20年前に出版した『臨死体験研究読本』の改訂版を出すため、今、原稿の一部書き直しを進めていることは、昨日書いた。書きながら思うことはたくさんある。その一つは、今再びこの本を世に問うことの社会的な意味だ。
この本で私がいちばん主張したかったのは、体験者のその後の精神的成長だ。ときに覚醒、悟り、自己超越といってよいほどの成長を遂げる人々がいる。とすれば、この体験を死にゆく混乱した脳が見る幻覚とはいえない。たんなる幻覚に人をこれだで成長させる力はない。それゆえこの本は、いわゆる悟り体験と臨死体験による精神的成長とを詳細に比較検討している。
近年、蘇生医学の発達などにより臨死体験する人の数はますます増えている。しかし全体からみればその数はごく限られている。しかし、臨死体験者の話を知るこで、大きな影響を受ける人々はいる。かくいう私もその一人だ。臨死体験者の話に関心をもち、それに影響を受ける人々の人数は、今はそれほど多くないかも知れないが、そういう人々の人数が増えていく可能性は制限がない。
私もそうだが、何よりも死への恐怖や不安が減少する。誰もが心の深いところで抱いている死への恐怖が減少すると、それだけ精神的に安定する。深い部分での精神的な安定は、人間関係をよりよくするだけではなく、社会に対する負の行動をも減少させる。
臨死体験への関心が、ある社会で広まり、そして深まるほど、それは社会全体になにかしらよい影響を与えるであろう。さらに、社会的に影響力の強い人々にも関心が広がっていくだろう。政治家のなかにも関心をもつ人が増えるかもしれない。政治的なリーダーの多くが関心をもつようになれば、それは社会の安定にも寄与し、さらに国際的なリーダーが、臨死体験者の話によってなにがしか影響をうけるようになれば、それは混迷する現代の世界の情勢についてもよい影響を与えるかもしれない。
もちろん私の本にできることは微々たるものだろうが、たとえ何人かでも臨死体験に興味をもつ方が増えることを願いながら、原稿を書いている。
引き続きお願いです。もしみなさんのなかに、ご自身が体験者だったり、周囲に体験者がいた場合は、お話を聞かせていただけるとありがたい。改訂版を出すうえでも参考になると思っています。コメント欄にまずはご一報をください。
★写真は、塩原温泉の紅の橋 11月3日撮影