一昨日(3/11)韓国文化院で開催されている講演会に招待され出かけてきました。
出かけるついでに飯田橋に勤務する娘のお昼休みに合わせ、ランチを一緒にしたので
夜の講演会までのたっぷり開いた時間、一人で上野の森を散歩してきました。
JR上野駅を公園口から出、右方向へ足を向けると線路側には、今や東京の新しい
シンボル(とはいえ一体東京には幾つ、こうしたシンボルがあるんでしょう^^)スカイツリーを
どうしても探してしまいます。こうしたタワーに上るのは特段好きではありませんが、定点
観測的に同じものを時間をおいて眺めるのが好きなんです^^
写真の丁度中央部にうっすら小さくスカイツリーが
急ぎ足で通るときには、気付かなかった色々な看板に目を向けながら歩いてみると
公園近くに、三菱創業者の旧岩崎邸があるのを知りました。先日訪れた清澄庭園と
同様三菱が東京都に寄付し、一般に公開されているものです。きっと素敵な邸宅でしょう!
後でそこにも行ってみましょう。
公園に一歩足を踏み入れるとこんなものが目につきました^^
もう二週間もすると桜の開花、私は未体験ですが、ここは花見客で大賑わいとなり
ますね^^満開の桜の下での宴、時間の経つのも忘れて楽しいことでしょう。
飲み過ぎや急性アルコール中毒には注意しましょう!
≪閑話休題≫ 韓国の古い二日酔い解消法に、葛切りが効くという説があります。『韓国の美を
たどる旅』(ぺヨンジュン著)に出てくる江原道の古いお宅の言い伝えです。花見の予定のある方
事前に試してみてはいかがでしょう。
東京文化会館の前に、初代都知事の大きな胸像がありました。第二次大戦後の
焼け野原の東京を復興させ、東京オリンピックの誘致に尽力された方だそうです。
首都東京の復興!どんな甚大なご苦労があったのだろうと神妙な気持ちになると
同時に、現在東北地方で進められている復興は順調に進んでいるのかとの思いが~~。
すると何と今日(3/13)夜のニュースで、阪神淡路大震災時に作られた行政の復興マニュアルが
東日本大震災の時、震災直後の応援時にそのマニュアル持参で駆けつけ、大いに役立った
という話が聞けました。各地の被災自治体が大いに参考にし、効率的に進められるよう願っています。
安井誠一郎 銅像
文化会館を過ぎて林の中を右に曲がると、大好きな緩やかなカーブを描く散歩道
向うには何があるのでしょう?
この公園内にはあまり花の咲く木は無いらしく、寒緋桜が少しみられただけでした。
たった一か所色づいていた噴水脇の緋寒桜
国立博物館本館(正面の左右対称な姿を撮りたかったのですが、木に遮られて残念!)
噴水前の広場では、東京都ヘブンアーティストに認定されているカラムスという
パーカッションデュオが演奏中で、三々五々聞き入っている人々が長閑で雰囲気
良かったです^^
このヘブンアーティスト制度、都が若いアーティスト育成の為に設けている制度
らしいけれど日本にもこんな制度が出来ていたんだと、芸術に対する支援策が
貧しい日本の制度をずっと批判的に思っていましたので、少しだけ反省。
遊園地を過ぎて右側へ進路をとると寛永寺の大仏殿跡に出るとか、現在は頭部のみの
大仏さまがどこかにいらっしゃるというので、見学したかったのですが、すぐはわからず
断念しました。お寺のホームページのお写真は↓
坂を不忍池方面へ下りた所にある神社の境内には、梅や河津桜(多分)コブシなど
ここだけ別世界のように、花が一杯で良い香りに包まれていました。早速接写含めて
何枚か撮ってみたのですが・・・ほとんどボケぼけで・・・(それでも厚顔にも載せる私)
不忍池には池を琵琶湖に中之島を竹生島に見立てて、中之島に弁天堂が建てられて
います。弁天堂の天井には昭和の画家によって龍の絵が、また弁天堂前の手水鉢の
上には谷文晁の描いた龍の絵があるというので見に行ったのですが、谷文晁の絵は
見つかりませんでした(残念)。
弁天堂内部の龍の図
中之島の中には、料理関係のさまざまな碑や魚などの供養碑等がたくさん建っていました。
どんな謂れがあるのでしょう?
不忍池、今までは蓮池とばかり思っていましたが、遊歩道で三つに区切られていました。
北側は鵜の池、東が蓮池で西側は貸しボートが浮かんでいました。弛んできたとは言えまだ
朝晩の風が冷たい広い池に、お客さんはいないだろうな、と思ったら一組、若いカップルが~。
この道を突っ切って出た道路の横断歩道を渡り、一歩奥に入ると旧岩崎邸です。
旧岩崎邸はまた次回に~。