「あの娘の笑顔は素敵だ」と「あの娘は自分にだけ素敵な笑顔で笑いかけてくれる」との間には、大きな違いがあります。その違いに気づかなくなることが、ストーカーへの第一歩かもしれません。
【ただいま読書中】『バンヴァードの阿房宮 ──世界を変えなかった十三人』ポール・コリンズ 著、 山田和子 訳、 白水社、2014年、3600円(税別)
19世紀前半のアメリカでは「フロンティア」はまだミシシッピー川でした。そこを2年かけて旅をして得たスケッチを元に「パノラマ」を制作したのがジョン・バンヴァードでした。「パノラマ」は劇場で、巨大な絵巻物のようにでっかくて長いキャンバス地に連続的に絵を描きそれを手回しクランクで少しずつ流すことで「動画」を観客に楽しんでもらう、という当時の興行です。バンヴァードは数百メートルもの長さの「ミシシッピ・パノラマ」で上流から河口まで(あるいはその逆向きの)観客に仮想的な旅を経験させることで大当たり。ヨーロッパにも進出して「億万長者の画家」という、それまでに世界に存在しなかった立場になりました。このままだと「成功者」として世界に君臨できたかもしれません。しかし運命は残酷で、バンヴァードは最後には貧窮して淋しく死んでいきました。
本書では「世界を変えなかった(本当は成功できたのにできなかった)」人たちが十三人取り上げられています。著者の視線は温かく、「忘れられた人(事物)」についてそんなに簡単に忘れて良いのか?と読者に問いかけています。
たとえば、18世紀末に「シェークスピアの未発表戯曲」を贋作してしまったウィリアム・ヘンリー・アイアランドについては、その動機が納得できるものであることを示すと同時に、その「戯曲」が実はけっこう良いものであったこと(「シェークスピアのもの」と言うから「贋作だ」と世間には否定されてしまったが、戯曲単体で見たら秀作であること)も指摘しています。また「贋作を受け入れる(実は待望していた)」社会の側の問題点も指摘することを著者は忘れません。「シェークスピアの贋作」は、ウィリアムの“単独犯”ではなくて“共犯者”が多くいたのです。
地球空洞説(ジョン・クリーヴズ・シムズ)、N線(ルネ・ブロンコ)、ニューヨーク空圧地下鉄道(アルフレッド・イーライ・ビーチ)などなど、一時は世間を熱狂させ、そして最後にはペテン師扱いされてしまった人びとが次々登場します。現在の社会にもこういった「変わったアイデアで世間を熱狂させている人びと」が多くいますが、その大部分は100年後にはペテン師扱いされているかあるいは単に忘れ去られていることでしょう。できたら100年後まで長生きをしてことの推移を見守りたいものです。もっとも100年後にはまた別の「世界を変えなかった人びと」が大活躍しているのかもしれませんが。
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