最近、家族の問題で心に重くのしかかっていることがあった。それは将来へ向けての不安でもあった。時々、かすかな胸の痛みや悲しみとして、心の表面に浮上してくることもあった。
土曜、日曜あたりはとくに頻繁にそれがあった。そんな時、サティをすることが私にとってのひとつの救いだった。不安や悲しみは、もちろん具体的で個別の問題にかかわるものだったが、同時にそれは「生きている」ということにどうしようもなくついてまわる悲しみでもあった。どのような形にせよ、生きているということはそのような不安や苦しみや悲しみを伴うことなのだ。
サティをすることと同時に、私にとってのもうひとつの救いは、「白鶴」のイメージにしたがうことだった。どのような苦しみや悲しみがあろうと、いや、あるからこそ、人生を「白鶴」のように生きていくことが、救いにつながるのだ。
それは、どのような利害や損得、評価や毀誉褒貶にも惑わされず、その時々の与えられたなすべきことを、ひたすらに行い続けることだった。そのような生き方だけが、苦しみや悲しみの中にありながら、同時にそれらを超えた地平を生きることを意味した。それは、悲しみの中にありながら、悲しみを超えた生き方だった。毀誉褒貶の中にありながら、毀誉褒貶を超えた生き方だった。
サティを続けるということ自体が、人生のどのような苦しみや悲しみの中にあっても、それらによって汚されずに、それらを突き抜けた世界に根ざして生きる生き方なのであろう。
土曜、日曜あたりはとくに頻繁にそれがあった。そんな時、サティをすることが私にとってのひとつの救いだった。不安や悲しみは、もちろん具体的で個別の問題にかかわるものだったが、同時にそれは「生きている」ということにどうしようもなくついてまわる悲しみでもあった。どのような形にせよ、生きているということはそのような不安や苦しみや悲しみを伴うことなのだ。
サティをすることと同時に、私にとってのもうひとつの救いは、「白鶴」のイメージにしたがうことだった。どのような苦しみや悲しみがあろうと、いや、あるからこそ、人生を「白鶴」のように生きていくことが、救いにつながるのだ。
それは、どのような利害や損得、評価や毀誉褒貶にも惑わされず、その時々の与えられたなすべきことを、ひたすらに行い続けることだった。そのような生き方だけが、苦しみや悲しみの中にありながら、同時にそれらを超えた地平を生きることを意味した。それは、悲しみの中にありながら、悲しみを超えた生き方だった。毀誉褒貶の中にありながら、毀誉褒貶を超えた生き方だった。
サティを続けるということ自体が、人生のどのような苦しみや悲しみの中にあっても、それらによって汚されずに、それらを突き抜けた世界に根ざして生きる生き方なのであろう。