瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

書くことで修行モードに

2010年01月17日 | 瞑想日記
◆『臨死体験・気功・瞑想』>「瞑想世界の旅」>ヴィパッサナー瞑想を生活にを読み直し、誤字・脱字などのチェックをしている。BuddhanetのE-BOOKSの中からこの小論を選んで、印象に残った文章を要約しながら訳した。日常生活から切り離された修行としてではなく、生活の一方法としてのマインドフルネスをしっかりと基礎付けようという志のあるものを助けるという目的で書かれたもの。初心に帰るつもりで、以下の言葉を引用する。

「もし、怒り、欲望、執着、そしてあらゆる無数の感情や葛藤を理解し、解きほぐしたいならば、解決を見つけ出すためにどこか他のところへ出かける必要があるだろうか。家が燃えているとき、火を消しにどこか他のところへ行きはしないだろう。 もし、自らの心を本当に理解したいなら、怒り、欲望し、葛藤に陥っているときに、それを見つめなければならない。思考や感情が何度も何度も湧き上がり、消えるとき、心に注意を払わなければならない。感情に注意を向ける瞬間に、その強さが失われ、ついには消えていくのを見出すだろう。しかし、注意を向けないなら、その感情がずっと続いていくのを見出すだろう。怒りが静まったあとにのみ、怒っていたことに気づくのだ。」

最近、日常生活の中でのサティがおろそかになっているが、このブログにあえて書くことでサティへの思いを新たにしようと思う。自分の心が今、このように感じ、考えていると気づくことは、感じ、思考する自分の心を相対化する視界が開けてくる。日常生活の中で、目覚めている時間を多くすること。

◆明日、朝からまた一日半断食をしようと思う。これも、ブログにあえて宣言することで、途中で挫けないよう、自分を追い込む効果がある。もちろん断食中の心の動きは、細かにサティしていくこと。明日は、食べたいという心理的な欲求へのサティも含めて、感じたこと、気づいたことを報告したい。
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断食を終える

2010年01月12日 | 断食・少食
◆断食のこと
昨日は、ミルクティーなどの液体以外は口にいれなかったが、なぜかほとんど空腹感がなかった。以前行っていた頃は、就寝前頃がいちばん空腹を感じたのだが。これまでも、一晩たって目覚めてしまうと空腹感がまったくなくなったし、今回もそれは同じだった。11時ごろにクラッカーで軽く復食した。

あまりに簡単に行えたので、これから一週間に一回は続けていきたい。もちろん健康のためもあるが、食べたいという強い欲求が、何かしらの心理的な代償になっているのは確かで、断食はそうした心の働きへの気づきにもなる。今回は、「断食を達成したい」という意欲が、空腹感を消したのかもしれない。私にとって、食への欲求はそれほどに心理的なものなのだ。だからこそ、その辺の心の働きへのサティが大切なのだろう。

◆「覚醒・至高体験とは?」
サイト『臨死体験・気功・瞑想』の「覚醒・至高体験事例集」の「はじめに」のなかに「覚醒・至高体験とは?」という文章を掲載している。この事例集に事例を選ぶ基準は何かを簡単に述べながら、覚醒と至高体験の違いにも触れたものだ。

昨晩、ある方から、この文章を読んで興味をもったというメールをいただいた。それがきっかけになって、もう数年読み返していなかったかも知れないこの文章を読み直し、いくつかの誤字・脱字も訂正した。このサイトを全面的に読み直して、訂正すべきところを訂正したり、不備を補ったりすることも、再開したいことのひとつだ。

最近、エックハルト・トールを読み直していて、前から一点だけよく分からなかったことがあったのだが、覚醒・至高体験の事例を思い浮かべることで納得できたことがあった。それについては次回触れたい。
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断食のこと、「縄文はいつから」展のこと

2010年01月11日 | 瞑想日記
◆現在、19時になるところだが、一日半断食はここまでのところ順調。家にいると何かと誘惑が多いが、今日は午後、千葉県佐倉市にある国立歴史民族博物館へ「縄文はいつから!?」という企画展示を見に行ったのがよかった。出かける前、12時ごろに昨晩の鍋物の残りのスープを一杯、展示を見終わったあと京成佐倉駅でカンのミルクティーを一杯、帰宅時にやはり鍋物のスープを一杯。今のところ、あまり空腹感はない。

「縄文はいつから!?」の展示では、「日本列島最古のヴィーナス」の展示が、土偶との関連もあり、興味深かった。丸い礫を女体に見立てて、髪、乳房、性器などを線で刻み、母親が出産するときの安産のお守りとして握りしめていたらしい。出現期のごく素朴な小さな土偶も、やはり手で握るにふさわしい形のものだ。やはり土偶は安産に深く関係するのか。

5日には、東京国立博物館(上野公園)で行われている「国宝・土偶展」に行って来た。これまで、三内丸山遺跡をはじめ、各地の遺跡や博物館で、土偶はかなり見てきたが、この土偶展では国宝3点を筆頭に、遮光器土偶(つがる市・亀ケ岡遺跡)といった重要文化財などの逸品計67点をまとめて見た。

土偶についての学問的な解釈は様々にあり、何のために作られたのかなぞに満ちているが、そこに縄文時代人の精神性の一端が具体的に表現されていることはまぎれもない事実だ。この日本列島の深い森の中で一万年以上もの生活を積みかねてきた我々の先祖たち。土偶を見ていると縄文時代を生きた人々の心にほんの少しだけ近づくことができるような気がする。おそらく縄文時代に引かれるのは、私たちの心の古層が刺激されるからなのだろう。

◆昨日リンクを貼らせてもらったブログで驚くのは、そのアクセス数やコメントの多さだ。。「覚醒」をテーマにしたブログに、日に1万を超えるアクセスがある。ウェブという媒体によって確実に覚醒への輪が広がりつつあるのだろう。

『自我というのは、ある種の緊張感、怖れ、防衛本能のようなものだと思います。

本当は僕達みんな同じ一つのものなのですが、自分はそこから分離した個別の存在だという深い錯覚を持ってしまっています。

だから自分のことは自分が守らなければと思い、自分が作り出した外側の脅威から、これまた自分が作り出した「自己」という幻想を守ろうとするのです。』(いまここ塾、11日付けより)

このウェブ上の輪が、多くの人々の目覚めへのうねりになっていくのかも知れない。
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再開したいこと、いくつか

2010年01月10日 | 瞑想日記
◆本当に久々に「覚醒・至高体験事例集」に追加をした。といってもすでにこのブログで取り上げた岡倉天心の体験だが。→「事例集>病とともにある場合>岡倉天心

今後は、あまり間隔をあけずに事例集に新たなものをアップしていく予定である。いまのところ予定しているのは、プンジャジの『覚醒の炎―プンジャジの教え』の中の、プンジャジ自身の覚醒体験や、弟子の女性の体験。インドの経済学者ラビ・バトラの覚醒体験、『中論と他力信仰』の中で稲津紀三師氏が語る他力の信仰を通しての覚醒体験など。さらにケン・ウィルバーの『グレース&グリット―愛と魂の軌跡』のトレアの場合もいずれアップしたいと思う。

◆少食と一日半断食をかなり徹底して行っていたころに比べると、10キログラムほ太って70キロほどになってしまった。あの頃は、なぜかそれほど空腹感を感じなかったので、断食もいともたやすくできた。ところが最近は食欲と戦うのがかなり難しい。明らかに体が必要とする以上の食欲をコントロールできないでいる。そんなときこそ、しっかりとサティをする絶好のチャンスであるのに。ということで明日から一日半の断食にチャレンジする予定だ。

◆2009年12月06日付けの「意識の表層の発光」という記事にコトノハさんというかたが、「唐突ですが覚醒した人たちのブログをいくつか知っているのでシェアします」とコメントを下さった。今日は、そのうちの二つをここにもリンクしておく。

あの世に聞いた、この世の仕組み

いまここ塾

日本の、そして世界のあちこちでこのような人々が増え、それらがウェブを通して急速に輪を広げていっているのだろう。
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最近のこと

2010年01月03日 | 瞑想日記
正月は、たっぷり時間があってうれしい。

最近、アニメ、マンガに凝っている。中学生くらいまでは、マンガ、アニメがかなり好きで、将来はディズニーのようなアニメを作りたいと真剣に思っていた。小学生の頃、ディズニーの子供向け伝記を、毎晩枕元に置いて寝たのを覚えている。

その後は、関心が哲学や精神世界関連に移ってしまって、特に関心をもった作品を除いて、マンガやアニメに接することもほとんどなかった。

ただ、宮崎駿のアニメはずっと好きだったし、最近では新海誠の『秒速5センチメートル 』や松本大洋原作、監督マイケル・アリアの『鉄コン筋クリート』に強い印象を受けた。

ただこの一・二ヶ月は、最近話題になったマンガやアニメをかなり見るようになった。『デスノート』や『鋼の錬金術師』、『ヒカルの碁』、『のだめカンタービレ』等々、かたっぱしから見るようにしている。一方で歴史を題材にしたマンガ、たとえば『チェーザレ―破壊の創造者』なんかの歴史的考証の努力などにもびっくりしている。ともあれ、マンガ・アニメの世界の豊かさに目を開かれてしまった感じだ。これからが楽しみといったところ。

瞑想も続けいる。ただし、精神世界関連の本はほとんど読まなくなっている。ここ一週間ほど、このブログにコメントをいただいたりして、それが少し刺激になって、また精神世界関連の本も読みたくなっている。

いただいたコメントから感じたことなどは項をあらためて書きたい。
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