20世紀には電車やバスに乗ると窓の外を食い入るように見つめている子供がよくいましたが(私自身がそうでした)、最近はどうです? 「風景が流れる」なんて今の子供たちには珍しいことではないかな?
【ただいま読書中】『鉄道少年たちの時代 ──想像力の社会史』辻泉 著、 勁草書房、2018年、4200円(税別)
俗に「鉄」と呼ばれる鉄道ファンは、男性に偏っていることが特徴の一つです。著者は「鉄道とはメディア(情報の運び手であるだけではなくて、地平線の向こうに想像力を到達させる『想像力のメディア』)である」を出発点とし、さらに「少年文化」を「現役の少年のもの」だけではなくて「かつて少年だった人たちのもの」でもある、という視点から「少年」の年代ごとに「文化」が異なっていることを分析し(軍国少年と高度成長期の少年とでは明らかに「文化」が違います)、その延長線上に鉄道以外の他の文化(たとえば「オタク文化」)も置いてしまおうとしているようです。
著者は、鉄道雑誌を広く集めて分析し、さらに広範な年齢層の鉄道ファンに聞き取り調査をしています。面白いのは、高齢者のファンでは「ファンで悪かったこと」が「なし」が圧倒的なのに、若年層のファンでは「差別される」などを「ファンで悪かったこと」を上げる人が多いこと。この対比は「時代の差」なのかもしれません。かつては「鉄道ファン」は「ポジティブな存在」だったのが、現在は「オタク扱い」なのでしょう。それは「オタクに対する反感」もあるのでしょうが、同時に「日本における鉄道の地位の凋落」も示しているのかもしれません。
著者は「鉄道のイメージ」と「少年文化」の歴史的変遷を「汽車の時代/軍国少年」「電車の時代/戦後日本」「ポスト電車/高度情報消費社会」「ポスト鉄道/現在の少年たちの妄想」に四分します。
私自身は、汽車も知っているし、現在の「迫害されるオタク」も知っているので、どれも個別にはそれほど驚きませんが、「日本社会」がこんなに変化していたこと、には驚いてしまいます。人の一生分(+α)という短いスパンでも、ここまでの変化が生じるものなんですね。
「鉄道」は現在「車や飛行機」に対抗するためでしょうか、リニアなどであがいているように見えます。だけど
地方では廃線が続々の状況で、これで鉄道に未来があるのだろうか、と私は疑問を持っています。私自身は「鉄」ではありませんが、それでも鉄道にはお世話になって育ったし鉄道が好きなので、できたらまだまだ“現役"で頑張っていてもらいたいんですよね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます