心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

晩秋の百済の都へ2

2014-12-04 | 地方旅行

師走も既に4日目、報告は‘晩秋の’旅報告が続きますが

昨夜お部屋をクリスマスバージョンに模様替えしてみました。

「晩秋の百済の都へ」の続きをご報告していきます。

 

通りすがりの方のご親切で、思いがけず大好きな料理を美味しくいただいて

人心地がつきました。頑張って進みます。

今回扶余でしたかったことは、30年前船で白馬江(ペンマガン)下りをしながら

眺めた百済終焉の地、扶蘇山城を歩いてみることです。

地図はありませんが、川辺に出れば何とか目的地に到着できそうな気がします。

道路標識を見ながら検討をつけて歩くこと7・8分で川辺に出ました。

向う岸にはそれらしい雰囲気も~。はやる気持ちで橋を渡るとたもとに小さな公園があり

大きな熊の彫刻と公州市と熊の所縁を書いた石碑がありました。

 

その先にやっと観光案内所がありました。地図をいただき、歩いて登れないチングの為に

タクシーで行くことができるかどうか尋ねようとすると、山の上にはタクシーで行ける

所はなく、それどころかここは公州市であり扶余ではないとのこと!ガ~ン

(そ、そんな~確かに東ソウルで「扶余」と行き先を言ってチケットを購入し

「扶余」行きと書かれたバスに乗って終点に到着したのに・・・・)

 

どうして扶余に着いてないの?

何が何だか分かりません。が今いるところが目的地でないことは確かです。

 

間違ってきたとはいえここも見るべきものはあります。

公州市は熊津と云われた頃、旧都漢城(現ソウル市)を高句麗に奪われた百済が

新たに都を置いた地です。市内にある武寧王陵は古代の王陵中被葬者が判明している

唯一の王稜として有名です。

現在は公開されておらず、副葬品等の出土品は公州博物館で

王陵内部の様子は模型展示館で見ることができます。

発掘後の整備過程だったのか、1983年初韓国の折、王稜内部に

立ち入って見学するという、今となっては幻の体験をしたことがあります。

 

この後扶余にも行きたいので博物館だけ大急ぎで見ることにしました。

 

入り口の武寧王胸像

 

王陵入り口、玄室の前で悪鬼から死者を守っていた石獣

被葬者が武寧王であることを示す墓誌石

「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年五月丙戌朔七日壬辰崩到」と

武寧王の生前の地位、名前、死亡年月日が記されています。

墓誌石前面に刻まれた文字の解説(左側漢字がその文字、右側はハングルの説明文)

墓誌石裏面に刻まれた(干支図)

腕輪

ネックレス

黄金の履物

棺とその飾り金具

多くの古墳群の埋葬者の棺が石棺で作られている中、武寧王の棺は木製

その材料は日本の和歌山県辺りに算出する‘こうやまき’であることから

日本との交流の資料として重要視されているそうです。

 

博物館見学を終えて入り口のチケット売り場の方にタクシーを呼んでいただき

一路扶余へと急ぎます。チングは国立扶余博物館へ、夫と私は扶蘇山城へ。

私たちはどんなに急いでも2時間はかかりそうです。

チングが早く見終えた場合の待ち合わせは

丁度博物館前に伝統茶なども飲めるカフェがあったので

そこで待ってもらうことにしました。

 

扶蘇山城、百済滅亡の地で多くの命が落とされ後宮の妙齢の美女たちが

百馬江の藻屑と消えていったのを黙って見ていた小高い山

愚かな為政者と為すすべを持たぬペクソン

後世の私たちは歴史に何を学べるでしょうか

扶蘇山城入口の表示

進んでいくと何と秋も深まったというのにチンダルレ(つつじ?)がまだ花を残していました。

登山道分かれ道、右は急な登り道、左は緩い道、迷うことなく左を選択

まだ入り口近くなのに荷物を放り出して、主たちはどこへ行ったのやら

行く道々は美しい紅葉

ず~っと歩いていくといろんな表示があります。どこかに薬水が出るところがあるようです。

  

コラン薬水伝説

はるかな昔子供のない老夫婦がいましたとさ。老いるほどに子供を持ちたい気持ちが

つのったお婆さん、若返りの効能のある薬水の湧くところにおじいさんを行かせました。

夜になっても帰らぬおじいさんに、翌日訪ねていくとおじいさんの服をきて

横になっている赤ん坊がいて驚いたおばあさん。

一杯飲むと3年若くなるという言葉を教えなかったことを後悔しながら

生まれたばかりの赤ん坊を抱いて家へ帰り、後年その子は大きな功を立て百済時代

最高の官位に上ったとさ。

 

(残念ながら先を急いでこの薬水は飲み損ねました。)

 さらに歩いていくと登山道の落ち葉を掃く人々が~

(御苦労さまです)

望楼

いよいよここが落花岩の標示

落花岩から百馬江(ペンマガン)を望む

これで今日の目的は達成できました^^

さあ、どうやって戻ろうか?来た路を戻るのもいいし

この絶壁をコラン寺迄降りてそこから出ている渡し船で麓まで行くのもいいけれど・・・

船は何時までだろう、まだ出るかしら?下まで降りてしまって

船が出るのはもうお終いだったらショックです!

 

迷った時は、成功したら面白いこと、やって見て楽しい方を選ぶという

いつもの選択をして、正解でした。

降りるや否や船の出発時間、あたふたと乗り込んでホッと一息つきました。

この船、どこかの団体とご一緒させていただいたんですが

ほんとに楽しかったです。

船から乗船場、その上にコラン寺、さらにその上に落花亭

 

団体さんは年の頃5・60歳以上の方ばかりで

船が動き出すや船内は一大カラオケ大会。故事にちなんだ歌や

韓国風歌謡曲を楽しげに歌いかつ緩慢な動作で踊る伯父さまたち

思わずスマホで動画を撮らせていただきました^^

扶蘇山の山裾、クドゥレの渡し場まで20分足らず大満足の短い船旅でした。

 

降りた後は通るタクシーもない中、ひたすら見当をつけて博物館前へ

歩きます。観光地のイラストマップ、近道だと思った道が意外に遠く

チングの待つカフェに飛び込んだ時はすでに辺りは真っ暗でした。

 

ここで初めて体験をまた一つしました。カフェのマダムに何を飲みますか

と聞かれ、お勧めの伝統茶がありますかと聞きましたら

マ茶はどうかと云うのです。マ茶?

「マ」って漢字語かしら?だとしても麻くらいしか思い浮かびません。

でも麻がお茶になるとは聞いたことが無いし、想像もちょっと・・・

ひとしきりああだこうだと話した後、百聞は一見にしかずと注文して見ました。

マ茶

トロ~ッとした舌触りでお腹にも易しそうな仄かに甘い飲み物

正体は長いもでした。今年は5月のごぼう茶に続き二つ目の新しい伝統茶経験です。

【カフェのマダムに取材のマ茶の作り方】

長いも輪切りを干して潰し、粉にしたものをお湯で溶いてつくり

生のものから作る場合は牛乳かヨーグルトで混ぜる。

 中に浮いているのは棗の薄切りです。

 

お茶の後は扶余市外バスターミナルからソウル南部バスターミナルへ向けて出発です。

疲れているので3列でゆったり座れる優等バスにしました。

意外に小さい市外バスターミナル

 

長文をお読みいただきありがとうございました。ソウル到着後の夕食タイムもありますが

長くなりましたので割愛させていただきます。