第二次世界大戦の記録を読んでいると、たとえばドイツ軍の地下壕で「本物のコーヒーが飲めた」なんて嬉しそうに語る人がいます。普段は「偽物のコーヒー」を飲んでいたから言えるセリフですが、さて、その原材料は何だったんでしょうねえ。そういえば当時のイギリスでは代用コーヒーとしてタンポポの根っこを炒ったものが使われた、なんてことも聞きました。実はこれは現代日本でも入手可能です。「健康食品」とラベルを貼って何か効能を謳ったら、意外に売れるかもしれません。一度飲んだことがありますが、それほど不味い代物ではありませんでしたから。
【ただいま読書中】『アウシュビッツのコーヒー ──コーヒーが映す総力戦の世界』臼井隆一郎 著、 石風社、2016年、2500円(税別)
コーヒーについて論じようとしたら、どうしてもイスラムについて論じる必要があります。そこで著者はそうします。そして話を「ドイツとコーヒーの関り」に持っていきます。
アラブでもイギリスでもフランスでも、コーヒーハウスは男が集まって政治談義をする場所でした。ところがドイツでは男はビール酒場で政治談義をしていて、女性が家庭でコーヒーを飲みながらお喋りをする習慣が定着しました。他のヨーロッパ諸国の都市と比較して少数しか存在しなかったドイツのコーヒー・カフェはやがて音楽会場になっていきます。そこに(「コーヒー・カンタータ」を作曲した)バッハが一役買っています。「コーヒー・カンタータ」の冒頭が「どうか静粛に。おしゃべりはやめて」なのは、ざわざわしたカフェで「さあ、音楽が始まるぞ」と“宣言"しているのだ、と著者は考えています。しかし、コーヒーを輸入したら金貨が出ていきます。フリードリヒ大王はコーヒーに対する抑圧政策を採りました。ます贅沢税。しかしこれは密輸を“奨励"してしまいました。密輸取り締まりは、9箇国と国境を接する国には無理です。そこで香りを頼りにコーヒーそのものの取り締まり。そこで「代用コーヒー」が様々開発されることになりました。チコリ、麦芽、大麦、ライ麦、サトウキビ、イチジク、南京豆、大豆、ドングリ、海藻、キク芋、ダリヤの球根、タンポポの根、トチの実、アスパラガスの茎……まだまだキリがありません。少しでも苦みや色が似ていたら、何でも「コーヒー」の材料にしています。
ナポレオンによって近代ヨーロッパが始まりました。ポルトガル王家は一時ブラジルに避難していましたが、やがて帰還。とり残されたポルトガル人たちはブラジル独立運動を起こします。軍事力に劣る「ブラジル」はヨーロッパからの干渉を避けるために、主にドイツから(移住者に偽装した)傭兵を多数導入しました。奴隷制の評判が悪くなって黒人労働力が不足していたこともあります。ドイツ側も、土地がなくて困っている人が多かったので、両者にメリットのある取り引きだったようです。19世紀に10万人以上のドイツ移民がブラジルに渡りました。
なるほど、のちにナチスの残党が妙にブラジルを目指すと思ったら、こんな「緣」があったんですね。
植民地獲得競争に出遅れたドイツは、幕末の内戦状態の日本の蝦夷地にも目をつけていたそうです。どさくさ紛れに多数の入植者を送り込んでしまえ、と。日本にとっては幸いなことにこの建議にビスマルクは反応しなかったそうですが。東アフリカにはザンジバルという「無主の土地」があることにドイツは目をつけます。イギリスとロシアの「グレートゲーム」のバランスをにらみつつ、ビスマルクは「ドイツ帝国」をそろりと出発させます。その一つが「3B政策(ベルリン・ビザンティン・バグダッドを鉄道で結ぶ)」です。
「総力戦」はルーデンドルフが1935年に出版した冊子のタイトルです。ルーデンドルフが総力戦の古典的モデルとしたのは「日露戦争」で、彼にとって「挙国一致」で戦争に邁進する日本は「総力戦体制の理想モデル」でした。ヴィルヘルム二世は、世界各地でイスラムを植民地としている欧州列強に対して「自分はイスラムの味方だ」ときわどい宣言をします。ヨーロッパで戦争になったとき、(繰り返された「グレート・ゲーム」の最大の被害者である)オスマントルコ帝国を味方につけるための世界戦略です(これが後の反ユダヤに直結します)。しかしルーマニアがトルコからの独立を狙ってドイツに宣戦布告することで“計算"が狂い、さらにロシア革命からヨーロッパ各地に「革命」の火花が飛び散って、第一次世界大戦は終わってしまいます。しかし「総力戦体制」は終わらず、ずっと維持されたままでした。著者は「第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に、ドイツでは平和なワイマール共和国があった」という考え方を否定します。「植民地で培われた“合理的な思考"(たとえ劣等民族でも殺さずに役立てる方法がある)」「基幹産業の体制」などはきちんと保存されていた、と著者は考えるからです。そして「戦争をする」と固く決心をしているヒトラーの下、ドイツは希望に燃えながら戦争準備を着々と行います。「新しい植民地」を求めてドイツではブラジルへの大量移民計画が立案されます。その競合相手が日本でした。日本人も多数がブラジルの新天地を目指していたのです。しかしブラジルは世界大恐慌の中、「コーヒーへの依存」から脱却しようともがいている時期でした。やっと話がコーヒーに戻りました。
そして「アウシュビッツのコーヒー」。ほとんどカフェのように見える死体製造工場。残酷を絵に描いたようなアウシュビッツに添えられた「コーヒー」がその残酷さをさらに際立たせます。そして本の焦点はそのまま極東へ。「総力戦」と「コーヒー」という異質なもののオーバーラップが不思議な“香り"を残したまま本書は終わります。コーヒーって、歴史も香っているものだったんですね。