【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

インテリの問答

2017-01-11 07:05:19 | Weblog

 よくテレビで「インテリ○○軍団」を集めてのクイズ番組をやってます。だけど「本物のインテリ」とはクイズだったら、「クイズに正しく答える人」ではなくて、「人が思いつかないような問いを立てることができる人」ではありませんか?

【ただいま読書中】『ペトログラード行封印列車』オーエン・セラー 著、 松田銑 訳、 文藝春秋、1981年、1500円
  
 第一次世界大戦、ヨーロッパではアメリカの参戦が囁かれ、ロシアではラスプーチンが暗殺されたばかりの頃。スイスには革命を願う亡命ロシア人たちが集まっていました。その中でスイスの秘密警察が特に注視していたのが、ヴラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフ(レーニンの本名)でした。
 「レーニンの封印列車」は「歴史を変えた列車」として有名ですが、本書はその史実をベースに小説、それもスパイ小説化したものです。
 ロシアでは食糧と燃料が不足し、暴動寸前で、それが軍の志気にも悪影響を与えていました。二正面作戦を戦うドイツとしては、ロシアの離脱はありがたいことなので、革命を起こそうと陰謀を巡らします。イギリスの諜報員(「モーム」という名前ですから、サマセット・モームのことでしょうね)もドイツがロシアに関して何らかの大規模な陰謀を企んでいることを察知します。ロシアの諜報機関も体制を守るために動きます。しかし、ヴラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフは動きません。ロシア革命を夢見る様々なセクトの人間がすべて自分の“手下”にならなければ“出馬”する気は無いのです。
 ドイツの工作員エーラーは、若いときにレーニンの著作を読んで強い影響を受けていました。しかし「レーニンの著作」と「レーニンの人物像」には大きなギャップがありました。それでもエーラーは粘り強く交渉を進めます。ところが、ロシアで暴発的に革命が起きてしまいました(事件は会議室ではなくて現場で起きるもので、革命はスイスではなくてロシアで起きるものだったようです)。レーニンは焦ります。自分を抜きにして革命が進行してはならない、とロシアに早急に帰ろうとします。ドイツの外相(エーラーの上司)は、ドイツが表に出ないのだったらレーニンの通過を認めても良い、と言います。レーニンとしても、“敵国”ドイツを無事に通過することにはリスクがあります。下手すると敵と通じた反逆者と呼ばれる可能性がありますから。
 ロシア皇帝は退位しましたが、臨時政府の基盤は脆弱です。フランス革命の時と同様、反革命(王政復古)の動きがあります。ソビエット(労働者、農民、兵士の代表が集まった評議会)は言わば烏合の衆です。だからレーニンはソビエットの指導者になって臨時政府を倒そうと目論んでいました。しかしそれを望まない勢力もロシア国内外にいます。だから複雑な折衝が繰り返されました。そして、やっと帰国のための列車が動き出します。ドイツ国内では列車は「封印」をされて、「敵国人とは一切の交渉をしない」ことでロシアに対する「身の潔白」を示す、という露骨な政治的パフォーマンスをしながらの帰国です。しかし、ロシア帝国に忠誠を誓っていたロシア秘密警察は「革命の成就」を望まず、レーニン暗殺を狙う刺客が列車に紛れ込んでいました。ただ、その真の動機は……
 はらはらどきどきを乗せながら列車は進みます。レーニンが無事にロシアに入ったという史実はわかっていますが、その過程でレーニンが見せる「現実主義」は、小説とはわかっていますが、いかにもありそうなものです。純朴な共産主義者は本書を読んで怒り狂うかもしれません。私は楽しんでしまいましたが。


正しい問い

2017-01-10 06:38:48 | Weblog

 ある問いに対して「正しい答え」を得るためには「そもそもその問いが正しいかどうか」をまず問わなければならないはずです。

【ただいま読書中】『強襲部隊 ──米最強スペシャル・フォースの戦闘記録』マーク・ボウデン 著、 伏見威蕃 訳、 早川書房、1999年、2200円(税別)

 映画「ブラックホーク・ダウン」でも描かれたソマリアでの事件を扱ったノンフィクションです。
 騒乱のソマリアに介入したアメリカ軍は、武装組織の最高幹部二人を同時に拉致する作戦を実行しました。特殊部隊のデルタフォース、レインジャー、SEALなどの精鋭部隊が、ヘリコプターと地上の車輛部隊に分かれて首都モガディシュの市街地に侵入を開始します。ヘリの99名の部隊で電撃的に目標のビルを制圧、そこに車輛部隊がかけつけて捕虜を乗せ、さっと撤退、という予定でした。しかし作戦は出だしから躓きます。ヘリからの降下で新兵が一人ロープを掴み損ねて転落して重傷。回りからは武装民兵が続々と集結してきます。道路にはバリケード。
 さらに「精鋭部隊」と自分のことを思っているレインジャーはデルタから見たら、ハイスクールを出たばかりで訓練も実戦経験も足りず動くものは何でも撃つ「ひよっこ」でしかありませんでした。実際に(民兵ではない)住民や米軍兵士でさえレインジャーの射撃の的になっていたのです。(映画にはありませんでしたが、本書には「自分が住んでいる街に突然なだれ込んできて回り中に容赦なく銃弾をばらまく米軍に対する住民の反感」も描かれています)
 作戦は順調に進み、「目標」は二人とも確保。あとは迎えの車が来たら帰るだけです。予定は10分間の道程。しかしそこで、ヘリコプターが被弾します。ブラックホークが本来は対空兵器ではないRPG(ソ連(ロシア)製の対戦車擲弾(グレネード))に撃たれ、墜落したのです。すぐにソマリ族の暴徒が武器を持って集結。生き残りを救助するには素早い行動が必要です。救援のためにヘリコプターと地上部隊が急行します。普通の部隊だったらこんな状況では誰も生き残れないはず。しかし指揮官は「精鋭」の力量に賭けます。近くにいたレインジャー部隊が駆けつけて防衛線を形成、リトルバードという小型のヘリが強行着陸して重傷者を収容、離脱します。しかし、2機目のブラックホークが被弾、墜落。車輛部隊は基地に一直線に戻るのではなくて、第1墜落現場と第2墜落現場を経由して帰投するよう命令されます。市街地で回り中から撃ちまくられている状況で車輛の列はのろのろと進みます。交差点ごとに安全を確認するために一時停止。しかしその間に敵は別の道を通って次の交差点で待ち伏せます。銃弾のカオスの中ではスピードが一番重要なのに、手順の方が重視され、死傷者は次々増えます。上空支援の部隊は、違う部隊に違う道筋を違うタイミングで教えます。「おれたちはひとり残らず死ぬまでぐるぐる走りつづけるんだ」は車内でのつぶやきです。現場では「もう限界だ」が共通認識です。しかし安全な場所でテレビ画面を見ながら「状況は?」と尋ねる指揮官は、その答に満足せず「墜落現場に行け」と繰り返します。国連のパキスタン軍とマレーシア軍が援軍で派遣されることになりましたが、言葉が違う寄せ集め部隊の編成と展開には時間がかかります。たぶん何時間も。やっと基地に帰投した車輛部隊は、血や肉体の破片が散らばった車内を清掃し、志願者を乗せて再出発します。せっかく生きて還ったのに、仲間を救うためにまた死地に向かおうとする人がたくさんいました。
 状況は悪化し続けます。救援隊がたどると予測されるルートには頑強なバリケードが構築されていました。第2墜落現場で取りあえず使える人員は、現場近くの上空のヘリに乗っているデルタの二人だけ。二人はロープで降下、徒歩で墜落現場に向かいます。しかし、押し寄せる人々を押しとどめることはできませんでした。
 基地に帰投できなかった地上部隊も孤立したまま戦い続けていました。夜がやって来ます。ただ、夜になると「アマチュア」は家に帰り、アメリカ軍を攻撃し続ける人数は減ります。射撃の正確度は増しましたが。夜通しヘリコプターは、赤外線と熱感知カメラをたよりに、アメリカ軍部隊が立てこもった陣地の周囲を攻撃し続けます。
 車輛部隊は、真夜中頃にやっと立ち往生した部隊の近くまでやって来ました。基地で集められるだけ集めた、100台近い大部隊ですが、マレーシア軍の兵員輸送車はドイツ製、パキスタン軍の戦車はアメリカ製、と兵員も機械もごちゃまぜでした。全車両で共用できる無線機もありません。それでも弾丸の嵐の中を車列は強引に進みます。
 イスラムでは死者を敬い、その日のうちに埋葬せよと定めています。しかしアメリカ軍兵士の死体は見世物にされ辱められていました。それを止めようとした穏健派やサウジアラビア軍部隊は、暴徒によって銃で威嚇されます。血の祭です。この映像が世界に配信され、アメリカ世論は軍の撤退に傾きます。
 本書は、捕虜になったパイロットが生還するところで終わります。かろうじてハッピーエンドと言えるのかもしれません。
 個人の勇気、部隊の勇猛さと優秀さ、その中で見せる弱さ。そういったものが活写されていますが、そういった「優秀な部隊」を“正しく使う”ことの難しさも本書からよくわかります。安全なところから「勝て」とだけ命令する人たちが、その難しさをよくわかっていることを祈ります。


生息地

2017-01-09 14:30:13 | Weblog

 アリは世界中に生息していますが、イヌイットの生息地では珍しいそうです。さすがに氷に穴を掘るのは難しいのでしょう。ということは、人間はアリさえ住めないところでも生息地にできる、ということで、サバイバル力は抜群な生物、と言えそうです。

【ただいま読書中】『アリたちとの大冒険 ──愛しのスーパーアリを追い求めて』マーク・W・モフェット 著、 山岡亮平・秋野順次 監訳、 化学同人、2013年、3200円(税別)

 学位取得のために論文を書くため、インドやシンガポールで、略奪アリの狩りの様子を著者は熱心に追いました。そこで撮った写真でのアリの姿が素晴らしかったため、著者はナショナルジオグラフィック誌の記者の訪問を受けます。略奪アリの働きアリは「労働分業」をしていました。小型のものが“最前線”に大量に投入され、多くの犠牲を払いますが獲物に群がって動きを封じます。そこに中型または大型の働きアリがやって来てとどめを刺します。これは昔の(ローマ〜中世の)戦法と共通しています。最前線に大量に投入するのは“コストの安い農民”で、“コストの高い職業軍人”はあとから投入されていたのです。
 アフリカの軍隊アリはどう猛です。著者はその群れに襲われたことがありますが、噛まれるととても痛いそうです。もし指に噛みつかれたら一番良いのはその指をくわえてアリの頭をかみつぶすこと。そうしたらアリの顎はすぐ外れるそうです。ちなみに、アリの大きさは市販の清涼ミントほどで、歯ごたえはカリカリしていて、ほのかにナッツと蟻酸の風味を感じるそうです。軍隊アリは群れで狩りをします。数万個体が集団で獲物に襲いかかるのです。するとその中で“仕事にあぶれたアリ”も出現します。彼らの存在意義は?と著者は観察と思考を重ねます。
 アリは地上と地下にだけいるわけではありません。アフリカツムギアリは“中空”で狩りをします。たとえばサスライアリの行列に対して、木の葉に後ろ足でしっかり身体を固定して上からサスライアリの個体を釣り上げます。ツムギアリの巣は樹上にありますがその製造法はユニークです。働き蟻が幼虫をつかむと幼虫は糸を分泌します。その糸で葉を綴っていくことで巣を作るのです。ツムギアリもグループで狩りをします。本書には自分の身体の何十倍かのサソリを集団で輸送している写真がありますし、著者がカメルーンで観察したコロニーには、トカゲ・ヘビ・コウモリ・トリの残骸があったそうです。脊椎動物もアリの獲物なんですね。
 奴隷狩りをするアマゾンアリ、園芸家として名高いハキリアリ、世界中に侵略しているアルゼンチンアリも豊富は写真とともに詳しく紹介されています。こうなると、我が家の近くにいる「普通のアリ」についても少し詳しく知りたくなりました。彼らの生態にもそれなりの特徴があるはずですから。


「ロスト・ワールド」

2017-01-08 10:36:24 | Weblog

 私が子ども時代に初めて読んだときには『失われた世界』という邦題だったはずですし、21世紀の今では「ロスト・ワールド」と言ったら「ジュラシック・パーク」と返す人の方が多いかもしれません。だけど今日読むのは『悪魔の棲む台地』です。本書が1912年に発表されたときには単に『The Lost World』だったんですけどね。

【ただいま読書中】『悪魔の棲む台地 ──ロスト・ワールド』A・コナン・ドイル 著、 高野孝子 訳、 小学館、1995年、1460円(税別)

 新聞記者のマローンは、恋人にいいところを見せようと「冒険」を渇望しています。そこで上司から与えられたのが「チャレンジャー博士との会見」。この会見自体が「チャレンジ」なんですけどね。
 チャレンジャー教授は「南米に恐竜がまだ生き残っている『ロスト・ワールド』が存在する」と主張。それを確認するために、科学に人生を捧げているサマリー教授、射撃の名手で万能のスポーツマンであるジョン・ロクストン卿、そしてマロリーが南米に出かけることになります。
 やっと目的地であるアマゾン奥地の「台地」に一行は到着。4人は台地に入ることに成功しましたが、そこで裏切りに遭い、4人は台地の上に取り残されてしまいます。さて、そこからが波瀾万丈の冒険活劇です。今読んでもこんなに面白いのですから、100年前の読者はきっと夢中になったことでしょう。
 そういえばアマゾン奥にはギアナ高地が存在していますが、著者はそのことを知っていたのでしょうか。もし知らずに書いていたのだったら、大した想像力です。
 「悪魔」が「実在の生物」をモデルにしている、というアイデアに初めて出会ったのは『幼年期の終わり』(A・C・クラーク)だと思っていましたが、実は本書の方が“先例”だったんですね。いや、これは私にとっては“新発見”でした。
 本書ではスリルとサスペンス、驚異とユーモアの波状攻撃が最後まで途切れません。しかもアマゾン奥地から途切れ途切れにもたらされる手記、という体裁が“現場の臨場感”を盛り上げています。チャレンジャー博士のシリーズを読みなおす気になりました。


騒音対策

2017-01-07 19:10:20 | Weblog

 「静かにしろ!」もありますが「自分が耳栓をする」というのもあります(コンサートや講演会は除きます)。

【ただいま読書中】『「科学者の楽園」をつくった男 ──大河内正敏と理化学研究所』冨田親平 著、 河出文庫、2014年、920円(税別)

 日本を「一等国」にするためには基礎科学に投資を、と高峰譲吉(タカジアスターゼやアドレナリン)は産業界の重鎮渋沢栄一を口説き、産業界から資金を集めようとしました。おりしも第一次世界大戦でてんやわんやのため資金調達は難航しましたが、ドイツからの化学製品の輸入途絶が「化学工業の発達」の重要性を日本に認識させることになります。帝国議会も補助金支出を可決し、ついに「理化学研究所」が発足しました。しかし第一次世界大戦後の不況やインフレ、さらに内部での権力闘争などで研究所の運営は困難を極めました。そんな中で所長を押しつけられたのがまだ若い大河内正敏(貴族院議員)でした。研究のボス格の人間の半数は自分より年上、という状況で大河内は「主任研究員制度」を取り入れます。「物理部」「化学部」といった固定的な縦割りではなくて、主任研究員が割り当てられた予算の中で人を集め資材を調達し、自分が好むテーマの研究を行う、というやり方です。研究室も、理研内に限定されず、予算だけもらって帝大などで研究することも許されていました。創生期の研究員には、長岡半太郎・鈴木梅太郎・池田菊苗など錚々たるメンバーが名を連ね、やがて寺田寅彦も参加します。大河内は“殿様”で、「基礎」「研究」「論文発表」を重視し、“放漫経営”を続けました。基金はどんどんやせ細ります。それを救ったのが、鈴木研究室から生まれた「ビタミンAの錠剤(商品名は理研ビタミン)」でした。当時国民病だった結核の患者は栄養補給のためにビタミンも愛好していたため、「理研ビタミン」は大ヒットとなったのです。鈴木研究室からはビタミン関連商品が次々発売され、さらには合成酒まで生み出されています。
 理研の特徴の一つに「技術の内製化」があります。「これはいける」というアイデアが見つかったら、それを製品化しさらに大量生産する道筋も自分たちで開発してしまうやり方です。合成酒の時に酒造メーカーから足を引っ張られたことを苦い教訓としていたのでしょう。その成果の一つがアルマイトでした。ともかく、「酒蔵の隣にサイクロトン」という奇妙な産学共同体が動き出しました。
 しかし、赤字だと「無駄金食い」と批判され、黒字になったら「財団法人が金儲けとはいかがなものか」と批判されるのですから、困ったものです。
 本書では実に様々な科学者の個性的な経歴と言動が紹介されますが、私に一番魅力的に感じられたのは仁科研究室に集まる人たちです。湯川秀樹や朝永振一郎などが切磋琢磨していましたが、その他にも魅力的な人が次々登場します。ここを読むだけで理化学研究所が「もの」を生み出すだけではなくて「人材」を日本に大量に供給していたことがよくわかります。そうそう、理研に入ってはいませんが田中角栄も理研と“関係”を持っていました。いや、意外な繋がりです。
 意外な人と言えば、武見太郎(後に「ケンカ太郎」と呼ばれた医師会長)も慶應の医局を辞めて仁科研究室に所属していました。理研は日本の歴史も変えています。しかし武見太郎が昭和12年には本と母を疎開させる家を田舎に準備していた、とは、先見の明がありすぎる人だったんですね。
 太平洋戦争が始まり、膨れあがった理研の企業集団は、統制経済と軍需生産の荒波の中で再編成を強制されます。軍需研究の中で最重量級が「ニ号研究」でした。仁科研究室での原爆開発です。昭和16年4月に陸軍が仁科に開発を依頼。仁科がOKの返答をしたのは18年。その間に仁科研究室ではサイクロトロンの建築を行っていましたが、やっと完成しても電力不足で無用の長物となっていました。電力だけではなくて、ウラン鉱石も不足しています。海軍は京都大学で「F計画」と名付けた原爆開発を行っていましたが、こちらは装置設計だけで終了してしまいました。
 ちなみに、原爆開発に成功したとして、どうやってどこを攻撃するつもりだったんでしょうねえ。風船爆弾?
 仁科は広島で現地調査を行い、大河内は貴族院で強硬派を抑制しての終戦工作を行っていました。そして無条件降伏。しかし軍の中には仁科に「地下に潜伏して原爆開発を進めろ」と命令してくる高官もいました(完成できたとして、どこで爆発実験をして、どこでどうやって実戦に使うつもりだったんでしょうねえ)。GHQはサイクロトンが原爆開発に関係していると難癖をつけて破壊、さらに大河内を戦犯として巣鴨に収監します。戦犯容疑はしばらく経つと晴れましたが、公職追放を受け理研の所長は辞任させられます。戦争中も理論研究を続けていた朝永は戦後も研究を続け昭和21年春には朝永ゼミを始めます。さらに理研の企業団は財閥解体で解散。理研は「食える道」をペニシリン生産に求めます。
 繰り返しになりますが、「理研」が生み出した重要なものは「もの」ではなくて「人」でした。湯川秀樹・朝永振一郎のノーベル賞、文化勲章や学士院賞は40名以上。それと「(基礎)科学を軽視する国は、戦争で負ける」という教訓も日本にもたらしたのではないでしょうか。今の政治家たちがその教訓をかみしめているとは思えませんが。


お宝

2017-01-06 07:38:39 | Weblog

 昨年レコーダーを買い換えたら、これがお利口なのかお馬鹿なのか、予約をしていない番組も時々録画していてくれます。その中に「発掘!お宝ガレリア」という番組がありました。日本のあちこちに秘蔵されているお宝、たとえば「社長室にあるお宝」などを訪問して拝見する、という内容です。そこで皆さん、いろいろ熱く語っておられますが、この番組をそのまま「開運!なんでも鑑定団」につないだら、もっと面白くなるかも、なんて意地悪なことを思ってしまった私はやはり意地悪なんでしょうか?

【ただいま読書中】『北京の長い夜 ──ドキュメント天安門事件』ゴードン・トーマス 著、 吉本晋一郎 訳、 並木書房、1993年、3107円(税別)

 1991年湾岸戦争前夜から本書は始まります。アメリカは多国籍軍で戦端を開こうとしていました。しかしイラクに対して軍事援助を積極的に行っていた中国が安保理で拒否権を行使する可能性があります。そこで「切り札」として持ち出された(あるいは「持ち出すぞ」と示唆された)のが「天安門事件」でした。ただしこのカードは、現状維持が得策の西欧諸国にとっても取り扱いに注意が必要なカードでした。巨大市場としての中国は、損なってはならない既得権益および未来の利益だったのです。つまり「天安門」は「中国側の切り札」でもありました。
 鄧小平の改革開放政策は、大学生の間に民主主義を求める動きを起こしていました。それに理解を示していた胡耀邦は保守派の巻き返しで失脚。学生たちはアメリカの支援(特に中国に理解のある次期大統領のブッシュ)に期待しつつ民主化運動を進めます。
 チベットには二七軍が配置され、ゲリラの掃討を行っていました。大学で反革命思想にかぶれてしまった弟を案じる兄は、反動分子・反革命分子のチベット人に銃を突きつけています。
 「アメリカ(ホワイトハウスやCIA)」「中南海(中国の要人の住み処)」「中国の大学」「チベット」などが映画のカットバックのように次々読者の目の前に登場して、短いドラマを演じてすぐ次の場面に移っていきます。その積み重ねの中で、政治的に緊張がどんどん高まっていくことがわかります。まずチベットで大量殺戮が行われます。北京では胡耀邦が心臓発作で急死。弔意を示すため、そして政府に抗議するために、天安門広場に学生を中心とした人々が集まり始めます。その中には、多数の中国公安のスパイやCIAなどの外国諜報機関の工作員も混じっていました。学生たちは「民主主義を実現せよ」と連呼します。はたして皆が民主主義がいかなるものかを理解していたかどうかは不明ですが、何万人ものシュプレヒコールは中南海に緊急事態であるという認識をさせることになりました。しかし、中国政権内部の複雑な権力闘争のため、しばらく様子を見ることになってしまいます。様子を見ることにしたのは、諸外国も同様でした。学生たちは外国からの支援を期待しましたが、それは一切やって来ませんでした。そして鄧小平はついに「暴乱」に対する「雑草刈り」を決断します。
 1989年4月27日(木)デモが始まって12日目、三八軍は北京の地下道路網に展開します。学生たちに急襲をかけることが目的で、武力の使用は最小限と定められましたが、兵士は全員突撃銃で武装していました。地上では警官隊の非常線が非武装の学生たちに各所で突破されました。三八軍がついに出動しましたが、兵力はわずか千。数十万の群集に抗する術はなく、整然と撤退するしか手はありませんでした。それで学生たちはさらに意気軒昂となります。          
 ブッシュは閣議を繰り返します。彼はある程度北京官話が理解できるのでCNNの画面から直接情報を得ることができていました。しかし、学生に支援を表明することは、1週間後のゴルバチョフ訪中を台無しにする恐れがあり、またこれまでの莫大な対中投資を無にする恐れもあります。だからブッシュは静観を決め込みました。
 5月12日、学生の中から志願者(各大学から約400人)がハンストを開始します。ハンストの場所は、2日後にゴルバチョフの歓迎式典が開かれる予定地です。ハンスト参加者を守るように学生たちが円陣を作り、それをさらに市民が取り巻きました。その数、おそらく100万人(天安門広場は100万人が収容できるように設計されていて、そこが人で一杯になっていたことからの推計でしょう)。
 “終わり”が近づきます。ハンスト参加者の体力も、趙紫陽の党総書記としての役割も、中国政府の“忍耐”も、天安門広場の周辺に作られたトイレ(溝を掘ってテントをさしかけたもの)も。政府の意見は強硬手段でまとまりますが(だからチベットから二七軍の一部が北京に再配置させられました)、学生の意見は分裂し始めます。
 ゴルバチョフは不機嫌のまま帰国します。アメリカのテレビ取材班と長時間過ごした学生指導者には、言動に変化が生じます。広場目指して進軍する人民解放軍の前に、パジャマ姿の市民がたちふさがります。全国で20の都市で「暴乱」が起きています。
 6月3日(土)“長期戦”で疲れたために人がずいぶん減ってしまった広場に、正体不明の注射(麻薬?)を打たれ「命令があれば、射殺せよ」と命令された部隊が、投入されます。本書にはアメリカ人の目撃者の「兵士の列が膝撃ちをし、立ち上がって数メートル前進してからまた膝撃ちをした」、あるいは中国人の「撃たれた人の悲鳴を聞いても笑いながら射撃をしていた」という証言があります。救急車が重傷者や遺体を病院に運び込みました(その救急車が撃たれた、という証言もあります)。北京37箇所の病院でその夜だけで入院後に死亡または入院時にすでに死んでいた人は総計4000人。これに路上に放置されたままの死体を加算したら死者数がわかるはずですが、軍隊が死体を積み重ねてガソリンをかけて(あるいは火炎放射器で)路上で“火葬”してしまったので、総数は不明です。さらに病院に行かず、あるいは一度入院しても当局に逮捕されることを恐れてすぐに退院した人たちがその後死亡したかどうかも不明です。人民日報には「軍は人民を誰一人殺さなかった。逆に、将校・兵士・警官が4人残忍にも殺された」と発表されました。そして、一斉検挙と言論弾圧が始まります。
 しかし、イラクがクェート侵攻に使った武器に中国製のものが多かったとか、“ついで”にリチウム6重水素(水爆の材料)も大量に中国から輸入していた、と聞くと、「それでいいのか?」なんてことも思いますね。それと、国内での言論弾圧が現在も継続中であることを世界各国が放置していることも。


脳科学者の謎

2017-01-05 06:31:15 | Weblog

 テレビによく出てくる「脳科学者」は、「脳の何」の専門家なんでしょう? 解剖?生理?病理?心理?遺伝子? ついでに、左脳と右脳のどちらの専門家なんでしょう?

【ただいま読書中】『「左脳・右脳神話」の誤解を解く』八田武志 著、 化学同人、2013年、1600円(税別)

 「脳には左右差がある」は1861年ブローカが発表しました。左大脳の障害によって言語障害が生じる、逆に言えば言語中枢は左にある、という内容です。それから100年後、「離断脳(大脳の左右を手術で離断したもの)の研究」から「左右の脳の違い」が広く言われるようになりました。ところが「左右の脳がそれぞれ独立した役割を果たしている」という誤解が世間に蔓延することになります。そういえば昭和の末頃でしたか「左脳は言語・論理を処理し、右脳は画像処理を行う」なんてことが盛んに言われていましたっけ。ところがその主張の根拠となった「離断脳に対する実験」が、原論文の実験計画が怪しかったり、きちんとした論文でもマスコミがそれを歪めて報道したりで、どうもエセ科学的な主張が蔓延していたようです。
 脳に「左右」があることは古くから知られていましたが、その「機能」については長く不明のままでした。そして左右をつなぐ「脳梁」は「左右をつなぐ構造物(だから「梁」)であって、大した機能は無い」と信じられていました。それを丁寧な動物実験で追究したのが1950年代のシカゴ大学のマイヤースとスペリーで、動物の脳梁を切断して離断能動物を作りその機能を研究することで「左右の脳は別々のもの」であり「脳梁は左右の脳の情報を伝達する重要な機能を持つ」ことを明らかにしました。手術された動物は、ネコやサルですが、オックスフォード大学ではタコが手術されています。そして話は人体へ。脳腫瘍手術やてんかんの外科治療で脳梁を切断された人を対象に研究が行われるようになったのです。
 著者は「そろばん熟達者」の研究を行っています。「数」は「言語材料」なので左脳で処理されますが、そろばん熟達者が暗算をするときには脳内にそろばん(またはそろばんに似たもののイメージ)を置いてそれで計算をします。ということは、右脳を活用してそれを左脳が利用する、ということになります。ここで「本当に脳内にそろばん(のイメージ)を置いているのか」から実験で確認するところが科学的です。それから「イメージを使った数処理」を本当に右脳で行っているのかどうかの確認です。すると、右脳の活動を左脳が利用している、つまり、そろばんが上手になることで脳の機能が変化しているらしいことがわかりました。
 そういえば「日本人の脳は外国人の脳とは違う(虫の音を日本人は左脳で,西洋人は右脳で処理する、といったもの)」という主張もありました。著者もその研究について調べていますが、学術論文が存在しない・それを主張する角田が「日本人」も「違い」も定義していない、さらには自身で角田の主張を厳密に追試した結果などから、「角田理論」を否定しています。しかしマスコミは「角田理論」に飛びついて大騒ぎし、それを否定する論文の存在は無視しました。1990年に立花隆がこの話を蒸し返し、「科学朝日」上で議論が行われました。しかし、批判に対する角田の反論が要するに「自分の主張に合うように母集団の条件を揃えたら、自分の主張通りの結果が出る」であるのには、私は唖然とします。だってそれは「科学」ではありませんから。集団を相手に実験をする場合の「母集団」でとても重要なのは実験者の恣意や主観が入らないように「ランダマイズ化」されていることです。それを無視した「科学的主張」はエセ科学の範疇なのです。
 ベストセラーになった『右脳革命』も訳書と原書に当たって著者は検討していますが、「創造性」を強調している割に「創造性とは何か」の詳しい記述がなく、飛躍や誇張が目立つそうです。それでも論文を数百丁寧に読み込んで「左右の脳のバランスが大事」という結論を得ています。ところで原書では「右脳を鍛えたら創造性が高まる」という記述はないそうです。それは翻訳書の“オリジナル”。しかし「神話」は確立し、ひとり歩きすることになりました。たぶん今でもこの神話を信じている(すでに訂正されていることを知らない)人は今の日本には多いはずです。
 マスコミは売れるとなったら何にでもわっと飛びつきますが、その後のフォローをやらないのは無責任に感じます。こんなことを言っても、蛙の面に小便でしょうけれど。おっと、蛙に失礼でした。


実験と料理

2017-01-04 07:02:58 | Weblog

 理科の実験と料理は、よく似ています。「分量」「手順」「時間」を正確に守れば、誰が何回やっても大体似た結果が出ます(というか、正確さを欠いたら悲惨な結果になります)。ただ、マニュアル通りにやれば誰がやってもまったく同じになるか、と言えばもちろんそうではありません。実験の名手や料理の名人が出す「結果」は、平凡な人間には絶対に真似できないものです。あれ、どこがそんなに違うんでしょうねえ。

【ただいま読書中】『料理と科学のおいしい出会い ──分子調理が食の常識を変える』石川伸一 著、 化学同人、2014年、1700円(税別)

 物理学・化学・生物学・工学などの最新の知見や新しいテクノロジーを調理に取り入れ、これまでにない発想で素材を加工する「分子調理」が注目されています。食品分子がどのような性質を持つかを把握し、それにどのような加工をしたらどう変化するかによって「料理」を導き出す方法です。
 味・香り・色などをそれぞれ分子レベルで解析してマッチングを探るのは、まるで冒険小説を読んでいるような印象でもあります。ただ「科学」を重視するか「調理」を重視するか、によって“流派”があるのだそうです。
 「メイラード反応」というと馴染みがない人もいるでしょうが、「焼くと焦げ目がつく現象」のことです。メイラード反応では、抗酸化性は高まり(だから保存性が高まる)、リジンは減少し(だから「栄養」は下がる)、ヘテロサイクリックアミン酸(発癌物質)が生成されると同時に抗癌物質も生成されます。
 「酵素反応」も重要です。特に熟成では複雑な酵素反応が進行することで、様々な風味分子が生み出されています。この反応を応用して、新感覚の料理が誕生する可能性があります。
 「科学による料理」というとなんだか妙な気分にもなりますが、「昔からの言い伝え」「師匠の教え」を墨守することが一番大切なのではなくて「美味しい料理を作り出す」ことの方が「食べる側」から見たら大切なことに思えます。「科学」はそのための「手段」。料理人のすべてが分子調理に走ってくれる必要はありませんが、できたら「伝統に則った正統的な料理」と「一見新奇だけれどまっとうな努力によって生み出された新しい潮流の美味しい料理」の両方が楽しめたら嬉しいな。


スマートなスポーツウォッチ

2017-01-03 08:34:31 | Weblog

 駅伝やマラソンのシーズン真っ盛りです。選手は時々自分の腕時計を見てペースを確認していますが、これを、GPSと時計の組み合わせで、スマートウォッチであらかじめ「自分のペース」を設定していたら、自分のペース管理が非常に楽になるでしょう。ついでに触圧でペースから遅れているか早いかを教えてくれるようになったら、腕時計を見る必要さえなくなるので走ることに集中できそうです。

【ただいま読書中】『魚で始まる世界史 ──ニシンとタラとヨーロッパ』越智敏之 著、 平凡社、2014年、800円(税別)

 メソポタミア文明で魚は豊穣の象徴でした。「豊穣」は「生命」「エロス」とも結びつきますが、その“伝統”はフェニキアやローマにも受け継がれます。そしてキリスト教にも(新約聖書には「大漁」や「魚を増やす奇跡」があります)。
 中世のキリスト教では、「金曜日は断食日」でした。また「四旬節(レント)」も(40日間の)断食期間です。ただし魚は除外されています。つまりヨーロッパのキリスト教徒はけっこう魚を食べていたわけ。しかしその「決まり」をヨーロッパ全域(特に内陸部)に徹底するためには、「漁獲」「保存」「運送」がすべて成立しなければなりません。特にレントの期間は大変です。中世の前半にはウナギが大きな役割を果たしていましたが、後半にはニシンとタラが“主役”になりました。どちらも大量漁獲と保存手段の確立によって、教会の主張を支えたのです。
 ニシンは不飽和脂肪が多くて酸化しやすく、日干しには向いていません。14世紀に「塩漬け」という手法が確立し、ニシンは「保存が利く魚」になりました。「塩漬け」は同時に漁船に変革を求めます。大量の樽と塩を搭載でき、捕獲したニシンを即座に内臓を抜いて樽に塩漬けする作業ができる「デッキ」が必要になったのです。オランダは国家事業として北海でニシン漁を行い、巨万の富を蓄えます。それを指をくわえてみていたのがイギリスの漁民で、その不満がやがて「領海」の概念につながっていきます。
 「ストックフィッシュ」は、天日で何ヶ月もかけて干したタラで、非常に固いことで有名で、食べる前にはまずハンマーで入念に叩きさらに一晩水につけて戻さなければならないものでした。10世紀より前にノルウェイで作られるようになり、ヴァイキングの長期間の航海を支えました。「日干し」は場所を選ぶため、やがて「塩タラ」も作られるようになりますが、塩が豊富なフランスでは塩分たっぷりの塩タラ、塩田があまり無いイギリスでは甘塩の干物の塩タラ、というお国柄が生じました。特に保存性が高い塩タラは赤道を越えても食べることができ「大航海時代」を支えることになります。
 「メイフラワー号」の人々は、タラ漁で有名なプリマスから出発して北米のニュープリマスに到着しました。偶然そこもタラの豊かな漁場でしたが、装具不足と持ち込んだ種子が土地に合わなかったため入植者は飢えに苦しむことになります。それを救ったのはネイティブ・アメリカンですが、それはまた別のお話です(一昨年読書した『クジラとアメリカ ──アメリカ捕鯨全史』(エリック・ジェイ・ドリン)にも「メイフラワー号」が登場しましたっけ)。
 ヨーロッパ人は肉が主食、となんとなく思っていましたが、魚も実は非常に重要だった、というのは面白い指摘でした。「食」は歴史を動かしていたし、魚も目立たないけれどちゃんとその役割を果たしていたんですね。


未来志向

2017-01-02 08:13:18 | Weblog

 いつまで謝罪を続ければいいんだ?
         ──東電

【ただいま読書中】『福島第一原発廃炉図鑑』開沼博 編、太田出版、2016年、2300円(税別)

 福島第一原発(1F)で「実際に何が行われているか」についての「図鑑」です。文字だけではなくて、写真や漫画まで活用して、「イメージだけで語ること」ではなくて「まず知ること」が優先されています。
 本書では「フクシマを巡っては『言葉の空白化』『魔術的な言葉遣い』『エセ科学』が横行している」ことに対して「きちんとした『批評』」を対抗軸として建てる、そのためには「現実を言語化する」ことが重視されているように私には読めました。かつて「科学」が「百科全書」と「(系統的な)分類」を源流として成立したように、「フクシマ」もまた「図鑑」と「科学」によって位置づけられるべきではないか、と主張しているように感じられるのです。だから「1F廃炉最大の問題」は「何を知らないか、そのこと自体を知らず、マスコミに断片的に報道された情報あるいはネットでの怪しい噂によって形成され固定化されたイメージによって『1F』を語ること」になります。
 だからといって、すべての人が福島に押しかけて「現実」を知ることはできません。そんなことをしたら現地に迷惑ですし「すべてを知る」ことはできません。だから本書を「入り口」にして「情報収集」と「知識の整理」と「自分の考えを構築すること」を粘り強く続けることが「1Fに対する態度」としては望ましいことになるでしょう。「無知」と「無理解」は「理不尽な恐怖心」をもたらすだけで、それだと「化け物を怖がっていた昔の人」と何ら変わらない心性のあり方になってしまいます。だけどそういった「恐怖心」は「廃炉」を進めるためには障害物となります。だから本書は「無関心層」「無理解層」に向かって情報発信することを目的としています。
 まずは「廃炉の定義」から。本書では「すべての廃棄物(核燃料、建屋、除染土、汚染水、装備品など)の処理」「周辺地域の産業やコミュニティの再構築」と定義されます。実はこの「定義」さえあいまいなまま「廃炉」について発言する人が多くいるのだそうです(もちろん独自の定義に基づいて発言するのは自由ですが、その場合は「自分の定義」を先に明示しておかないとフェアではないでしょう)。
 「汚染水」に関して、当初は大変でしたが、「ALPS」が稼働し始めて状況はだいぶ落ちついてきたそうです。「ALPS」もぶっつけ本番で現場で組み立てられて稼働させられたため最初は初期不良が出まくり、マスコミは大喜びでそれを報道しましたが、順調に稼働し始めたらそれは報道しません。実際にはALPSは62種類の核種が除去できるが、トリチウムだけは除去できないので「トリチウム水」をどうするかという問題点をきちんと議論する必要があるんですけどね。「凍土壁」については、本書では中立的に扱われていますが、私は懐疑的です。「電気が必要」「効果を確認するのが困難」「長期間の確実性が無い」「ここまで大規模な工事の実績が無い」ことが「懐疑」の根拠です。ついでに「濃度が低ければ海洋放出はOK」という考え方に私は反対です。「濃度さえ低ければOK」と言えば必ず「薄める」人が出てきます。これだと「総量」は変わらないことになってしまいますから(かつての高度成長の「公害」の時代に、実際に「化学物質で汚染された排水を水道水や川の水で薄めて環境基準“濃度”をクリアする企業」が存在しました)。
 意外な「放射性廃棄物」もありました。事故当時1F構内にあった自動車は汚染されたため現在は構内専用車として使われています。これが廃車になると、まるごと「放射性廃棄物」になるわけです。どう「処理」します? 本書には「全国から寄せられた千羽鶴」が1F内に飾られている写真もありますが、これもそのまま「放射性廃棄物」になるんですよね。
 デブリ(溶け落ちた核燃料)の取り出しもまだまったく未解決の大問題です。ただ、全自動のロボットなどを開発できたら、それはたとえば大災害の時の救助とか宇宙開発への応用も効きそうです。かつての「アポロ計画」と同等に、とまでは言いませんが、もっと熱心に予算をつぎ込んでも良いのではないか、と私には思えます。
 「オンサイト(1F構内)」の作業員に弁当を届けているのは、2015年春大熊町に作られた給食センターで、昼は1800食・夕は200食を届けているそうです。東電が運営にかかわっているので、ガスは使わずオール電化というのが笑えます。食材は可能な限り福島県産を使う原則で、現在全体の3割くらいが福島県産だそうです。
 オンサイトの作業を順調に進めるためには、オフサイト(1F周辺)の環境も重要です。現時点で3万人くらいの人間が周辺に住んでいますが、今から帰還してくる住民がそこに加わります。
 1Fから20kmのところにJヴィレッジがあり、作業の中心基地として機能していましたが、2019年にはサッカーに返されるそうです。毎年毎年「あと40年」と言われているような気もしますが、少しずつですが「廃炉」は進んでいるようです。