迷って迷ってなかなか決心がつかない状態は、「決心をしたくて迷っている」場合と「決心をしたくないから迷っている」場合があります。
前者だったら、いろいろの考察や比較を加えてそれでも条件がほぼ同等のために迷ってしまう、あるいは片方にしたら大きな損害が出るためにそれをどう救うかの手だても同時に考えているから決断に時間がかかります。しかし後者の場合は、実は何も考えていません。ただぐずぐずと時間を空費しているだけです。
【ただいま読書中】
『世論調査と政治 ──数字はどこまで信用できるのか』吉田貴文 著、 講談社+α新書、2008年、895円(税別)
2008年8月2日福田内閣改造直後と、同年9月26日麻生内閣発足直後の世論調査がまず載っています。
8月2日 9月26日
朝日(支持/不支持) 24/55 48/36
讀賣(支持/不支持) 41.3/47 49.5/33.4
毎日(支持/不支持/関心がない) 25/52/21 45/26/27
……「一体何を信じたらいいんだ?」と言いたくなりますね。
2005年度に日本で行われた大規模(サンプル数500以上)世論調査はなんと1218回、そのうちマスメディアによるものは128回でした。定例調査だけではなくて、なにか「事件」があれば緊急で各メディアが世論調査を行う、がすっかり常態化しているのです。
調査の手法は、面接・郵送・RDD(電話調査)・インターネットに大別され、それぞれに長所短所、テーマに対する向き不向きがあります。では、世論調査のテーマとしてふさわしいものは?(実はこれは「世論とは何か」に通じる話でもあります) 著者が朝日新聞の世論調査センターにいたときには「世間の関心が高く、冷静に回答できるもの」を基準としていたそうです。問題文も、正確にしようとして長くなりすぎると説明だらけで回答者の負担が増します。さらに説明文の組み立て方で、同じことを言っても肯定的な印象を与えたり否定的な印象を与えたりの「操作」が可能となります。選択肢をどう設定するかも重要です。
そう言えば、三択とか五択だと回答が真ん中に集まりがちなので、わざと二択や四択にする、というテクニックを聞いたことがあります。どうしてもどちらかに決めさせるわけ。
質問文の順序も重要です。キャリーオーバーエフェクトという、前の質問が後ろに影響を与える現象があります。これを上手く使うと「誘導」ができます。
調査の正確性を保証する一つの要素が回収率(回答率)ですが、面接法では1980年代には80%以上あった回収率がどんどん低下し、2006年には60%を切ってしまいました。国勢調査でさえ嫌がる人が増えたご時世です、調査が嫌われる社会になった、ということなのでしょうか。RDDの場合はコンピューターが発生させた電話番号にかけていますが、これにも対象が固定電話だけで携帯電話が除外されている、という問題があります。しかし、電話をかけた先が暴力団事務所で、機嫌を損ねてしまい脅しを交えて謝罪を要求された、なんて、大変な仕事ですねえ。
面接調査で大問題は「メーキング(偽装)」です。調査員が調査したふりをして勝手に調査票に記入すること。これをどうやって見破るか、は本書では秘密にされています。どうやるんだろ? 著者は「世論調査は批判的に見て欲しい」と言います。「完全に正しいもの」ではない、ということはたしかによくわかりました。しかし、その「危うさ」をちゃんと心得た上での判断材料にするのだったら、これはなかなか面白いものだ、ということでしょう。
小泉内閣が世論(内閣支持率)を非常に気にしていたどころか、それを政策や行動(電撃訪朝など)やメディアリテラシーによって積極的に操作しようとしていたこととか、総裁候補が世論で決められたとか、なかなか生臭い話も登場します。業界団体などの支持基盤が弱体化した自民党は、無党派層を取り込むためには「内閣支持率」を有効なツールとして使おうとしています(それに成功したのが小泉さん)。すると、麻生さんが「次の選挙」のためにどのような行動をするかもまた「世論を“誘惑”するため」の行動、として見たらわかりやすいのかもしれません。なんだか「視聴率低下でドラマの中止が決定される」のと似ているような気もするのですが。
そもそも「世論」って何なんでしょう。「支持政党」と「投票する党」とが平気で食い違う「民意」を一体どう把握したらいいのか、これはなかなか難題です。日本で世論調査がもしアテにならないのだとしたら、それはきっと世論調査機関だけの責任ではないような気がします。
前者だったら、いろいろの考察や比較を加えてそれでも条件がほぼ同等のために迷ってしまう、あるいは片方にしたら大きな損害が出るためにそれをどう救うかの手だても同時に考えているから決断に時間がかかります。しかし後者の場合は、実は何も考えていません。ただぐずぐずと時間を空費しているだけです。
【ただいま読書中】
『世論調査と政治 ──数字はどこまで信用できるのか』吉田貴文 著、 講談社+α新書、2008年、895円(税別)
2008年8月2日福田内閣改造直後と、同年9月26日麻生内閣発足直後の世論調査がまず載っています。
8月2日 9月26日
朝日(支持/不支持) 24/55 48/36
讀賣(支持/不支持) 41.3/47 49.5/33.4
毎日(支持/不支持/関心がない) 25/52/21 45/26/27
……「一体何を信じたらいいんだ?」と言いたくなりますね。
2005年度に日本で行われた大規模(サンプル数500以上)世論調査はなんと1218回、そのうちマスメディアによるものは128回でした。定例調査だけではなくて、なにか「事件」があれば緊急で各メディアが世論調査を行う、がすっかり常態化しているのです。
調査の手法は、面接・郵送・RDD(電話調査)・インターネットに大別され、それぞれに長所短所、テーマに対する向き不向きがあります。では、世論調査のテーマとしてふさわしいものは?(実はこれは「世論とは何か」に通じる話でもあります) 著者が朝日新聞の世論調査センターにいたときには「世間の関心が高く、冷静に回答できるもの」を基準としていたそうです。問題文も、正確にしようとして長くなりすぎると説明だらけで回答者の負担が増します。さらに説明文の組み立て方で、同じことを言っても肯定的な印象を与えたり否定的な印象を与えたりの「操作」が可能となります。選択肢をどう設定するかも重要です。
そう言えば、三択とか五択だと回答が真ん中に集まりがちなので、わざと二択や四択にする、というテクニックを聞いたことがあります。どうしてもどちらかに決めさせるわけ。
質問文の順序も重要です。キャリーオーバーエフェクトという、前の質問が後ろに影響を与える現象があります。これを上手く使うと「誘導」ができます。
調査の正確性を保証する一つの要素が回収率(回答率)ですが、面接法では1980年代には80%以上あった回収率がどんどん低下し、2006年には60%を切ってしまいました。国勢調査でさえ嫌がる人が増えたご時世です、調査が嫌われる社会になった、ということなのでしょうか。RDDの場合はコンピューターが発生させた電話番号にかけていますが、これにも対象が固定電話だけで携帯電話が除外されている、という問題があります。しかし、電話をかけた先が暴力団事務所で、機嫌を損ねてしまい脅しを交えて謝罪を要求された、なんて、大変な仕事ですねえ。
面接調査で大問題は「メーキング(偽装)」です。調査員が調査したふりをして勝手に調査票に記入すること。これをどうやって見破るか、は本書では秘密にされています。どうやるんだろ? 著者は「世論調査は批判的に見て欲しい」と言います。「完全に正しいもの」ではない、ということはたしかによくわかりました。しかし、その「危うさ」をちゃんと心得た上での判断材料にするのだったら、これはなかなか面白いものだ、ということでしょう。
小泉内閣が世論(内閣支持率)を非常に気にしていたどころか、それを政策や行動(電撃訪朝など)やメディアリテラシーによって積極的に操作しようとしていたこととか、総裁候補が世論で決められたとか、なかなか生臭い話も登場します。業界団体などの支持基盤が弱体化した自民党は、無党派層を取り込むためには「内閣支持率」を有効なツールとして使おうとしています(それに成功したのが小泉さん)。すると、麻生さんが「次の選挙」のためにどのような行動をするかもまた「世論を“誘惑”するため」の行動、として見たらわかりやすいのかもしれません。なんだか「視聴率低下でドラマの中止が決定される」のと似ているような気もするのですが。
そもそも「世論」って何なんでしょう。「支持政党」と「投票する党」とが平気で食い違う「民意」を一体どう把握したらいいのか、これはなかなか難題です。日本で世論調査がもしアテにならないのだとしたら、それはきっと世論調査機関だけの責任ではないような気がします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます