お前、おれのことをバカにしているのか?
【ただいま読書中】『ハーヴァード・ロー・スクール ──わが試練の一年』スコット・タロー 著、 山室まりや 訳、 早川書房、1979年、1400円
アメリカでは1970年代に「ロー・スクール人気」に火がつきました。入学者が急増し、1974年には約3万人の卒業生が弁護士となったのです(10年前の3倍)。(ちなみに、日本の現在の法科大学院の入学定員は6000人足らず。それでも多すぎると司法試験で削られまくっているのはご承知の通りです) さすがにアメリカでもこれは多すぎて、実際に就職できる弁護士はその半数くらいでした。卒業生の競争は激化し、ロー・スクール同士の競争も激化します。
ハーヴァード・ロー・スクールは3年過程ですが、著者が経験したその第1年次の記録です。
アメリカのロースクール(法学部)制度は、日本のとは随分違っています。法学部志願者はまずどこかの大学を卒業して、ロー・スクール全国共通試験(LSAT)を受ける必要があります。そしてその得点をもとに受験者は国内諸大学のロースクールに願書を送って入学選考となります。ごく限られた優秀者には、大学を指定する権利が与えられます。
著者は26歳(既婚)、英文学部で講師をしていて助教授職のオファーがあったのに「自分がやりたいのは法律だ」と気づいてLSATを受け800点満点の749点という優秀な成績を得てハーヴァードを選択しました。「敵に出会う」ために。(ちなみにLSATで720点を取れば、トップ2%に入れます)
アメリカのすべてのロースクールでは「判例とオピニオン(裁判官が述べた意見)」が“教材”です。法律を暗記するのではなくて、“教材”を分析・検討・討論することで「法律」と「裁判所での論理」を学ぶのです。ただし、教室を支配しているのは「恐怖心」でした。厳しい教授に質問されて上手く答えられない/上手く答えたと思ってもさらに追及され結局恥をかくかもしれない、という恐怖。さらに、試験で失敗する恐怖/良い就職口が見つからないかもしれない心配/就職しても大手の弁護士事務所では昇進競争が大変という不安……
さらに著者は「自分が変化する恐怖」も感じます。上記の「恐怖」に加えて勉強のプレッシャーが加わり、さらに「新しい言語(法律用語とそれを裏打ちする法的論理)」を学ぶことによって「これまでとは違う人間」に変容していく事実、そしてその「新しい自分」が決して好ましい人間とは思えないこと、それで感じる「恐怖」です。さらに「(短時間の)試験で人を評価すること」への疑問がなんども語られます。それでも試験は受けなければなりません。そのために学生たちは1日16時間(あるいはそれ以上)の勉強を続けます。私も大学時代にとんでもなく勉強していた時期がありますが、それでも13~14時間が数週間、が限度でしたね。アメリカ人のタフさには感服します。
もっとも著者は、「ぼくは大丈夫だ。ぼくはまともなんだ」と自分に言いきかせ続ける必要があったのですが。そして著者は「敵」が自分の内部にいることに気づきます。
まるでアドレナリンの奴隷のように、常に誰か(あるいは何か)と競争し続けているアメリカ人の姿が印象的です。ただ、著者はそこからの“出口”についても考察をしています。たとえば女性を増やせば、ロー・スクールの授業での歪んだ(マッチョな)圧力のかけ方が変るのではないか、とか。本書から30年以上経って、今のハーヴァードがどうなっているのか、また書いてくれる一年生はいないかな?
「国民のために与党のチェックをする人たち」と「自分が権力者になりたくてうずうずしているだけの人たち」の二種類があるようです。
【ただいま読書中】『美食の歴史2000年』パトリス・ジェリネ 著、 北村陽子 訳、 原書房、2011年、2800円(税別)
スパイスは古代エジプト・メソポタミア文明の時代から、人類に愛好されていました。「スパイス」ということばがフランス語に登場するのは1150年頃、語源はラテン語のエスペス(種)です。まずは香料、スパイス、大航海時代、といったあたりに軽くふれ、時代は一挙に紀元前へ。古代ギリシアでの「饗宴」が登場します。ついでローマ、中世。
西洋の「美食学」が本当に始まったのは中世ではないか、と著者は述べます。その証拠は……厨房が広くなったこと。さらに「コース」が登場します。(今でいうところの「フルコース」を何回も繰り返すイメージです)
ルネサンス期にはフォークが登場し、「マナー」が言われるようになります。近代には「量より質」。もっとも、ルイ14世のような“例外”もありましたが。革命期には、それまでの「フランス式サーヴィス」(何もかもいっぺんに並べる)ではなくて「ロシア式サーヴィス」(一品ずつサーヴされる)が流行します。
本書で面白いのは、こういった「上流階級の食卓」について述べるとすぐに同時代の庶民の食事についても触れることです。普仏戦争で包囲されたパリのレストランでのメニューも紹介されています。「猫の背肉の薄切り、マヨネーズソース」「犬のもも肉、子ねずみ添え」……
「塩」「ヴェルサイユ宮殿の菜園」「茶・コーヒー・チョコレート」「シャンパン」「チーズ」などもそれぞれ一章を与えられています。面白いのは「じゃがいも」までもが一章を与えられていること。フランスの美食とじゃがいも? ちょっと無理はあるのですが、それでも著者は軽やかにこの章をまとめています。どの章も“主人公”は「食べ物」ではなくて「人(あるいは人への思い)」です。それが本書を単に食品の蘊蓄を傾けるグルメ本ではなくしてくれています。取り上げている内容は随分偏っていますが(そもそもほとんどフランスの話です)、それでも楽しく読めますよ。
好きでよく聞いていて思い出せるものをアトランダムに書き出してみました。サイモンとガーファンクルは“別格”なのでとりあえず二つにしますが、あとはミュージシャンごとに一つに限定しています。
「ボクサー」(サイモンとガーファンクル)
「なごり雪」(イルカ)
「別れのサンバ」(長谷川きよし)
「黒い炎」(Chase)
「哀愁のヨーロッパ」(サンタナ)
「人生が二度あれば」(井上陽水)
「旅の宿」(吉田拓郎)
「カレーライス」(遠藤賢司)
「雨を見たかい」(ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ)
「モルダウ」(スメタナ作曲)
「パヴァーヌ」(フォーレ作曲)
「テイク・ファイヴ」(デイヴ・ブルーベック・カルテット)
「花はどこへ行った」(PPM)
「禁じられた遊び」(サウンドトラック)
「クール」(「ウエストサイドストーリー」サウンドトラック)
「25 Or 6 To 4」(Chicago)
「レイラ」(エリック・クラプトン)
「老人と子供のポルカ」(左卜全とひまわりキティーズ)
「帰って来たヨッパライ」(フォーク・クルセイダーズ)
「学生街の喫茶店」(ガロ)
「59番街橋の歌」(サイモンとガーファンクル)」
思い出せるのは10曲程度だろうと思っていたのですが、このへんで切り上げないと止まらなくなりそう。しかしこのリスト、一瞥するだけで「私」という人間について多くのことを語っているような気がします。
【ただいま読書中】『武器製造業者』ヴァン・ヴォークト 著、 沼沢洽治 訳、 創元推理文庫SF609-3、1967年(84年18刷)、360円
『イシャーの武器店』の“続編”です。といっても、実際の執筆は本書の方が先で、それが好評だったために、舞台と登場人物数人を共通の「別の物語」として『イシャーの武器店』が書かれたそうです。もっとも本書には最初から「時間の振り子」とかが説明抜きで登場していて、もしかしたら著者は最初から続編(というか前日譚)を書く構想を持っていたのではないかな、と思わせる雰囲気があります。
さて“不死人”ヘドロックは、宮廷に潜り込んでいますが、イネルダ女帝から突然死刑の宣告を受けます。死ぬような思いで脱出したヘドロックですが、こんどは武器店の側からも死刑宣告が。そこからもやっとの事で脱出したヘドロックは、帝国が恒星間宇宙船(20世紀半ばのSFではおなじみの「新型超高速(超光速)エンジン」で、あっという間に銀河宇宙を駆けめぐるタイプのもの)を開発中との情報を追います。ヘドロックにとって、「帝国」も「武器店」もそれぞれが“駒”の一つで、そのバランスこそが重大事なのです。
ということで、『イシャーの武器店』での「移動(旅行)」は時間旅行でしたが、今回は宇宙旅行です。とんでもない距離を飛んで(飛ばされて)しまったヘドロックは、たまたま出会った、人類より遙かに進んだ力を持つ「蜘蛛族」にあっさりと地球に送り返されてしまいます。
さて、そこからの“活劇”は、ヘドロック“個人”をめぐってのものとなります。イシャー王朝の歴史とともにずっと生きているヘドロックは、はたして何者なのか、の謎解きです。私が本書を初めて読んだのは中三か高一の時だと思いますが、その時には「超人」の大活躍に目を奪われていました。今もやはり目を奪われはしますが、では自分が超人に、あるいは不死人になりたいか、と自問したら、即答が難しいことに気がつきます。もちろん「希望」や「欲望」はありますが、自分の器の大きさ(小ささ)を考えた時に首を傾げてしまうのです。
ともあれ、ヘドロックは「蜘蛛族」の監視を意識しつつ、地球全体の運命を左右させる作戦を決行します。たったひとりで、強大な権力を持つイシャー帝国とそれ以上に強大な科学力を持つ武器ギルドを手玉に取るのです。さらに、イネルダ女帝の愛情と決断。
「超人」とか「超科学」とか「超種族」とか「超」がやたらと登場するSFをたまによむのも良いものですね。なんだかスカイラークやレンズマンも読みたくなってきました。
最近の私のお気に入りは「リバーダンス」です。DVDを繰り返し見ているので、あのステップの響きとエンドレスに続く感じのアイルランド音楽が体に染みつきそうです。とくに気に入っているのは「Countess Cathleen」で、これは数人の妖精の踊りで始まり、次いで妖精の女王が登場、さらに男性も加わって、優美さがだんだん力強さに変っていくというストーリー性豊かな舞台です(ただし「妖精」というのは私の妄想ですので、実際には別のストーリーがあるのかもしれません)。
で、先日はDVDを見終わってテレビを切り替えたらちょうどAKB48が画面に出てきました。私はこのグループがあまり好きではないのですが(ファンの人にはごめんなさい)、その理由の一つがわかったような気がしました。「重い」のです。
リバーダンスのダンサーたちは、優美な動きあるいはセクシーな動きもできますし、まるで重力が一時的に軽くなったかのようなキレと躍動感のある動きを続けてそのリズムで陶酔感を生むこともできます。対してAKBの動きは地面に縛りつけられているようにもっさりと尻が重たく感じられるのです。AKBのウリは「若さ」でしょう。だったらもうちょっと若さゆえの元気はつらつの躍動感を感じさせても良さそうなのに、それがない。では優美なのか、と言ったら、それもない。全員が一糸乱れぬ動きをしてこちらの感情を鼓舞する力強さ……それもない。
AKBのメンバーには、もっとダンスや歌の練習が必要で、たぶんこれからもっと上手くなるのでしょうが、その前に、呼吸とか歩行とか姿勢とか、本当に基本的な練習をきちんとした方が良いのではないか、と思いながら私はテレビのスイッチを切りました。
【ただいま読書中】『イシャーの武器店』ヴァン・ヴォークト 著、 沼沢洽治 訳、 創元推理文庫SF609-2、1969年(83年20刷)、380円
1951年の世界に突然現われた不思議な武器店に踏み込んだ新聞記者マカリスターは、7000年未来に連れ去られてしまいます。「武器ギルド」は「イシャーのイネルダ女帝」の権威を認めていませんでした。「武器を買う権利は自由になる権利」をスローガンに、帝国のあちこちに武器店チェーンを展開しています。このスローガンは、アメリカ人にはおなじみのものでしょう。合衆国憲法で保障されている「自衛のための武装の権利」です。ただしこの未来社会では「武器店」で売られている武器はあくまで自衛用のもので、それ以外の目的には使えないように個人に“同調”されているのです。ここはアメリカの「タテマエは自衛、ホンネは他人を害する」目的に使用される銃器とは違っています。
もちろん「武装した個人」が物陰から狙撃されたりして殺されることは防げません。ただ「武器店」の最終目的は、「権力からの個人の防衛」でした。「自衛」とは、武装強盗に対する抵抗ではなくて(もちろんそれに対して使うこともできますが)、「権力」に個人が対抗すること、だったのです。
グレイ村から首都に出てきたケイル青年は、カルチャーショックに襲われると同時に強盗にも襲われます。田舎者はよいカモなのです。さらに“能力”を生かしてカジノで大儲けをしたケイルは、金をすべて奪われただけではなくて、自身も攫われ、さらには親を巻き込んでの詐欺に遭い、さらにさらに火星に飛ばされてしまいます。
ケイルの父ファーラはがちがちの体制主義者(つまりは反武器店主義)でしたが、この詐欺で全財産を失い、自殺をしようと武器店を訪れます。そこで彼を待っていたのは……
武器店の数千年の歴史には一本のスジが通っています。表向きにはそれは「思想」と超科学ですが、裏では「ひとりの人間」でした。「武器店」の創始者、不死人のロバート・ヘドロックが、武器店と帝国の関係を調整し続けていたのです。ひたすら無駄に壮大で華麗な設定です。
さらに時間旅行が加わります。それも、とんでもない過去への(数字だけ見たら、ビッグ・バン以前なのですが、本書執筆当時(1951年)「宇宙の年齢」はまだわかっていなかったのでしたっけ?)。絶縁服を着ているのだから、マカリスターにはエネルギー蓄積はないはずだろう、なんて突っ込みを入れたくはなりますが、本書での壮麗なビジョンにはやはりしびれます。今でも私はしびれます。
チリ鉱山の「33人の奇跡の救出」からもう1年が経ちました。
しかし、33人のうちで「正常な社会生活」に復帰できた人はわずかだそうです。そして、鉱山での事故はその後も相次いでいます。
そもそも、なぜ救出に二ヶ月もかかったのでしょう。チリの法令どおり、吸気口と排気口の二系統の脱出路があれば「その日」に救出(というか、脱出)できていたかもしれないのに。
【ただいま読書中】『検証・チリ鉱山の69日、33人の生還 ──その深層が問うもの』名波正晴 著、 平凡社、2011年、1900円(税別)
「33人全員の生存が確認されました!」のニュースが報じられたのは2010年8月22日。ブラジル駐在の特派員だった著者はそのときペルーで休暇を過ごしていました。
しかし話はまずその半年前に遡ります。2010年2月27日、大地震の日に。この日チリ政府は津波警報をさっさと解除するというミスを犯し、それを信じて自宅に戻った人などから多くの死者を出しました。その10日後に新大統領に就任するピニェラ(24億ドルの資産家)は「危機管理の甘さ」とその失態を評価します。さらにこの年はチリ建国200周年。同時に南米で初めてチリが“先進国クラブ”OECDに参加した年でもありました。
津波で大きな被害を受けた造船所は人員削減。首になった中のひとりラウルは、サンホセ鉱山に職を求めます。この鉱山は、幅4m高さ5mの坑道が螺旋状に地下800mまで延びていました(総延長は7000m以上)。8月5日、地下350mのところで落盤事故が発生し坑道は完全に潰されてしまいました。チリに法令では緊急時の避難路として通気口などを2系統設置することが義務づけられていましたが、サンホセ鉱山では通気口は一つだけ、そしてそれも二回目の落盤でふさがれてしまいました。
チリ政府は直ちに動き始めました。ピニェラ大統領とゴルボーン鉱業相は救助チームの指揮者としてコデルコ(チリ国営銅公社)のソウガレット技師を選びます。しかしソウガレットは救助経験は皆無でした。現場を取り仕切るのは、救助経験が豊富なフォルト(コピアポ海洋大学鉱山学部長)ですが、彼に与えられた肩書きは「技術顧問(ボランティア)」でした。サンティアゴ(チリ政府)は最初からこの事故を政治ショーとして使うつもりだったようです。大統領は鉱山の所有企業から管理権を剥奪、政府の支配下に置きます。フォルトは鉱山内の情報を求めますが、会社の経営者はそのメールを無視しました。鉱内の地図は“節約”のためにいい加減なものでした。さらに、落盤の原因は「過剰な掘削(坑道の安全を確保するために掘ってはならない所まで掘った)」でした。つまりこの事故は「人災」だったのです。
チリを舞台とした「極限状態からの脱出」に、40年前の「アンデスの聖餐」があります。著者はその生き残りも訪ねてインタビューをしていますが、その内容はやはり重たいものです。特に「生死を分けるもの」が。
気温32度湿度95%、地下の避難所は「不衛生なサウナ」でした。食糧は乏しく(48時間に1回、ツナ缶を二匙、あとは地下水)33人は肉と脂肪と希望を失っていきます。それでも頑張り続けることができたのは、信仰と団結でした。「リーダー」は当番長のウルスアだと報じられていますが、実際の決定は多数決でした。また、最大の貢献者はユーモアを忘れないマリオ・セプルベダだったそうです。
地下を絶望が支配し始めた17日目、地上からのドリルの先端が坑道に達します。
そして舞台は「第二幕」へ。政治的な“果実”が欲しい大統領と、“曲がり角”に立っていて企業としての存在感をアピールしたいコデルコとががっちり手を組みます。お互いが“バックアップ”として、3種類の異なる方式で縦穴が掘られることになりました。対してフォルトは「プランD」を提示します。しかしそれはコデルコによって一蹴されました。一民間人に“栄誉”をかっさらわれるわけにはいかなかったのでしょう。それぞれの「プラン」のために、各国からは資材提供が相次ぎます。
問題は「日程」でした。大統領が10月15日から欧州歴訪の予定だったのです。そして、10月9日に救出用トンネルが貫通します。
「感動の物語」なのですが、決して単純なお話ではありません。政治や経済のどろどろがその背後にうごめいています。地下の作業員たちも決して一枚岩ではありませんでした。しかし「素朴な正義感」もたくさんあり、それが“救い”となっています。それと、たとえ政治的な意図があるにしても、大統領の「国は君たちを見捨てない」というシンプルなメッセージには安堵感を感じます。日本でそういった安堵感を感じることって、ありましたっけ?
「水銀」……銀がとろとろ
「銀河」……水銀が流れているらしい
「一面の銀世界」……だれが銀粉をまき散らした?
「銀杏」……葉っぱは金色なのにねえ
「大銀杏」……こちらは黒いのにねえ
「銀閣寺」……銀は張ってないのにねえ
「銀舎利」……ふだんは代用食を食べている、という主張
「銀玉鉄砲」……吸血鬼や狼男用
「銀塩写真」「銀塩カメラ」……そろそろ死語
「銀行家」……銀が行っちゃう家
【ただいま読書中】『世界史の中の石見銀山』豊田有恒 著、 祥伝社新書202、2010年、760円(税別)
石見銀山は日本人にさえあまり有名ではありません。日本がかつては金銀の大生産国だったこと、そして、石見銀山が一時は世界の銀生産の1/3を占めていたことなど、知らない日本人の方が多いかもしれません。
石見銀山は、もともと守護大名大内氏が14世紀に銀採掘を行なっていたのが中断していて、それが戦国時代に博多の豪商神屋寿禎が銀を再発見してまた採掘が大々的に行なわれるようになった、という言い伝えがあるそうです。江戸初期には銀山周囲の人口が20万人になった、というのですから、その発展ぶりがうかがえます。面白いのは、鉱夫の小さな住宅で炉がある家が発掘されていることです。鉱夫は自分でも精錬を行なっていたようなのです。労働は過酷で労働環境は劣悪でしたが、それでも収入や待遇は良かったようで、後に佐渡の金山が開発された時にそこの鉱夫達が「石見なみの待遇を」と要求した文書が残っているそうです。
金銀の価値は、相対的に動きます。石見銀山から大量の銀が産出されることで国内では銀の価値が相対的に低下します。元では史上初の紙幣が発行されますが、兌換紙幣なのにほとんど無制限に発行されたためインフレとなり、人々は紙幣ではなくて金銀での支払いを望みます。その結果、中国の銀はシルクロードにどんどん流れ、元や明では極度の銀不足になりました。はい、石見銀山の出番です。また、江戸時代にはオランダが日本から莫大な量の銀と銅を輸入しました(オランダ軍艦の大砲の青銅はほとんどが日本の銅で造られたそうです)。あまりに大量に輸出したため日本国内では相対的な銀不足となり、銀の価値は高く保たれました。しかし国際的には情勢が変化します。南米やメキシコで次々銀山が開発され、国際的には銀の価値は低落します。このため、幕末には「メキシコ銀で日本の小判を買って大儲け」という商売が成立しました。かくして日本の金が大量流出。石見銀山は産出量が減り、大正時代に閉山しました。
「大航海時代(発見の世紀)」にも石見銀山が影響を与えています。ポルトガルとスペインが競って“発見”をして回ったのですが、その“発見物”の中に日本も入っていました。日本の銀も。そのとき、エンリケ国王の急死でポルトガルは混乱状態となり、それにつけ込んでスペインがポルトガルに軍事侵攻、併合をしてしまいます(1580~1640年の間、ポルトガルはスペインの支配下にありました)。著者は、東アジアのポルトガル人たちが自分たちがポルトガル人として名乗ることができる安住の地として日本を選び、多数が亡命してきた(そして、その過程で石見銀山の大増産が行なわれるようになった)と仮説を立てています。だからこそ、安土桃山時代という短い期間だけだったのに、ここまで日本文化に「ポルトガルの影響(カステラなどのことば、ふりがなを振るという行為(漢字が読めない宣教師が始めたそうです)、など)」が残っているのだ、と。(しかし、本国が滅亡して、日本には「○○人」ががんばっている、というと、江戸時代にオランダがフランスに一時支配されて、世界中で長崎の出島にだけ「オランダ国旗」が翻っていたことも思い出しますね) そして、貿易の決済には主に「銀」が使われていました。銀は通貨であり重要な輸出産品だったのです。
著者は、鎖国の目的を「対キリスト教」だけではなくて「大名支配(大船を造らせないことで大名に海軍力を持たせない=江戸湾侵攻を許さない)」もあるのではないか、と述べています。たしかにそういった効用もありますね。
著者は、若い頃から名文を書く方ではありませんでしたが、年を取ってもその傾向は変りません。ただ、「着眼点」を高く評価して私は本を閉じます。
東北の被災地の復興と防災の動きがやっと始まったようです。でもまだ、たとえば「防潮堤の高さをどうするか」などが決まっていないんですよねえ。
ところで、復興と防災は「セット」でしたっけ? もちろん東北の復興は必要ですが、防災は「次に災害が起きるところ」に予算の重点を置いた方が良いのではないです? しばらく地震(や津波)が起きないところは、しばらく経ってから防災工事を始めても良いわけで、東北にまたすぐ地震が起きるのだったらともかく、そうでないのなら「次の地域」に注目した方が良い、というのが私の考え方です。(不幸にも防潮堤などを建設する前に大地震が起きることもあるでしょうから、そういった防災工事を行なわない“丸腰”の地域では「避難」の徹底が必要でしょう。もっともこれは、防潮堤があってもするべきことですが)
で、「次」がどこであるかの確率計算をするのもまた「地震予知」のお仕事ですよね?
【ただいま読書中】『人はなぜ逃げおくれるのか ──災害の心理学』広瀬弘忠 著、 集英社新書0228E、2004年(11年10刷)、700円(税別)
「避難」は、もっとも古くからある素朴で有効な「防災行動」です。本書には、東海・東南海・南海地震での18のシミュレーションが載っていますが、そのどれでも「避難率」が高ければ死者数は少なく、避難率が低ければ大量の死者、となっています。
避難の時に示される人間の行動にはいくつかの特徴があります。まず、家族単位で行動しようとします(これは文化の違いは関係ないそうです。また、小さい子供がいる家族は決断や行動が早く、老人がいる家族は遅くなりがちです。ということは、行政などのサポートは後者を中心にした方が良い、ということになります)。また「確認」が困難な夜間の避難では犠牲率が高まります。また、避難行動には「模倣性」「感染性」(他人が行動するのを見るとつられて同じ行動をする)があります。特に「自分の中に迷いがある」「家族の中で意見が不一致」の場合、「自分たちの判断で行動を決定する」のではなくて「他人の行動で判断する」になるわけです。ということは、他人が誰も動かなければ、自分も動かない、ということになります(韓国の地下鉄火災で、煙が立ちこめても車内にとどまって動こうとしない乗客の姿が衝撃でしたね)。
過去の体験は、一長一短です。もちろん体験があれば“その災害”には対処が容易です。しかし、違う災害にはかえってその体験が有害である場合さえあります。また、記憶は薄れたり変容します。さらに、「津波警報!」で避難をしたけれどそのときは大したことはなかった、といった場合、その記憶は「避難行動は無駄だった」となります。これは“次回”には避難の遅れをもたらすことがあります。なかなか、「体験と学習」というのも、一筋縄ではいきません。
気象に関する警報を出すのは気象庁ですが、それは単に「危険の予測」でしかありません。「では、何をしたらいいのか」は、マスコミと行政と「私たちの判断と行動」になります。
そこで問題になることばがあります。まず「正常性バイアス」。人は少々のことにはびくつかないように「これで良いのだ」と思うようになっていますが、それが行きすぎると「リスクの過小評価」「リスクに鈍感になる」という現象が起きます。ここで必要なのは「正確な情報」です。「パニック神話」というものもあります。「オソロシイ情報を聞いたら、人々は容易にパニックになるに違いない」という思い込みですが、実は人はけっこうしぶとくて(そもそも「正常性バイアス」も働いていますし)そう簡単にはパニックは起きません(4つの条件が揃うことが必要だそうです)。だから行政側が「パニックを恐れて」と正確な情報を隠蔽するのは「間違った態度」と言えます。特に災害現場ではデマ(流言)が流れやすいので、多くのチャンネルを使って正しい情報を流すことが大切です。ちなみに「パニック」の語源は、ギリシア神話の「パン」です。とんでもない色好みで美少年でも美女でも手当たり次第、という半獣神ですが、昼寝も好きで、それを邪魔されると怒りくるって大きな音を立てて人や動物に恐怖心を抱かせ集団的逃走を起こす、という迷惑な神様です。
災害は残酷な「選抜」を行ないます。「生き残れるかどうか」の選抜を。そしてその後にもう一回「よりよく生き残れるかどうか」の選抜があるのです。そこでは、自己中心的な行動をする人もいますが、援助行動や愛他行動をする人も多くいます。その時私がどんな行動をするか、それ以前に最初の“選抜”を生きてくぐり抜けられるか、それはわかりませんが、「自分の意志」だけは失わないように自分自身にふだんから言い聞かせておきましょう。
「亜鉛」……まるで鉛のような物質
「亜鉛鉄板」……まるで鉛のような鉄の板
「無鉛ガソリン」……「鉛ガソリン」というものは無い
「鉛中毒」……鉛全体が毒に染まっている
「色鉛筆」……カラフルな鉛でできた筆
「黒鉛」……カラフルではない鉛
「鉛色の空」……カラフルな鉛かカラフルでない鉛かはっきりしない色の空
【ただいま読書中】『漂泊の民 サンカを追って』筒井功 著、 現代書館、2005年、2300円(税別)
定住をせず教育を受けず戸籍も持たない人の集団が日本の社会に(と言うか、社会の外に)存在しているそうです。地方や集団によって様々な呼ばれ方をしていますが、本書ではサンカ(山窩)という呼称が採用されています。
サンカ研究者として三角寛という人が有名だそうです。ただし、本書の著者によると、三角はその論文にフィクション(写真撮影時の演出、限られた情報源からの情報の一般化、数字の間違い、明白なウソ)を混ぜているそうで、だからサンカについて間違ったイメージが流布してしまったのだそうです。だからでしょうか、著者は実証にこだわっています。証言を集め、“現場”に出かけ、あまり壮大な物語を語ろうとはしません。個人が、どこで生まれ、どう育ち、何を職業とし、誰と結婚し、離婚し、どこで死んだか、そういった事実の切れ端を丹念に拾い集めます。
著者が調査した「武蔵サンカ」では、主な仕事は箕の製造と修理でした(「箕」は、ちりとり型をした農具で、脱穀した稲をその中であおって、実と殻とごみを分別することを主目的としたものです)。サンカは農家を回って注文を取って歩きました。仕事がない時には門付け芸でも川漁でも物乞いでもやります。住むのは、掘っ立て小屋・テント・洞窟……木賃宿に“住”むこともありました。
「箕」で生計が立つのか、と私は思っていたのですが、認識が甘かった。昭和の初め頃徳島のある地方では、良い箕は米一俵と交換、が相場だったのだそうです。それだけ農家も箕を真剣に使っていたのでしょう。
江戸時代のサンカは、無籍人でした。身分制度の“中”に位置づけられていた「エタ」「」とは“身分”が違います。ところが明治政府はそれらをまとめて「」として扱いました。その影響で、平成になっても箕直しをする人を被差別の住人だと考える人がいるそうです。(江戸時代にも「箕直し」が賤視されていたことは間違いありませんが)
サンカの「受難」は、まず戦争の形でやって来ました。配給制度のために、農家から食糧を手に入れることができなくなったのです。配給を受けるためには「戸籍」が必要です。そこで無籍人はどっと減りました。そして戦後は箕の需要が激減しました。高度成長によって農家がどんどん機械を入れるようになったのです。
きちんとした学術調査や信頼できる統計があるわけではありませんから、サンカの実態はまだ不明な部分が大きいのですが、少なくとも彼らがかつて存在していたことは事実のようです。そして、もしかしたら今も形(と名称)を変えて存在し続けていることも事実かもしれません。
私の通勤路(の一部)は、いくつかの学校の通学路でもあります。そこを歩く学生たちのことを私はふだんは「集団」としてしか認識しませんが、時には「個人」を見ることもあります。
昨日、小走りに走っていく学生を見ました。その地点から学校までの距離と授業が始まる時間とを考えると、ちょっときわどいタイミングです。遅刻しないといいね、と思いながらすれ違いました。そして今日、その同じ学生がこんどは悠々と歩いているのを見つけました。ふむ、このタイミングなら遅刻はしそうにないな、と私も車の時計を確認して安心します。さて、明日はどんなタイミングですれ違うのかな?
【ただいま読書中】『日々の泡』ボリス・ヴィアン 著、 曾根元吉 訳、 新潮社、1970年(90年8刷)、1650円(税別)
顔を鏡に映すとニキビが恥ずかしがって引っ込む/水道管から顔を出すウナギをパイナップルを餌にして捕まえパテにする/ライターに太陽の数滴を入れる。冒頭の数ページでこういった感じの描写が次々登場して、平凡な常識人である私は目を丸くします。このイメージの奔流は、なんだ?と。
何を思ったか本書を手にとって、何の予備知識もなしに読み始めたのですが、それが正解でした。もしこの著者に興味を持った方がおられたら、私の紹介なんぞもう読まずに、さっさと本書を読まれることをお勧めします。
本書ではまずは「料理」が重要なテーマのように見えますので、そのたとえを私も使ってみることにしましょう。本書では、時間も空間も一度粗みじんにされてから大まかにもとの形に組み立てなおされます。もちろんあちこちでずれや欠落が生じますが、それはあまり気にしないように。人と会う時にはそのことがあらかじめわかります(わかることがあります)。恋に落ちる時にはまず「恋に落ちたい」と思ってから出会うことになります。
読んだイメージが表現できているかなあ。料理に拘泥せずに言うなら「サイケデリックな文体」と言った方がよいかもしれません(これでもわかりにくいとは思いますが)。本書での「現実」は変容し溶融し“火”があちこちに入れられているのです(あら、やっぱり料理に戻っちゃいました)。
途中からお話は、恋と病気の領域に入ります。「恋の病気」かもしれませんが「病気の恋」かもしれません。そして最後の「人肌で温められることによって銃が生える畑」には濃厚な死の臭いが漂います。
イメージだけではなくて言葉遊びも豊富にあります。原語が読める人は、原書の方がもっと楽しめるでしょう。
私は子供の時に「電話をする場合には、夜遅くと食事時は外すように」と躾けられました。携帯電話とメールの時代にはそんな躾は“死語”なのかもしれませんが、やはり受話器を持つ場合にはちょっとは相手の都合も私は考えてしまいます。
だけど、食事時にかけてくる営業電話って多いんですよねえ。この時間なら確実につかまるだろう、ということなのでしょうが、受ける側の迷惑とか不快感まで“計算”に入っているのかな? その企業に決してプラスに働くとは思えないのですが。
【ただいま読書中】『若草物語(下)』ルイーザ・メイ・オールコット 著、 松本恵子 訳、 新潮文庫、1951年(84年改版46刷)、240円
季節は巡ります。四姉妹の隣家に住むローリイ少年と姉妹は仲良くなっていきます。特にジョーはよい遊び相手として、しょっちゅう一緒に走り回っています。そのうちジョーの書いた小説が新聞に採用されます(原稿料はもらえませんでしたが)。しかしその幸福の中に、ワシントンから爆弾のような電報が。「ゴシュジン、ジュウタイ、スグオイデアレ」と。マーチ夫人(四姉妹の母)はとるものもとりあえずワシントンに駆けつけます。残された姉妹は、周囲の人たちの助けも借りて立派にやっていますが、そのうち少しずつダレ気分が。そこにまた一難。ベスが猩紅熱にかかってしまったのです。
私が小学生の時に、法定伝染病というのを習いましたが、その中にたしかに猩紅熱がありました。抗生物質で治療できるようになったので、今では法定伝染病ではありませんが……というか、今では人の伝染病に関しては「法定伝染病」というもの自体が廃止されていますけれども。
ベスの病状は重く、一時は危篤状態まで行きます。しかし……
この頃、子供は本当によく死んでいました。人口動態のグラフを見ると、日本でも明治時代には、新生児死亡率は8%くらい、乳児死亡率は15%以上です。抗生物質がなく、点滴もできない時代には、下痢や嘔吐が続くだけでも子供はころりと死んでいました(「疫痢」ということばを私は覚えています)。「衛生」の概念が社会にけっこう根付いていた日本でもこれです。
そしてクリスマス。この物語が始まってから1年が経過しました。多くのことが起こり、多くの人が変化した1年でした。そのことが最後に簡潔にまとめられます。いやあ、「次の一年」では一体何が起きるのだろう、と期待を持たせる終り方です。上手だなあ。