瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

断食後の瞑想

2005年10月26日 | 瞑想合宿レポート
◆瞑想合宿レポート
今回の瞑想合宿レポートは16回で終わりである。今週末までには、サイトの「瞑想世界の旅」にアップしたい。タイトルは、とりあえず「慈悲と瞑想」を考えているが、もう少し検討する。

書き終わって、私にとっての家事の意味、家事への態度、など刻々と微妙に変化しているようにも思うし、レポートのなか書いた文章ではぴったり表現できていないような気もする。その辺は、自分で確認しながら、サイトでアップするときに書きなおしたり、追加したりするつもりだ。

◆断食後の瞑想
前回の一日断食後の報告をしていなかった。復食日の朝の瞑想は、あまりよくなかったが、翌日日曜日の瞑想は、とりたてて良くも悪くもないという感じ。ただ、生理的な瞑想状態の深まりはあった。また頭頂がチリチリとするような感じがずっとあり、頭頂からの気の出入感も比較的強かった。全体として、瞑想時の生理的な変化は大きいかもしれない。48時間断食は隔週で行おうかと思ったが、とりあえず今週は、土曜日を真ん中にして48時間断食をしてみようと思う。
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瞑想合宿レポート16

2005年10月23日 | 瞑想合宿レポート
◆その後
瞑想合宿後2ヵ月がたって、その後確実に変わったと感じることがひとつある。家事をほとんど厭わなくなったということである。ささやかと言えばささやかな変化だが、私のなかではとても大きい。

以前の私にとって家事は、できれば避けたいもの、いやいやながらやるものであった。掃除も食器洗いもサティしながらやるんだと思っても、やはりできれば避けたかった。今は、パソコンに向かうことも、瞑想をすることも、掃除をすることも、台所を片付けることも、すべてほとんど等価である。もちろん掃除がけったるいと感じることもないではないが、基本的に家事を厭う気持ちはなくなった。何かを犠牲にしてやってるという感じがないから、ストレスにはならない。

これまでのように何か頼まれたことをずるずると先に延ばすこともあまりない。当然、妻との関係もよくなり、口げんかはほとんどなくなった。「自分の心が変われば、鏡に映したように相手も変わる」ということを実感している。

このささやかな変化が、私の精神状態に大きな変化を与えている。避けたいという抵抗もなくスムーズに生活が営まれる。家事をするたびに私は、自分のなかの何かを確認している。おそらくそれは受動性ということだろう。与えられたものを抵抗なくことごとく受け取っていく。家事についてその覚悟が自分のなかに定まった。その覚悟は、家事以外の面にも影響を与えていて、深いところで静かな自信と喜びが広がっている。

ひとつ課題がある。それは仕事の面である。仕事の面では、この仕事は楽しいけど、できればあの仕事は避けたいというのがかなりある。今後どんなふうに変わっていくのか。それは、受動性に徹して、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟が、どれだけ定まっていくかによるのだろう。
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瞑想合宿レポート15

2005年10月22日 | 瞑想合宿レポート
◆誰かが泣いている
面接の順番が一回りしたので、9日目は夕方また明るいうちに面接があった。最初に「『フォレスト・ガンプ』は慈悲の映画だったんですね」と伝えた。つい先ほどの、その「発見」が思わず口を突いて出た感じだった。それから、ダンマトークのときに包まれた心地よいバイブレーションのこと、それに乗って深い瞑想をしてやろうと何回か試みたがだめだったこと、そして最後に、自分が包まれたバイブレーションが地橋先生から、あるいは地橋先生を通して何ものかからやってくる「慈悲」の波動だと感じたことなどを話した。

その話を始めたときから何かがこみ上げてきていた。それはすぐに激しい嗚咽になって、しばらくの間、何も話せなくなった。人前でこのように泣いたのは、ごく幼い頃以来なかった。一方で嗚咽している自分を冷静に眺めている自分がいた。私という「自我」を超えたところで誰かが泣いているような奇妙な感じがあった。日常的な「自我」である私よりももっと深いところで、慈悲の波動に触れて自分の無明に気づいた誰かが泣いているようだった。

地橋先生は、「何ものかからやってくる慈悲」という私の表現に対し、それは「三宝(仏法僧)」からやってくる慈悲」だと言いなおした。「三宝」という言葉は、私にはあまり実感がなかったが、生身の人間の我によって汚染されていない透き通った波動として実感していたのは確かだった。

私がまだ泣いている間に先生は静かに話し始めた。その内容はほとんど覚えていない。しかし、これまでの面接で話してもらったことなどと重ね合わせると、だいたい次のようなお話だっただろう。私が修行に向かって行けば行くほど感じてしまう家族との乖離の淋しさ、それは一般的には愛執の煩悩だという。人をこの世に留めさせる家族への愛執は強烈だ。しかし慈悲と愛執とを混同してはならない。愛執は煩悩である。エゴ性をかぎりなく捨てて愛執から自由になっていく。至難の技だが、限りなく慈悲に近い愛、純正な愛で家族に接することができれば、在家の修行者とし最高に素晴らしい。まして二人が教育に携わるのであれば、「法友」として共に歩んでいくことができるのだ‥‥‥。
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瞑想合宿レポート14

2005年10月11日 | 瞑想合宿レポート
◆再び『フォレスト・ガンプ』
午後3時すぎにしばらく横になった。合宿では、眠気のなかでだらだらと冴えない瞑想を続けるよりは、眠気をとったうえで瞑想に集中した方がよいということで、ちょっとした仮眠は許されている。眼が覚めたのは4時近くだったから40分ほど眠ってしまったようだ。少し長すぎたかもしれない。

しかし疲れはすっかりとれていた。ゆったりした気持ちのなかで再び瞑想を始めた。瞑想に何かを求めようとする気持ちはもうなかった。今回の合宿のなかでいちばんピュアな瞑想だった。再び慈悲のバイブレーションに包まれている感じがした。そして、今回の合宿もまた結局は、私にもっとも必要な気づきが、予想もしなかった仕方でもたらされたのだと思った。

足をほどいて立ち上がろうとしたときに、ふと思った、「ああ、『フォレスト・ガンプ』は慈悲の映画だったんだ」と。それを「慈悲」と呼んでいいのかどうか分からない。少なくともそのときの私には、そう思えた。

IQが75しかなく身障者だったガンプ。無類のお人よしのガンプ。ガンプの幼なじみのジェニーは、つねにガンプの良き理解者であったが、幼いころから父の暴力がひどく、心に深い傷があった。やがてガンプのもとを去ってヒッピーとなり、反戦運動に身を投じてゆく。しかしその生活は自堕落で、裏切りと絶望が彼女の心身をむしばむ。そんな彼女が、傷ついた心の癒しを求めてか、故郷のガンプの元に舞い戻る。二人は結ばれ、ガンプはジェニーに求婚するが、その翌朝、彼女は黙って去ってしまう。

その時ガンプの子を孕んだ彼女は、ガンプに連絡もせずに一人で子供を生み育てる。しかしやがて、不治の病(エイズか)に犯されてしまう。彼女は、ガンプに連絡をとり、再開して求婚する。ガンプは、妻となった彼女を故郷の家で介護し、そのもとでジェニーは息をひきとる。

何度かガンプのもとを去っていったジェニーが、最後に病に犯されてガンプを頼るとき、彼は、その彼女をただひたすらな思いで受け入れ、愛し、最後まで世話をし続ける。そんなガンプの姿が私のなかで「慈悲」という言葉と重なったのだ。

合宿の直前に見た映画が、私に夢を見させた。合宿に遅れてでも自分の使命を果たすという夢だった。使命とは、家族関係のなかでの自分の行為の姿勢に関係していた。その姿勢は、深いところで「慈悲」に結びついていくのだろうか。
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瞑想合宿レポート13

2005年10月02日 | 瞑想合宿レポート
◆無明と慈悲と
ダンマトークの時に包まれた波動の意味は、静かにゆっくりと私に沁みこんできた。地橋先生から、地橋先生を通して伝わってきた「慈悲」の波動は、私の「無明」を揺さぶった。私は、世間の平均的な夫よりははるかによく家事を手伝っているつもりだった。しかし、そのどこかに「やってやっている」という意識が忍び込んでいた。私は、自分の仕事に、そして精神世界の探究に忙しい。「それを犠牲にしてこれだけやっているではないか」という意識がどこかにあった。いや、もしかしたらそれがほとんどではなかったのか。 

これまでの私の妻への態度には何かが欠けていた。地橋先生からの「慈悲」の波動に触れて、その欠けているものが徹底的に見えてしまった。これまでの私の妻との関係は、そしてその他の人間関係も、結局は私のエゴ性の上に成り立っていた。少なくともあのような「慈悲」の波動の上には成り立っていなかった。その「無明」がはっきりと見えてしまった。

日常の人間関係を生きてきた自分の利己性、そしてその「無明」への無自覚。いや、そんなことはどこかで分かっていた。しかし、やはり分かっていなかった。私の体に、そして心に沁みこんできた「慈悲」のバイブレーションが、その違いを歴然とさせた、「慈悲」にもとづいた態度と「無明」の行為との違いを。


「慈悲」、エゴに歪められない眼で、あるがままのその人に触れること、受け入れること。エゴに汚されない心の透明性から発せられる波動。それはかつてカウンセリングや心理療法で学んできたではないか。無条件の肯定的配慮。それが、現実の人間関係のなかに沁みこんでいくことこそが大切であったはずだ。「慈悲」の波動は、そんなことを思い出させ、その深い意味を実感させてくれた。

たしかに煩悩深き凡夫にとって、日常の人間関係を「慈悲」に徹することはかんたんなことではない。しかし少なくとも、エゴ性の上に成り立つ自分の日常的な行為や、背後の心の動きをつねに自覚していることはできる。それが「無明」を一歩抜け出すことにつながるだろう。

今度の瞑想合宿に参加しようとした動機も、煎じ詰めれば私のエゴ性に根ざしていた。合宿に参加する直前のあの夢も、研究所に向かう途中で感じたあの後ろめたさも、再びその意味をより深く私に開いたようだった。
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