心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

ヨンチングと清澄白川を歩く

2015-03-05 | 日記

今日は良く晴れて、絶好のお雛様片付け日でした。

娘が小さい頃は、永く手元に置きたいからと、3月いっぱいは飾っていたお雛様

今年は夫から、3日が過ぎたらすぐに仕舞おうと提案され、即同意!

3月2日サードウェーブに乗って清澄白川へ出かけた日の続きです。お読みください

 

         

          ヨンチングと清澄白川を歩く

 

ブルーボトルを出た私達、この地に数あるスポットのうち、まずは芭蕉所縁の地を訪ねます。

仙台堀川海辺橋の袂にある「採茶庵(さいとあん)跡」の碑。

 

そしてこの碑、標識と思いきや両側面及び裏面を利用して、何やら刻まれています。

左を眺めた私、右側へ回ったチング、それぞれ首をかしげて?

左側面から順に読んでいって、やっと意味が通じました。

弟子の杉山杉風がこの庵を提供したことや、芭蕉の句が一句そこには書かれていました。

白露も こぼさぬ萩の うねりかな

 

碑に合わせて芭蕉像も設立されています。 

採茶庵1.jpg

 縁側に腰掛け、いざ出立の姿のようですが、建物がどうにもしっくり致しません。

説明が無いので経緯もわからず、予算の関係かと勝手に想像をめぐらすのでした^^;

 

庵の脇を堀川沿いに歩けば、「水辺の道」の散歩道

道伝いに芭蕉の句がたどれるようですが、清澄庭園にも行きたいし・・・で、端折ってしまいました。

行ってたら、最初の句は   「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」

ひな祭りを翌日に控え、何ともタイムリーな句を読めたことでした。

 

海辺橋を渡って駅方面に歩けば、すぐ左に緑濃い清澄庭園が見えます。

入り口はぐるっと回って反対側。

こんな広大な敷地は、きっとどこかの大名屋敷跡に違いないと、想像しながら向かいます。

 

清澄庭園

 

 はっきりしたことはわからないそうですが、一説によると紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と

伝えられているここを、明治になって岩崎弥太郎が、手に入れ造園したのだそうです。

 

大きな池を中心に配した「回遊式林泉庭園」で、池には三つの中島が配置され、鴨や亀が遊んでいます。

園内いたるところに、各地から集められた名石が置かれ、まるで「石庭」を見ているようでした。

池の中の飛び石を踏んで、水の中に踏み入るようにできたのが嬉しかったです。 

 view03302.jpg

 

 

一番奥の自由広場には、緋寒桜がほころび始めたばかりの枝を広げ、

ここにも芭蕉の句碑が(園とは何の縁もありませんがの断り書き付きで)建っていました。

碑を見ながら元文学少女のチングが、俳聖芭蕉の凄さを語るべく

酔っぱらった弟子去来が詠んだ句を、披露せんと頭をひねっておられます。

 

帰宅後メールが来て、教えていただいたその句は

岩鼻や 此処にもひとり 月の客

「岩鼻」が出てこないと焦っておられましたが、すんなり出るより

印象深く残リ、且つお勉強にもなったのでした。

ちなみに弟子の意図は

名月を愛でに岩場にでてみたら、既に先客が一人いた

というもので、これを他の弟子が、「月の客」より「猿の客」が良いだの

なんのかんのと騒いでいたら、芭蕉先生が

月の客は、岩の他にただ一人、詠んでいるその人そのものと考える方が

より風流だと評して

詠んだ本人が意図しなかった解釈をし、さすが先生だという話になったという逸話です。

 

 

自由広場の緋寒桜以外には、取り立てて花は目立たないお庭でしたが

 最後に入り口近くの美しく仕立てられた紅梅白梅の下に

黄色い福寿草を見つけて、初めて見る実物の福寿草に

本当に福をいただいて帰りました^^

今日の写真は全てネットからの借り物です。カメラも持たず出かけるなんて、ブロガ―失格ですね^^;)