瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

ドリーミングとあの世

2025年03月29日 | 読書日誌
近代科学の前提は、私たちの意識やこころも、脳の神経細胞という物質が起こす化学的・電気的な相互作用によって生じるという唯物論であり、まして物質的世界を超えた次元など断じて認めない。この世界の基盤は「物質」であって、それが物理・化学的に相互に作用しあうことによって複雑な生物も、そして意識や精神さえも生まれるのであり、まして物質世界(この世)が それを超えた別次元(あの世)とつながっているなどという見方自体が成り立つはずはないと考えるのが近代科学だ。

ところが心理学や心理療法の分野では、こうした近代科学の前提に立ってたのでは説明できない症例や事象が多く見られ、それに対する療法も含めて、膨大な研究が積み重ねられている。そしてとくに「あの世」と「この世」は「いまここ」でつながっているという見方に立たないと説明がつかない多くの事例や症例が蓄積されいる。さらに現代物理学、とりわけ量子力学とさえ関係づけられて理論化もなされているのが「プロセス指向心理学」なのである。

その創始者であるアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell、1940-2024年)は、アメリカ合衆国の心理学者である。彼は、アメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学の大学院で理論物理学を学び、追ってスイスのチューリッヒ工科大学で学んだ。さらにチューリッヒにあるユング研究所で分析心理学を学んで、ユング派分析家となった。その後、身体症状は夢に反映されており、その逆もまた真であることを発見して「ドリームボディ・ワーク」を提唱するようになり、さらにそれを発展させて「プロセス指向心理学」と呼ばれる一分野を創始し、世界的に注目されるようになった。

ミンデルは、ユング派分析家として患者の治療を行う中で、夢で見たイメージが身体の症状や動きと関連していることを気付いた。これにより、夢だけでなく、身体的な違和感や病気も「深層心理からのメッセージ」として扱うようになった。、身体症状を身体の見る「夢」と捉えて、身体に夢と同じ象徴的なパターンをもった「プロセス」が起こること、またその「プロセス」の意味に「気づく」ことが大事であると考えた。 また、その夢や身体症状といった「プロセス」を作り出している根源を「ドリームボディ」と呼んだ。

彼は、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その関連性、つながりを注視する。身体の症状も夢と同じように無意識からの創造的な発現であり、それゆえあらゆる夢は何らかの形で身体の状態とつながっている。夢に意味があるように身体に起こっていることにも意味がある。病気には夢と同様に重要なメッセージが含まれているのだ。ドリームボディ(つまり夢=身体)における夢と身体との関係には、どちらかが原因でどちらかが結果というよりも、たがいに鏡のように相互に反映しあう関係である。夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけたのである。

身体症状は、医者が治療すべき病理現象にとどまるものではない。それはたんに生理的、病理的な疾患である以上に、深い意味や目的をもっている。それゆえミンデルは、夢と身体的症状の背後にある意味をともに重視し、その意味を探る。プロセス指向心理学は、このドリームボディに付き添い、その本来のプロセスが展開するのを手助けする。それがドリームボディ・ワークであり、プロセス・ワークである。身体症状と夢との関係や、それらの深い意味が解き明かされると、それが重要な気付きとなり、人を自らの存在の中心に驚くほど近づくことになる。それは人間としての成長を意味し、臨死体験者の多くが人格を変容させ、人格を変容させるという事実と深いところで通じ合っている。

実はミンデルは、かなり早い時期からいくつかの著作のなかで臨死体験にも言及している。臨死体験を主題として扱うことはなかったが、この現象に言及することはかなり多かった。さまざまな病気きや身体症状、さらに人生のさまざまな苦難は、ドリーミングボディからの呼びかけであり、挑戦であったが、臨死および「臨死体験」においてその呼びかけはひときわ高まるのである。

ミンデルは次のようにいう。「ドリームボディの意識は、臨死においてもっとも劇的に高まる。生身の体を失う恐れにより、ドリームボディのスピリットは、自らを今までになく強烈に表現せざるを得なくなるのである。多くの場合死の恐怖は、人々が強制されないかぎり考慮することのないドリームボディに、無自覚であることからくる。」DB223

つまり病気も人生のさまざまな困難も、そして臨死も「臨死体験」も、ドリームボディないしドリーミングボディからの呼びかけという意味では一貫しているのだ。その呼びかけに気づき、それを真摯にうけとめることによってパーソナリティの成長や、「古い自己」を超えての全体性の回復が得られる。臨死体験によって体験者が精神的に成長するのと同じ意味で、人生の過程で出会うさまざまな困難からの呼びかけによっても、私たちは古い自己から脱皮し得るのである。ドリーミングからの呼びかけと、それに応じることでの成長という意味において、夢、病気、人生の様々な問題、そして臨死体験は同じ意味をもっているのだ。

さて、この稿での課題は、「この世」と「あの世」とは時間的・空間的にわかれているのではなく、実はつながっているいう観点から、臨死なき「臨死体験」という現象を捉えなおすことであった。たとえ死に瀕していなくとも、かなりの人々が「臨死体験」と本質的に変わらない体験を報告する。これをどう解釈すればいいのか。人々が抱く素朴な見方のひとつは、いわゆる臨死体験とは、死「後」の世界をかいま見た体験だというものだ。そこには「この世」の後に「あの世」が続くという前提がある。そうした前提からすれば、死に瀕してもいないのに「臨死体験」をしたという報告は信じ難いだろう。

しかしそのよう前提に捉われずに発想を転換するなら、まったく別の視点が開かれる。ミンデルの長年にわたる実践と研究は、そうした別の視点から臨死なき「臨死体験」を理解することの妥当性を、強力に示唆する。

私たちはこの肉体をもって空間と時間に制約された物質的次元、つまり「この世」に生きているが、しかしもし誰もがこの肉体的、物質的な制約を超えた別の次元、つまり「あの世」に開かれているとしたらどうか。そしてさまざまな身体症状や人間関係の諸問題を通して、「あの世」からの呼びかけを受け、パーソナリティの成長を促されているのだとすれば。

ミンデルは、人間の背後にドリーミングと呼ばれる広大な無意識領域があり、そこからの働きかけが個々のドリームボディとなり、身体に夢や病気を引き起こすのだと考え、その発想からプロセスワークを生み出し、多くの成果をあげた。彼は、アポリジニーの表現を借りてドリーミングを、月の暗い部分にたとえる。明るく輝く半月をよく見れば、静かにゆらめく暗い部分を見ることができるが、多くの人々はその暗い部分を見逃している。明るい部分にのみ焦点を当てることで、暗い部分を無視し、存在しないと思い込んでしまう。しかし月が全体であるには暗い部分も不可欠なのだ。同じように日常的現実にしか焦点を当てなければ、ドリーミングは無視される。それは、人生の半分を見逃すのと同じなのだ。ドリーミングの力はまさに「今ここ」に存在していて、さまざまな微細な仕方で私たちに呼びかけ、気づきをもとめている。24dwa5
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ヴィパッサナー瞑想は思考からの解放の道

2025年03月26日 | 読書日誌
瞑想には、止(サマタ瞑想)と観(ヴィパッサナー瞑想)があり、心をひとつのものに集中させ統一させ、サマーディを完成させようとするのがサマタ瞑想だ。たとえば呼吸や数を数えることや曼陀羅に集中したり、念仏に集中したりするのはサマタ瞑想だ。

これに対してヴィパッサナー瞑想は、今現在の自分の知覚や心に気づくというサティの訓練が中心になる。そしてサティをするには、気づいたことに短い言葉を使ってラベリングすることが有効だ。

たとえば寝床に入ったとき、私はしばらく腹の動きにサティし、「膨らみ」「ゆるみ」とラベリングし続ける。そのうち注意が他の対象にそれる。手のちょっとした痒みだったら「痒み」とラベリングしつつサティをいれる。さらに注意がそれて何かを考えていることに気づいたら「思考」とサティを入れて、再び腹の動きへのサティへと戻る。

最近のこうしたヴィパッサナー瞑想を少しづつ復活させている。当然のことだが、ヴィパッサナー瞑想のサティを続けていると心の中の独り言、半ば無意識的な思考が少なくなる。つまり日常的なサティを続けていれば、エックハルト・トールが言うように「思考が注意を独り占めすることがなくなる。思考と思考の間にギャップ、つまりスペース、静寂が生じる。するとあなたは、あなたが思考よりもどれほど巨大で、どれほど深いかということに気づきはじまる。」

かなり長いこと、日常的なサティをおろそかにする年月が続いた。しかし脳内の半ば無意識的な思考こそが「自我」の本体であるなら、思考から少しでも自由になるという意味での、サティの継続は、この上なく大切であることに改めて気付いた。

エックハルト・トールのStillness Speaks(『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)の中にこんな言葉があって、かなり印象を受けた。

The human condition: lost in thought.

「人間の条件:思考の中で迷子になること」とでも訳すのだろうか。「思考の中で自失すること」「思考の中で迷うこと」などという訳も可能だろうか。いずれにせよ。英語で読んだときの「まさにその通りだ」という印象は薄れる。

私たちは、思考するがゆえに迷っている。自分の心を占領しつづける愚かしい無数の思考に気づけば気づくほと、思考の中に迷っているのが私たちであることは、ますます分かる。ヴィパッサナー瞑想のサティは、その無数の思考に少しでも気づきを入れるのに有効な手段なのだ。
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思考という枠組みを超え出た宇宙

2025年03月25日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

When you step into the Now, you step out of the content of your mind. The incessant stream of thinking slows down. Thoughts don't draw you totally. Gaps arise in between thoughts ---- spaciousness, stillness. You begin to realize how much vaster and deeper you are than your thoughts.

「『今』に立ち入るとき、頭の中の思考から踏み出ることになる。たえず考え続けていた思考の流れが、スローダウンする。思考が注意を独り占めすることがなくなる。思考と思考の間にギャップ、つまりスペース、静寂が生じる。するとあなたは、あなたが思考よりもどれほど巨大で、どれほど深いかということに気づきはじまる。」

瞑想とは、頭の中の思考から踏み出して「今」に立ち入るための有効な方法なのだともいえる。座禅では、吸う吐くという呼吸の「今」に意識を集中する。ヴィパッサナー瞑想では腹の膨らみ緩みという動きに意識を集中する場合が多い。いずれも、たった今の身体の動きに意識を集中することで、脳内の声、半ば無意識的な思考から自由になろうとする。瞑想において、身体の即今即所の動きに意識を集中することの大切さを、自分自身改めて確認したいと思う。

そうした瞑想の実践によって、自分でコントロールが難しい、無意識的な思考の流れを断ち切ることが容易になれば、そうした思考の流れと一体化した「自我」という枠を超え出る可能性も高くなる。頭の中の思考の連続やその蓄積が「自我」を形作っている。それとの一体化、同一視から自由になればなるほど、「あなたが、思考よりもどれほど巨大で、どれほど深いかということに気づきはじまる。」

脳内の、半ば無意識に次から次へと湧いては消える思考から自由になれ。そうした思考と一体化した「自我」から自由になれ、「自我」という牢獄から解き放たれると、そこには想像もしなかったような広く深い宇宙が広がっている。
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エゴは願望と恐れに基づいた人間関係しかつくれない。

2025年03月24日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

As long as the ego runs your life, most of your thoughts, emotions, and actions arise from desire and fear. In relationships you then either want or fear something from the other person. (P90)

「エゴが人生を支配するかぎり、思考や感情や行動のほとんどは願望と恐れから生じる。その結果、人間関係においても、相手に何かを求めるか、相手の何かを恐れるかの、どちらかなのである。」

しっかり自分を観察するならば、エックハルト・トールのこの言葉を認めざるをえない。私の人間関係においても、悲しいかな結局は、相手に何かを求めるか、相手の何かを恐れるかのどちらかでしか存在しない。

日常の中で湧き起こっては消える、心のなかの独り言(思考)のほとんどは、半ば無意識に続いていく。あまりにめまぐるしく転変していくので、数秒前に考えていたことすら覚えていないことも多い。覚えていないだけでなく、自分が思考していたという自覚すらない場合が多い。そして、そういう内的な独り言に少しでも気づくようになると、そのつど湧きあがる思考や感情が、ほとんど自己中心的な願望と恐れからなっていることが分かる。

だから、思考が湧いた一瞬一瞬に気づきをいれることで、半ば無意識に続いていく思考の流れを少しでも多く客観視できるようになれば、それは、無意識の思考の集積いよって形作られている自分という意識(エゴ)とは違う視点を獲得したことになるのだ。最初は、その新な視点そのものがエゴの影響から抜け切れず、しかもすぐに失われてしまう心もとないものかも知れない。しかし、その視点が少しでも継続的になり、確たるものになっていけば、それだけエゴの視点から抜け出したことを意味するのだ。
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「自己」を超える視点

2025年03月20日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

When each thought absorbs your attention completely, it means you identify with the voice in your head. (P29)

「もし、ひとつひとつの思いに、完全に注意を奪われてしまっているなら、それは頭の中の声と自分とを同一視していることを意味する。」

When you recognize that there is a voice in your head that pretends to be you and never stops speaking, you are awakening out of your unconscious identification with the stream of thinking. (P29)

「『まるで私自身であるかのように振る舞う、頭の中の声があって、話すのを少しも止めない』ということに、あなたが気づくなら、思考の流れを無意識のうちに自分と同一視することから、目覚めようとしていのだ。

「頭の中の声と自分とを同一視している」とも言えるし、頭の中の声が「私」という観念、ないしエゴを作っているともいえる。頭の中の声(思念)と自分を同一視しながら、頭の中の声は自分のコントロール下ににない。次から次へと連続する声(思念)は、私自身にコントロールできない無意識領域からやってくる。だからこそ、思考の発生から消滅までを見きわめることができれば、それは「私」を客観的に見る視点を得ることにつながる。

◆心になぜ様々な思いが生じてくるのだろうか。とてもシンプルな問いだが、その意味はかぎりなく深い。人は、生きているかぎり様々なことを思う。それは、自分の思いであり、自分の自由意志で様々なことを思念しているように感じられる。しかし一方で思念は、かぎりなく自分コントロールを超えているようにも感じられる。自分でも気づかぬうちに思いがどんどん展開していくし、数秒前に考えていた内容を忘れている場合もある。自分が今、なぜこんなことを考え始めたのか分からない場合も多い。私たちは、ほとんど無自覚的に無数の思いを繰り返しながら人生の大半をすごす。思いに振り回されながら人生を送っていると言ってもよい。

そんな思考の動きを客観視することが少しでもできるようになるなら、それは思考の連続によってなりたつ「自己」という観念を客観視することをも意味し、「自己」とは少し違う視点をもつことにもつながる。



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アーノルド・ミンデル『昏睡状態の人と対話する』を再読

2025年03月19日 | 読書日誌
アーノルド・ミンデルの『昏睡状態の人と対話する』を再読した。再読と言っても読んだのは2003年、22年も前だ。再読して『臨死体験研究読本』の改訂版を書くにあたっても重要な本であることを確認した。

Coma: key to awakening. Boston: Shambhala.(1989). (翻訳書『昏睡状態の人と対話する』2002年)は、ミンデルの活動の中期から後期に属する著作である。彼はこの著作のなかで次のように言う。
「過去二十年間、死の過程にある人とのワークは、私の日々の心理療法の比較的多くを占めていたが、最近まで臨死体験について書くことを控えてきた。正直にいうと、ここで提示されるワークのあまりの特異さのために、私のさまざまな体験と死のプロセスを関連付けることをためらってきた。」

さらに「つい最近まで、人生の終末期におけるプロセスに、私は、あまりに衝撃を受け、驚き、感動し、物も言えぬほどびっくりしていたために、疑心に満ちた反応を受けることを恐れ、そういった体験を記することができずにいた」とも言う。

しかし、この本で示されるような昏睡状態の人々とのワークや臨死状態の人々とのワークにおける一連の出来事によって臨死について本格的に調査、研究をせざるをえなくなったという。

心理療法家としての彼の中心的な関心は、「人間に備わったプロセスにしたがうこと」「私自身や他の他の人々が自分自身を実現するのを援助すること」であった。そのためのワークに日々取り組む中で彼は、さまざな宗教が死後の生に属すると考えてきた「永遠の体験」が、「間違いなくこの生で経験することができる」と考えるようになったという。

彼は、アメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学の大学院で理論物理学を学び、追ってスイスのチューリッヒ工科大学で学んだ。それゆえ彼は物理学者として理論的には世界の相対性、つまり空間・時間等の概念の相対性を理解していた。しかしプロセスワークの実践によって、とくに昏睡や臨死の状態にある人々とのワークによって終末期のプロセスに深く関与するにつれ、時間空間概念の相対性や非局在性といった現代物理学の概念が、実践で得た知見と結びつくようになったという。
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苦しみという恩寵、ミンデルを通してその深い意味を確認した

2025年03月19日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

Even within the seemingly most unacceptable and painful situation is a deeper good, and within every disaster is contained the seed of grace.(P70)

「一見もっとも受け入れがたく苦痛に満ちた状況の中でさえ、より深い意味の善が存在し、あらゆる災難の中にも恩寵の種が隠されている。」

以前、エックハルト・トールのこの本の印象に残った部分を抜き出し、感じたことを書くという作業をこのブログで続けていた。上もその一つである。今後、これを再開しようと思っている。自分の英語学習のためにも。

今、『臨死体験研究読本』の改訂版を書くためにアーノルド・ミンデルの本を読んでいると、上の同じ文章でも、以前とは少し違う受け止め方ができる。「どんなに苦しい状況のなかにも何らかの意味がある」という見方は、スピリチャルな世界ではよく知られた見方だ。改めてミンデルを読み返した上で、この言葉に接すると、これがより深く、そしてより希望をもってこの見方を受けとめることができる。

なぜか? それはミンデルの「プロセス指向心理学」が、プロセスワークないしドリームボディワークという方法をもっているからだ。彼は、夢と同じように病や身体症状も、私たちのパーソナリティの成長を促すための無意識領域からのメッセージととらえた。夢と病は反映しあい、同じメッセージを送って、私たちに本来備わっているプロセスを展開すように迫ってくる。

それを受け止めて、その深い流れをせき止めず、プロセスが展開するような姿勢をとれれば、古く小さな「自己」は死に、より大きな自己へと私たちは変貌しうる。それを成長という。ミンデルは、夢や身体症状だけではなく、私たちが人生で遭遇するさまざまな困難も、そのようなメッセージと受け止めることができるという。その意味を知り、そこに隠された本来のプロセスが充分に展開するように仕向ければ、困難は成長への契機となり、そして私たちが成長するということは、私たちの人生の意味なのだ。

トールが「より深い意味の善」というのはミンデルの視点からすれば、そういう意味だろう。つまり病を含め人生のさまざな困難は、私たちのアイデンティティの拡大という意味での精神的成長へのチャンスであり、それが善や恩寵の意味なのだ。私たちの生きる意味は、経験を通して人格的に成長することであり、病やさまざまな困難は、それを促すための、深い次元からのメッセージなのであろう。
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goo blogを続けていて本当によかった!21年間に感謝だ

2025年03月16日 | 普通の日記
最近、このgoo blogを続けていて本当によかった!と思っている。今調べて見たら、何と2004年から21年間このアプリを使って日記を書いている。もちろん時期によって頻繁に更新していた時期とほとんど書いていない時期がある。確認したわけではないが、ここ10年くらいは1年に数回ぐらいしか書いていないかもしれない。

しかし、書かない日が数か月続いていても訪問者は毎日、30人とか40人とかはある。そして20年前の記事も読まれていたりする。おそらく何らかの検索にひっかかるのであろう。

また、ここ数日このブログに書いているように『臨死体験研究読本』の改訂版の出版のために、アーノルド・ミンデルに関する記事を書いている。彼の本に関しては、これも20年ほど前に盛んに読んでいて、このブログに読書日誌という形でかなりの記事を挙げていた。それがこのブログ内の検索で簡単に出てくるから、論文を書くのに利用している。

私は他のブログもいくつか使っていたが、それらの多くはすでにサービスを止めているから、自分が書いたものは財産として残らない。しかしgoo blogでは書いたものすべてが残っており、自分の50代、60代の記録でもあり、また何か必要があって、自分が昔書いた文章を見つけたいときは、かんたんに見つけ出し、利用することができるのである。

ちなみに、私のこのブログ、『瞑想と精神世界』のトータルアクセス数は、「トータル閲覧数1207930PV トータル訪問数485365UU」となっている。

そんなわけで、このブログのサービスを20年以上も続けてくださっていることに大いに感謝している。
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プロセス指向心理学の発展段階

2025年03月15日 | 読書日誌
アーノルド・ミンデルの「プロセス指向心理学」の発展段階を自分なりの視点からまとめておく。

まず第一期は、プロセスワークが誕生した1970年前半代である。ユング心理学の訓練を受けた分析家として、夢分析を研究していたミンデルは、夢のイメージが身体の症状や動きとして現れることを発見し、それを「ドリームボディ」という概念で表現した。そして、夢のイメージと身体症状を関連づけて無意識のメッセージを探る「ドリームボディ・ワーク」いう方法で実践を積み重ねていった。

第二期は1970年代後半〜1980年代である。この頃ミンデルは、ドリームボディが夢と身体に反映し合い共鳴し合うだけでなく、人間関係やグループのダイナミクスにも反映していることを見出した。そして対象を個人療法だけでなく夫婦、カップル、家族、グループにまで拡大し、その心理学を「プロセス指向心理学」と呼ぶようなった。また、初期の「ドリームボディ」の概念を深化させ、内面のプロセスが常に変化し続けるの状態である「ドリーミング」として捉えなおし、夢だけでなく日常の中にも無意識のプロセスが現れると考えるようになった。夢や無意識の内容が、絶えず流動し、意識との相互作用の中で変容していくプロセスが「ドリーミング」である。

第三期は1980年代後半から1990年代である。この頃ミンデルは個人の心理だけでなく、集団や社会全体のプロセスにも焦点を当て始め、対立や紛争を変容させる方法論「ワールドワーク」を展開した。特に、紛争や権力構造に注目し、対立するグループの間で意識を深め、対話を促す「ワールドワーク」を発展させた。また、「ディープ・デモクラシー」という概念を提唱し、表面的な政治的民主主義だけでなく、すべての意見や感情が尊重される状態を重視した。個々人だけでなく、集団の中に潜む無意識の力や対立の根源を掘り下げ、すべての声が尊重される深い民主主義のあり方を模索するアプローチである。

第四期は2000年代以降、最晩年に至るまでの時代である(2024没)。2000年代に入ると、もともと物理学を専門に学んだミンデルは、とくに量子力学の概念を大幅に取り入れ、さらにスピリチュアルな視点をより深く取り入れるようになった。彼の思想は、従来の心理学の枠組みを超えた統合的なアプローチへと発展した。とくに「永遠の身体」という概念は、彼の晩年の思想において重要な役割を担い、時間や物理的な制約を超えた意識の側面を指している。この概念は、彼のプロセス指向心理学の発展の中で、初期の「ドリームボディ」や中期の「ドリーミング」といった概念と密接に関連し、それらをさらに深めたものである。
通常の物理的な身体は、生物学的な制約を受け、時間とともに変化し、最終的には死を迎える。これに対して「永遠の身体」は、そのような制約を超え、時間の流れの中で変わらず存在し続ける。それは、過去・現在・未来のあらゆる時間軸を超えて存在する自己の一部であり、超時間な性質を持つという。ミンデルは、量子物理学の非局在性の考え方を意識に適用し、意識が時間・空間に限定されずに広がる可能性を示唆したのである。
深い瞑想状態や変性意識の中で、個人が時間や空間を超えた感覚を持つことも、この「永遠の身体」と関係している。とくに臨死体験では、多くの人が「光に満ちた存在」や「時間のない状態」を体験すると報告している。ミンデルは、このような意識の状態が「永遠の身体」の一部であると考えた。
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20年前に出版した本の改訂版の出版は可能か?その病は私への大切なメッセージだった

2025年03月14日 | 読書日誌
20年以上前に出版した本の改訂版の出版は可能か?

『その病は私への大切なメッセージだった ミンデルとドリームボディ』


このユーチューブ動画で語ったことをかんたんにまとめたい。詳しくは直接動画を見ていただきたい。

私は、昨年の年末にちょっとした病で倒れた。そのちょっと前からしきりににプロセス指向心理学の創始者であるミンデルの本を読み直したいと思うようになっていた。20年ほど前にミンデルの本を夢中で読んでいた時期があったが、その後すっかり読まなくなっていたのだ。それどころか、20年前には強かった精神世界の探求という自分の本来の関心もすっかり忘れていた。そんな時、病気で2週間ほど苦しんだのだ。おそらくその体験もあって、ミンデルの本を読み返したいという気持ちがますます強くなり、病から回復した後に、何冊かを再読した。

アーノルド・ミンデルの「ドリームボデイ」という言葉は、夢だけではなく様々な身体症状も宇宙(別次元)からの大切なメッセージという立場から、プロセス指向心理学を提唱した人物だ。年末の病気や、その直後に臨死なき「臨死体験」についてのYouTube動画を投稿したことや、前後してミンデルの『身体症状に〈宇宙の声〉を聴く』という本を読み始めたことなど、いくつかの偶然が重なり、今回体調を崩したことが、私にとって重要な意味があると今は思うに至っている。それは、精神世界の探求への本格的な復帰である。精神世界への探求の情熱がよみがえったのだ。病気が私にそれを思い出させたのだと思っている。「お前、大切なことを忘れているぞ」と呼びかけてくれたのだ。お前にとって本来大切なそれを無視するのではない、という呼びかけが今回の病気の意味だったのだと思っている。

この気付きがあって後、私の人生に少し新たな展開があるかもしれない。私は2002年、今から20数年前に『臨死体験研究読本』という本を出版した。精神世界への関心がとくに強かったころだが、その後精神世界への関心が弱まってた。ところが数年前ある出版社がこの本の改訂版の出版を提案してきたのだ。私は喜んで承諾し、原稿の書き直しを始めたが、途中で進まなくなり改訂版の出版はほぼ諦めていた。しかし今回の病をきっかけにしてミンデルを再読し、新しい着想を得た。臨死体験とミンデルのドリーミングという二つの世界を重ね合わせることで、本の内容に深みが増すと気づいたのでる。私は今、その原稿の執筆しており、3月末には原稿を書き上げ出版社に送るつもりでいる。あとは出版社の判断にまかせるだけだ。

ともあれ年末の病から始まったこの流れは、私にとってミンデルのいう「ドリーミング」の一連のプロセスの展開のように思えてならない。
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病気をきっかけにアーノルド・ミンデルを再読そして改訂版への意欲再び

2025年03月13日 | 読書日誌
いまから23年前、2002年に『臨死体験研究読本』という本を出版した。5年前に思いがけなく京都の小出版社からこの本の改訂版を出さないかという話が持ち掛けられた。もちろん喜んで承諾したのだが、出版以来、臨死体験の本格的な研究からは遠ざかっていたので、正直それほど意欲がわかなかった。しかも、『臨死体験研究読本』を出版した時点で、私が主張したいことはすべて書き尽くした感があったので、何か新しいことを付け加えて改訂版を出すというのは、私にとってはかなりハードルが高い作業だった。

それでもきわめてゆっくりのペースだったが、出版社から要望のあったところや私自身が気になっていたところなど、少しずつ書き直していた。新しい研究成果も少し加え章立ても少し変えたりした。いちばん大きな違いは、臨死体験を量子力学の研究成果から捉え直すという節を新たに加えたことだった。それが2023年の半ばごろだったと思う。しかし出版社側はこの新たな節は必要ないのではないかと言ってきた。苦労して書いたは書いたのだが、私としてもとくに強く主張したい部分でもなかったので、出版社側の考えを受け入れた。しかしその後は、とくに新しい着想も浮かばず、原稿の書き直しはいっこうに進まない状態になっていた。

ところが、去年の暮12月半ばに、遅ればせながら世界を騒がせたあの感染症にかかったころから事態が急変したのである。その事情はここに紹介するユーチューブ動画にまとめてあるので、ご覧いただきたい。

『その病は私への大切なメッセージだった ミンデルとドリームボディ』


その時の病気をきっかけにして、私は20年ぶりにアーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学の本を再読するようになった。この動画の最後は次のように結ばれている。

「病気とその後の展開をきっかけして私は、スピリチャルな世界の探求という20年前の情熱を思い出したのです。「お前にとっていちばん大切なことを忘れるでないぞ」と病気が私に呼びかけてくれたのです。年末の病気、臨死なき「臨死体験」の動画、そしてミンデルの本、それらが一体となって私に強烈なメッセージを送ってきた感じです。私は今、20年前に読んだミンデルの本を全部読み返そうと思っています。そして瞑想も再開しようと思っています。」

しかしさらに重要な展開もあった。アーノルド・ミンデルの本を再読し始めて私は、『臨死体験研究読本』の改訂版を書くにあたっての重要な着想を得たのだ。それは、改訂版の話が持ち上がったあとはじめて、本当に書きたいと思える着想だったのである。それについては追って詳しく書きたい。

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75歳 後期高齢者・なお伸び続ける英語勉強法

2025年01月15日 | 普通の日記
私のYouTube動画の中で、比較的再生回数が多かったものに英語学習に関する話題の扱った次の二つがある。

★『75歳 後期高齢者・なお伸び続ける英語勉強法

★『75歳・なぜ私はこうも熱心に英語を学び続けるのか?インターネット最大限活用法

これらの動画のコメント欄を見ると、私の同世代の人々で英語やその他の語学を熱心に学び続けている人々がかなり多いのがわかる。私の動画を見て勇気づけられたという内容のコメントもかなりあった。

これらの動画の中でも語ったが、毎日オンラインで海外の人々と会話を楽しむことが私にとって大切な時間となっている。最近はとくにオンラインでの日本語教室に力を入れている。ボランティアの教師として日本語を教えることが良い脳の刺激となっている。

そのメリットをまとめるとだいたい次のようになる。

第一に、説明を英語ですることが多いので、私にとっては英語を使う時間が増し、自分の英会話力のアップにかなり役立ちます。
第二に、とは言っても日本語教室なので、挨拶や気候の話などは日本語でした方が生徒も喜ぶし、その分私も気が楽です。英語しか使えないときより緊張度が低いのです。
第三に、様々な国の人々と話すことでその国への関心も深まり、現地ならではの貴重な情報を直接もらうこともできます。たとえばイスラエルの男性からは、そこで生活している人ならではの生の声が聞けて楽しかったです。
第四に、75歳にもなると社会生活の範囲が次第に狭まり、その分会話の機会も減りますが、オンラインで日本語レッスンをしていれば、毎日世界中の人と話すわけで、これは脳にとっても最高の刺激となります。女性二人はまだ20代で、日本のポップカルチャーに関心が深いので、話を合わせるため私も評判になったアニメは極力見るようにしています。ロシア人女性は日本の歌手ADOの大ファンなので、私も聴いてみることにしまた。
第五に、ボランティアでやることの意味ですが、お金をもらわない分、それほど責任を感じずに、楽しんでできるということです。ストレスも感じないで出来ます。上に挙げた四つのメリットだけでも十分に報われていると感じています。

世界中で日本語学習者の数は確実に増えている。だから日本語を教えると募集すれば生徒を見つけるのは容易だ。私の場合も数日で16人の応募があった。日本語だけを使って日本語を教える方法でも、学びたい生徒は多いのではなだろうか。
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病の深い意味を知れば‥‥それは奇跡へ道?

2025年01月14日 | 瞑想日記
これは、自分のチャンネルに投稿した以下のYouTube動画の前半部分である。

★『病の深い意味を知れば‥‥それは奇跡へ道?プロセス指向心理学の発見

ユング心理学を独自に発展させたアーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学では、「ドリームボディ・ワーク」が重要な位置を占めています。それが何かについてはあとで語るとして、ここではその例として、彼が取り組んだとても印象的な事例をふたつ挙げます。

最初は背中の腫瘍が急に大きくなっていく女の子の例です。彼女は死にかけており、まわりの人々に別れを告げる準備も出来ていたといいます。主治医は何度も手術をしたがどうにもならず、深く同情しつつもすでに匙を投げていました。そして彼女に何かしてあげられることはないかとミンデルに依頼が来たというのです。

その女の子はミンデルに会うと、夢の話をしました。それは「近づくことが非常に危険な湖のまわりに張り巡らされているフェンスをはずしてしまった」夢でした。その夢の話のあと彼女は、床に横たわり空を飛びたいと言いました。腫瘍で背中が弱っていたので矯正器具をつけていましたが、それを外して飛びたいというのです。ミンデルはそれを外すことが心配で、主治医に電話してたずねました。主治医は、彼女は最悪の状態で、はずしてもそれ以上悪いことは起こらないだろうから、望むようにしてあげてくださいと答えました。

矯正器具を取り外すと、彼女はうつぶせに寝ころがり、両手を動かして飛ぶまねをはじめました。彼女は「先生、あたし飛んでるのよ、とても楽しいわ」といって笑いました。ミンデルも同じように手を動かして一緒に飛びました。彼女は歓声をあげ、「私と先生は雲を超えようとしているのよ」といいました。

二人でしばらくそんな風に飛び回ったあと彼女はいいました、「ねえ、あたしもう降りていかないわ」。ミンデルが「どうして?」と聞き返すと、「なぜってあたし、ほかの全部のお星さまのまわりを飛びたいんですもの」

以下はミンデルの言葉をそのまま引用します。
~~~~~~~~
私は心底ぎょっとして、もし飛んでいってしまったら、死んでしまうかもしれないと考えた。にもかかわらず私は、彼女のプロセスが本当のところどんなものであるかを見届けたかった。彼女にとっては、飛び去ることが正しいことなのかも知れない――私に一体何がわかるというのだろう。私は彼女に、ほかの惑星のところに飛び去るにしろ、地上に降りるにしろ、自分で決めなければならないといった。だが彼女は、ほかの惑星に行ってしまうというのである。「あたしは、別世界に行くの。変わったお星さまのあるきれいなところなのよ」といった。

そして決定的な瞬間がやってきた。私は、彼女にそうしなければならないのなら、それを実行に移すように告げた。彼女は、「飛び」去って行こうとし始めた。すると突然、私の方を振り向いて泣き出した。彼女は、一緒に「飛んだ」のは、私たちだけだから、私と一緒でなければ行きたくないというのだ。私たちは一緒に泣き、そして、お互いを抱きしめた。

「あなたと一緒にいるためだけ、ちょっとの間下に降りるわ」と彼女はいった。私は、自分にとって必要と感じたことをするようにといった。彼女は、まだ一緒に遊ぶことができるように、しばらくの間地上に戻ってきて、ほかの惑星に行くのは、準備ができてからにしたいという。
~~~~~~~~~
引用はここまでです。驚くべきことに、その後彼女は、急速に快方へ向かい、まもなく腫瘍すら消え失せてしまったといいます。この事例を、とても信じられないと思う人も多いでしょう。しかし『ドリームボディ・ワーク』という本の中には、ミンデルが取り組んだ事例で、これに類するような病気の治癒の例は多く見いだされるのです。いったい何が起こったというのでしょうか。もう一つ例をあげましょう。

これは、自分のチャンネルに投稿した以下のYouTube動画の前半部分である。続きは以下で御覧ください。

★『病の深い意味を知れば‥‥それは奇跡へ道?プロセス指向心理学の発見
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ミンデルとドリームボディに学び続ける

2025年01月14日 | 瞑想日記
1月1日と1月8日に『その病は私への大切なメッセージだった(1)(2)』というタイトルで記事を書いた。その後、この記事をもとにYouTube動画を作って投稿した。
★『その病は私への大切なメッセージだった ミンデルとドリームボディ
私のYouTube動画の再生数は、もともとそんなに多くないが、この動画の再生数はその中でもかなり少なかった。もちろん少しがっかりしたが、動画でも触れたように最近の私にとってミンデルを再読することは重要な意味をもっている。いや単に読むだけでなく、自分自身でそれを生きることが重要なのだと思っている。どれほど再生数が少なくとも、私はミンデル関連の動画を納得のいくまで作り続けたいと思う。
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その病は私への大切なメッセージだった(2)

2025年01月08日 | 瞑想日記
元旦のブログで書いた通り、12月11日から5日ほどコ〇ナウィルス感染で5日ほど倒れ、12月18日からは前立腺肥大と泌尿器の腫れで少し大変だった。病気としてはむしろ軽い部類だっただろう。しかしこの体験は、私に大切なメッセージを送ってくれたような気がする。

私は、ようやく病気から立ち直った12月29日に『誰もが「あの世」につながっている?臨死なき「臨死体験」の重要なメッセージ』というYouTube動画を投稿した。私は、次にどんな動画を投稿するか計画があるわけではない。その時々に思い浮かんだものを投稿するだけだ。この時も、『神との対話』シリーズで有名なニール・ドナルド ウォルシュが、無名時代にいわゆる臨死なき「臨死体験」をしているのを思い出し、それを巡って短い動画を作ろうと思いついたのだ。この動画、私の他の臨死体験関係の動画同様に再生回数は少なかった。しかし作りながら、臨死なき「臨死体験」についてどう考えるか、自分の考えが確信になっていると感じた。私はこの動画の中で次のように語っている。

「私たちはこの肉体をもって空間と時間に制約された物質的次元に生きていますが、しかし誰もがこの肉体的、物質的な制約を超えた別の次元に開かれているのかも知れません。あるいはふだんは気付かないだけで常につながっているのかも知れません。だからこそ私たちは時に、予感や虫の知らせという形でその次元から何らかのメッセージを受け取ったり、あるいは遠くにいて死に瀕している身内から夢を通してメッセージを受け取ったりという現象がおこったりするのかもしれません。そして肉体的に死に直面していなくとも「臨死体験」をする人々は、何らかの理由で肉体的、物質的な制約から一時的に自由になり、この世とつねに一体となっていて、しかも次元が違う世界に触れる体験をもった人々なのかも知れません。」

肉体的に瀕死の状態になくとも、この物質的次元を超えた別次元の世界に触れてしまう人がかなり多い。その意味での臨死なき「臨死体験」はかなり報告されている。肉体が滅びれば私たちの精神はその次元に移行する。しかし生きていても私達はその次元から切り離されているわけではないから、少し注意深くなりさえすれば私達はその次元から様々なメッセージを受け取ることがある。

そして年末の病気のあと、この考え方への私の確信はますます深まった。病気の2・3か月前から私は、50代前半に熱心に読んでいたアーノルド・ミンデルの本を読み返したいと盛んに思うようになった。そして臨死なき「臨死体験」の動画を投稿した前後から、まだ読んでいなかった彼の本の一冊『身体症状に〈宇宙の声〉を聴く』を読み始めたのだ。読み始めて私は驚嘆した。

ミンデルは、人間を「多次元的存在」をなす生命体であるみなし、それを前提としてプロセス指向心理学(POP)を確立、その実践においても優れた成果を挙げた。ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

物質的身体より高次の身体を総称してドリームボディと呼ぶのだとも言える。しかし、後にこれも細分化され、「狭義のドリームボディ」「神話的身体(ミスボディ)」「永遠の身体(エターナル・ボディ)」に分けて把握する。私たちが、肉体ばかりでなく、意識レベルの異なるいくつもの連続した身体を層状にまとっていると捉える点は、神智学と同じだ。

連続した多層的身体の最後をPOPでは、「永遠の身体」あるいは「解放された身体」と呼ぶ。神秘主義的伝統でいわれる「身体を離脱した状態」である。このとき私たちは、さまざまな病や症状を示す現実の身体ばかりではなく、狭義のドリームボディや神話的身体からも離脱・解放されるという。これは時空間を超えた身体である。

「死において私たちは足をもたずに動き、目がなくてもみます。私たちは現実の身体を、まるでそれが松葉杖であったかのように捨て去り、死ぬ際にいわゆる知覚に生まれ変わっていきます。」(ミンデル)

この「知覚(システム)」が、「永遠の身体」であり、それは現実の身体や狭義のドリームボディとも同一視されない「純粋意識」である。「永遠の身体」は、自由、解放、十全性を表わしている。

ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。

タオ=「ドリームボディ」=「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、夢や身体症状や偶然の一致や、一見不幸な出来事などの形をとって、絶えずこの現実の中でプロセスを展開しているということ。タオと現実とがひとつらなりであること。その働きかけを自覚してそのプロセスに自らをゆだねることが心理療法という実践のかなめであり、人間の心理的成長にとっても大切なことなのだ。

現実の中の病や人間関係のトラブルや苦悩や絶望や挫折、それらがすべてタオからのメッセージ、いやタオそのものが発現するための大切なきっかけなのだとしたら。そうだとすれば私は、日常を生きながら、その現実のプロセスの中により深い次元を発見し、その深い次元を生きることができる。そこに気づかせてくれるのが、ミンデルのたまらない魅力なのだ。

以上は、プロセス指向心理学の考え方のかんたんな紹介だ。私はおよそ20年ぶりにミンデルの本に触れ、その世界の魅力に改めて驚嘆した。今回はとくに臨死なき「臨死体験」をどう理解するかについて深い確信を持つに至っていたので、その視点から再度ミンデルの世界を眺めると、彼の本のなかの一つ一つの言葉が心の深くに浸透してくるような喜びを覚えた。

「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、私たちはそこから絶えずメッセージを受け取っている。年末の病気、臨死なき「臨死体験」のYouTube動画を投稿、20年ぶりにミンデルの世界に触れる、この一連の流れが私には偶然とは思えなかった。病気をきっかけして私は、スピリチャルな世界の探求という20年前の情熱を思い出したのだ。「お前にとっていちばん大切なことを忘れるでないぞ」と病気が私に呼びかけてくれたのだ。私は今、20年前に読んだミンデルの本を全部読み返そうと思っている。そして瞑想も再開しようと思っている。
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