
「超巨大噴火」とはどのくらいの大きさなんでしょう? 1991年の雲仙普賢岳の火砕流は、超巨大噴火の0.2%にも満たない「小規模火砕流(噴火)」だそうです。20世紀最大の噴火と言われたピナツボ火山も10%程度の「巨大噴火」。超巨大噴火や破局噴火では大きなカルデラができますが、日本の歴史では、過去12万年に超巨大噴火は9回、破局噴火を含めると17回のどでかい噴火が起きていることになります(計算上は「7000年に1回」となります)。最新のものは、7300年前の南九州・鬼界カルデラでの超巨大噴火ですが、これによって九州の縄文文化は壊滅しました。上空3万mまで上昇した噴煙柱は空気の密度が下がると上昇できなくなって崩れ、周辺に大規模火砕流となって広がりました。火砕流は海と陸の上を100km以上走り、同時に上からは大量の火山灰が降り注ぎました。降下火山灰の地層は九州南部で50〜100cm、関東でも数cm。さらに「火山の冬」も加わり、九州は900年間森が再生せず不毛の地となっていたと推定されています。
7万4000年前にスマトラ島の北部で起きた「トバ湖」の超巨大噴火は、人類史上最大のもので、ホモ・サピエンスも絶滅の危機を迎えました。現在の人の遺伝子が多様性を欠きかなり均質なのは、7万4000〜7万5000年前に、数百万の人口が3000〜1万に激減した、とすると上手く説明できるそうです(生き延びた人たちは「衣服」を発明して「火山の冬」をしのいだのではないか、という説もあるそうです)。
川内原発がある地には、かつて、加久藤・姶良・阿多の3つのカルデラから噴出した火砕流が到達した“過去"があります(ついでですが「姶良カルデラ」というものはありません。姶良市の東、錦江湾がそのカルデラで、桜島は姶良カルデラの外輪山の一部です)。しかし規制委員会火山検討チームでは「超巨大噴火の可能性は小さい」を出発点として議論を始めました。そして、たとえ噴火するとしても予知すれば原発の緊急停止には間に合う、としました。
なんだか、地震や津波について以前誰かが熱心に主張していたことの引き写しのような感じがします。
ちなみに火砕流が原発を襲ったら、操作員は全滅です。もちろん外部電源は全喪失。さて、何が起きるでしょう?
そんな剣呑な火砕流ではなくて火山灰だけが原発を襲ったとしましょう。この場合には、古い建物は倒壊し、道路は寸断され、雨が降ったら泥流が発生し、各地で漏電が起きて大規模停電が起きます。火力発電所のフィルターは目詰まりし、あるいはフィルターをくぐり抜けた火山灰でタービンは故障します。大気中を浮遊する火山灰は静電気を帯びているため通信障害が発生します。室内に侵入した火山灰は精密電子機器に悪影響を与えます(コンピューターなどはショートして使い物にならないはず)。原発の取水口には大量の火山灰が混じった海水が押し寄せます。
それに対して九州電力は「外部電源が喪失しても非常用のディーゼル発電機があるから大丈夫。備蓄燃料がなくなっても、道路はすぐに復旧するから大丈夫」としています。
しかし本書では、九電とは違って、「最悪のシナリオ」を描いて見せます。メルトダウンです。
もしも超巨大噴火が起きても、自然はいつかは再生します。しかし、原発がメルトダウンしたら、自然の再生も日本人の再生も困難になります。さて、どうしたものでしょう?