心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

「韓国のソンビと日本の侍(サムライ)」

2015-03-21 | 講演会

3月11日、韓国文化院主催講演会に参加してきました。報告が10日も遅れて


しまったのは東京方面へ出かけるついでに、他の用事やお楽しみを入れてしまい


その報告をしていたからといいたいところですが、実を言うと手に余るテーマに


ぐずぐずしていたというのが正直なところです^^;


 


韓国文化院ではさまざまな交流行事が開催されていますが、その中に講演会シリーズ


があります。今年のテーマは「韓日文化比較」その第3回として「韓国のソンビと日本の


侍(サムライ)」が東北大学の片岡龍准教授を講師に開催されました。


 


ソンビと聞くとぺヨンジュンが書いた『韓国の美をたどる旅』が思い出されます。


90ページに、韓国の栗原はるみと云われる韓服デザイナーのイ・ヒョジェさんが


昔のものを現代的に活用しているアイデアとしてソンビチェッケ(ソンビの本箱)


紹介され巻末にソンビの説明として「学識が高く、礼儀正しく、人格の高い人」と


あります。これが事前に私が知っていたソンビの全てです。


 


韓国語を通じて訪れるようになった韓国、ドラマや俳優を通じて更に好きになり


もっともっと知りたいと思うようになりました。ソンビって何だろう?


 准教授は韓国の大学で教えた経験もある方で、韓国を訪れた時看板に書かれた


ハングルの文字と教会の多い事意外には日本とほとんど変わらないと思ったそうです。


 


韓国は近くて近い国だと思ったが、似ているから親しみを感じるのは最初のうちで


付き合って行くうちに違いを感じたり、相いれない面に気付いたりするのは夫婦がそうで


あるように、10年付き合って知れば知るほど違うと思うようにもなった。しかし違うと


いうことがわかっただけでいいのか、平行線でいいのか?


 


異質な他者が出逢って、交わらないまま住み分けるというのでは寂しい。


 違いはあるが、かけがえのない違う人間であることを認識し、かけがえのない


人格として尊重し合いたいと主張される。


 


 


日本に誇り高く生きる理想像として侍があるように、韓国にはソンビがある。


日本の侍を理解する「死・刀・土地」という3つのキーワードに対応してソンビの


キーワードを探してみると、「いのち・ことば・たび」が挙げられる。


 


学識高く人格者ではあるが、ソンビは身分概念ではない。したがってイコール


両班(ヤンバン)でもない。両班が官職に上がった特殊階層で、大衆とは隔離された


存在であったのに対、しソンビは官職を持たずともその地位を維持する。


 


上流層が主に社会を代弁していた時代、これを補完し民衆の意見を上層に伝達して


いたのがソンビだ。つまり全ての人間を尊重するという意味で生命に対する


愛を含んでいる。


 


彼らは社会的閉塞状況を「ことば」で打開する。これを「言路を通じる」という。


言路を通じ社会が円滑に疎通するのに大きな役割を果たし、社会的生命力の源泉に


なっていた。それを朝鮮時代の儒学者李退渓は「士子(ソンビ)は元気の寓」と


規定した。


 


外国人学者としソンビを見る時、彼らは非常にダイナミックな存在であった。


大衆を重要だと考える理念と義理があり、また社会的名分と正義に忠実なために


自身の志を守る抵抗集団でもあった。このような特性により、彼らは日本の侍や


中国の官吏よりも肯定的な役割を多く果たした。


 


日本人でソンビ的な人は誰かと思うと行基・芭蕉・田中正造・高倉健・後藤健二等が


浮かぶ。高倉健はちょっと言葉の面で弱く、芭蕉は世の中との関わりに弱いが・・


田中正造が一番近い。


 


今の時代ソンビがあり得るのか、例えばソンビはお金にこだわらないが、それは今と


なっては過去のものだが、だからこそ見直す意味がある。文化を生み出していく


必要がある。(を教授がどう話されていたかはメモもなく失念していますが


日本の状況を話されていたように思います)


かけがえのない違う人間であることを認識すること、かけがえのない人格として


尊重し合うことで共生(相生)していきましょう。