近代科学の前提は、私たちの意識やこころも、脳の神経細胞という物質が起こす化学的・電気的な相互作用によって生じるという唯物論であり、まして物質的世界を超えた次元など断じて認めない。この世界の基盤は「物質」であって、それが物理・化学的に相互に作用しあうことによって複雑な生物も、そして意識や精神さえも生まれるのであり、まして物質世界(この世)が それを超えた別次元(あの世)とつながっているなどという見方自体が成り立つはずはないと考えるのが近代科学だ。
ところが心理学や心理療法の分野では、こうした近代科学の前提に立ってたのでは説明できない症例や事象が多く見られ、それに対する療法も含めて、膨大な研究が積み重ねられている。そしてとくに「あの世」と「この世」は「いまここ」でつながっているという見方に立たないと説明がつかない多くの事例や症例が蓄積されいる。さらに現代物理学、とりわけ量子力学とさえ関係づけられて理論化もなされているのが「プロセス指向心理学」なのである。
その創始者であるアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell、1940-2024年)は、アメリカ合衆国の心理学者である。彼は、アメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学の大学院で理論物理学を学び、追ってスイスのチューリッヒ工科大学で学んだ。さらにチューリッヒにあるユング研究所で分析心理学を学んで、ユング派分析家となった。その後、身体症状は夢に反映されており、その逆もまた真であることを発見して「ドリームボディ・ワーク」を提唱するようになり、さらにそれを発展させて「プロセス指向心理学」と呼ばれる一分野を創始し、世界的に注目されるようになった。
ミンデルは、ユング派分析家として患者の治療を行う中で、夢で見たイメージが身体の症状や動きと関連していることを気付いた。これにより、夢だけでなく、身体的な違和感や病気も「深層心理からのメッセージ」として扱うようになった。、身体症状を身体の見る「夢」と捉えて、身体に夢と同じ象徴的なパターンをもった「プロセス」が起こること、またその「プロセス」の意味に「気づく」ことが大事であると考えた。 また、その夢や身体症状といった「プロセス」を作り出している根源を「ドリームボディ」と呼んだ。
彼は、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その関連性、つながりを注視する。身体の症状も夢と同じように無意識からの創造的な発現であり、それゆえあらゆる夢は何らかの形で身体の状態とつながっている。夢に意味があるように身体に起こっていることにも意味がある。病気には夢と同様に重要なメッセージが含まれているのだ。ドリームボディ(つまり夢=身体)における夢と身体との関係には、どちらかが原因でどちらかが結果というよりも、たがいに鏡のように相互に反映しあう関係である。夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけたのである。
身体症状は、医者が治療すべき病理現象にとどまるものではない。それはたんに生理的、病理的な疾患である以上に、深い意味や目的をもっている。それゆえミンデルは、夢と身体的症状の背後にある意味をともに重視し、その意味を探る。プロセス指向心理学は、このドリームボディに付き添い、その本来のプロセスが展開するのを手助けする。それがドリームボディ・ワークであり、プロセス・ワークである。身体症状と夢との関係や、それらの深い意味が解き明かされると、それが重要な気付きとなり、人を自らの存在の中心に驚くほど近づくことになる。それは人間としての成長を意味し、臨死体験者の多くが人格を変容させ、人格を変容させるという事実と深いところで通じ合っている。
実はミンデルは、かなり早い時期からいくつかの著作のなかで臨死体験にも言及している。臨死体験を主題として扱うことはなかったが、この現象に言及することはかなり多かった。さまざまな病気きや身体症状、さらに人生のさまざまな苦難は、ドリーミングボディからの呼びかけであり、挑戦であったが、臨死および「臨死体験」においてその呼びかけはひときわ高まるのである。
ミンデルは次のようにいう。「ドリームボディの意識は、臨死においてもっとも劇的に高まる。生身の体を失う恐れにより、ドリームボディのスピリットは、自らを今までになく強烈に表現せざるを得なくなるのである。多くの場合死の恐怖は、人々が強制されないかぎり考慮することのないドリームボディに、無自覚であることからくる。」DB223
つまり病気も人生のさまざまな困難も、そして臨死も「臨死体験」も、ドリームボディないしドリーミングボディからの呼びかけという意味では一貫しているのだ。その呼びかけに気づき、それを真摯にうけとめることによってパーソナリティの成長や、「古い自己」を超えての全体性の回復が得られる。臨死体験によって体験者が精神的に成長するのと同じ意味で、人生の過程で出会うさまざまな困難からの呼びかけによっても、私たちは古い自己から脱皮し得るのである。ドリーミングからの呼びかけと、それに応じることでの成長という意味において、夢、病気、人生の様々な問題、そして臨死体験は同じ意味をもっているのだ。
さて、この稿での課題は、「この世」と「あの世」とは時間的・空間的にわかれているのではなく、実はつながっているいう観点から、臨死なき「臨死体験」という現象を捉えなおすことであった。たとえ死に瀕していなくとも、かなりの人々が「臨死体験」と本質的に変わらない体験を報告する。これをどう解釈すればいいのか。人々が抱く素朴な見方のひとつは、いわゆる臨死体験とは、死「後」の世界をかいま見た体験だというものだ。そこには「この世」の後に「あの世」が続くという前提がある。そうした前提からすれば、死に瀕してもいないのに「臨死体験」をしたという報告は信じ難いだろう。
しかしそのよう前提に捉われずに発想を転換するなら、まったく別の視点が開かれる。ミンデルの長年にわたる実践と研究は、そうした別の視点から臨死なき「臨死体験」を理解することの妥当性を、強力に示唆する。
私たちはこの肉体をもって空間と時間に制約された物質的次元、つまり「この世」に生きているが、しかしもし誰もがこの肉体的、物質的な制約を超えた別の次元、つまり「あの世」に開かれているとしたらどうか。そしてさまざまな身体症状や人間関係の諸問題を通して、「あの世」からの呼びかけを受け、パーソナリティの成長を促されているのだとすれば。
ミンデルは、人間の背後にドリーミングと呼ばれる広大な無意識領域があり、そこからの働きかけが個々のドリームボディとなり、身体に夢や病気を引き起こすのだと考え、その発想からプロセスワークを生み出し、多くの成果をあげた。彼は、アポリジニーの表現を借りてドリーミングを、月の暗い部分にたとえる。明るく輝く半月をよく見れば、静かにゆらめく暗い部分を見ることができるが、多くの人々はその暗い部分を見逃している。明るい部分にのみ焦点を当てることで、暗い部分を無視し、存在しないと思い込んでしまう。しかし月が全体であるには暗い部分も不可欠なのだ。同じように日常的現実にしか焦点を当てなければ、ドリーミングは無視される。それは、人生の半分を見逃すのと同じなのだ。ドリーミングの力はまさに「今ここ」に存在していて、さまざまな微細な仕方で私たちに呼びかけ、気づきをもとめている。24dwa5
ところが心理学や心理療法の分野では、こうした近代科学の前提に立ってたのでは説明できない症例や事象が多く見られ、それに対する療法も含めて、膨大な研究が積み重ねられている。そしてとくに「あの世」と「この世」は「いまここ」でつながっているという見方に立たないと説明がつかない多くの事例や症例が蓄積されいる。さらに現代物理学、とりわけ量子力学とさえ関係づけられて理論化もなされているのが「プロセス指向心理学」なのである。
その創始者であるアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell、1940-2024年)は、アメリカ合衆国の心理学者である。彼は、アメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学の大学院で理論物理学を学び、追ってスイスのチューリッヒ工科大学で学んだ。さらにチューリッヒにあるユング研究所で分析心理学を学んで、ユング派分析家となった。その後、身体症状は夢に反映されており、その逆もまた真であることを発見して「ドリームボディ・ワーク」を提唱するようになり、さらにそれを発展させて「プロセス指向心理学」と呼ばれる一分野を創始し、世界的に注目されるようになった。
ミンデルは、ユング派分析家として患者の治療を行う中で、夢で見たイメージが身体の症状や動きと関連していることを気付いた。これにより、夢だけでなく、身体的な違和感や病気も「深層心理からのメッセージ」として扱うようになった。、身体症状を身体の見る「夢」と捉えて、身体に夢と同じ象徴的なパターンをもった「プロセス」が起こること、またその「プロセス」の意味に「気づく」ことが大事であると考えた。 また、その夢や身体症状といった「プロセス」を作り出している根源を「ドリームボディ」と呼んだ。
彼は、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その関連性、つながりを注視する。身体の症状も夢と同じように無意識からの創造的な発現であり、それゆえあらゆる夢は何らかの形で身体の状態とつながっている。夢に意味があるように身体に起こっていることにも意味がある。病気には夢と同様に重要なメッセージが含まれているのだ。ドリームボディ(つまり夢=身体)における夢と身体との関係には、どちらかが原因でどちらかが結果というよりも、たがいに鏡のように相互に反映しあう関係である。夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけたのである。
身体症状は、医者が治療すべき病理現象にとどまるものではない。それはたんに生理的、病理的な疾患である以上に、深い意味や目的をもっている。それゆえミンデルは、夢と身体的症状の背後にある意味をともに重視し、その意味を探る。プロセス指向心理学は、このドリームボディに付き添い、その本来のプロセスが展開するのを手助けする。それがドリームボディ・ワークであり、プロセス・ワークである。身体症状と夢との関係や、それらの深い意味が解き明かされると、それが重要な気付きとなり、人を自らの存在の中心に驚くほど近づくことになる。それは人間としての成長を意味し、臨死体験者の多くが人格を変容させ、人格を変容させるという事実と深いところで通じ合っている。
実はミンデルは、かなり早い時期からいくつかの著作のなかで臨死体験にも言及している。臨死体験を主題として扱うことはなかったが、この現象に言及することはかなり多かった。さまざまな病気きや身体症状、さらに人生のさまざまな苦難は、ドリーミングボディからの呼びかけであり、挑戦であったが、臨死および「臨死体験」においてその呼びかけはひときわ高まるのである。
ミンデルは次のようにいう。「ドリームボディの意識は、臨死においてもっとも劇的に高まる。生身の体を失う恐れにより、ドリームボディのスピリットは、自らを今までになく強烈に表現せざるを得なくなるのである。多くの場合死の恐怖は、人々が強制されないかぎり考慮することのないドリームボディに、無自覚であることからくる。」DB223
つまり病気も人生のさまざまな困難も、そして臨死も「臨死体験」も、ドリームボディないしドリーミングボディからの呼びかけという意味では一貫しているのだ。その呼びかけに気づき、それを真摯にうけとめることによってパーソナリティの成長や、「古い自己」を超えての全体性の回復が得られる。臨死体験によって体験者が精神的に成長するのと同じ意味で、人生の過程で出会うさまざまな困難からの呼びかけによっても、私たちは古い自己から脱皮し得るのである。ドリーミングからの呼びかけと、それに応じることでの成長という意味において、夢、病気、人生の様々な問題、そして臨死体験は同じ意味をもっているのだ。
さて、この稿での課題は、「この世」と「あの世」とは時間的・空間的にわかれているのではなく、実はつながっているいう観点から、臨死なき「臨死体験」という現象を捉えなおすことであった。たとえ死に瀕していなくとも、かなりの人々が「臨死体験」と本質的に変わらない体験を報告する。これをどう解釈すればいいのか。人々が抱く素朴な見方のひとつは、いわゆる臨死体験とは、死「後」の世界をかいま見た体験だというものだ。そこには「この世」の後に「あの世」が続くという前提がある。そうした前提からすれば、死に瀕してもいないのに「臨死体験」をしたという報告は信じ難いだろう。
しかしそのよう前提に捉われずに発想を転換するなら、まったく別の視点が開かれる。ミンデルの長年にわたる実践と研究は、そうした別の視点から臨死なき「臨死体験」を理解することの妥当性を、強力に示唆する。
私たちはこの肉体をもって空間と時間に制約された物質的次元、つまり「この世」に生きているが、しかしもし誰もがこの肉体的、物質的な制約を超えた別の次元、つまり「あの世」に開かれているとしたらどうか。そしてさまざまな身体症状や人間関係の諸問題を通して、「あの世」からの呼びかけを受け、パーソナリティの成長を促されているのだとすれば。
ミンデルは、人間の背後にドリーミングと呼ばれる広大な無意識領域があり、そこからの働きかけが個々のドリームボディとなり、身体に夢や病気を引き起こすのだと考え、その発想からプロセスワークを生み出し、多くの成果をあげた。彼は、アポリジニーの表現を借りてドリーミングを、月の暗い部分にたとえる。明るく輝く半月をよく見れば、静かにゆらめく暗い部分を見ることができるが、多くの人々はその暗い部分を見逃している。明るい部分にのみ焦点を当てることで、暗い部分を無視し、存在しないと思い込んでしまう。しかし月が全体であるには暗い部分も不可欠なのだ。同じように日常的現実にしか焦点を当てなければ、ドリーミングは無視される。それは、人生の半分を見逃すのと同じなのだ。ドリーミングの力はまさに「今ここ」に存在していて、さまざまな微細な仕方で私たちに呼びかけ、気づきをもとめている。24dwa5