5年前の今日、私はいつものように居間のソファに陣取り、パソコンを開いて
いたか、テレビで韓国ドラマでもみていたはず、風邪気味でたまたま在宅して
いた連れ合いは、揺れが始まるや背が高く細長い棚が倒れないよう押さえて
いた様な~
経験したことのない揺れに気付き、震源地は、近く?それとも別な地域?
テレビは揺れる前からついていたのか、地震情報を知ろうとその時つけたのか
定かではないけれど、少なくとも直後からしばらくはつけっぱなしにしていた。
震源地は東北地方、遠方なのにこの揺れは何!被害はどんな?
テレビに写し出される映像を、釘づけになって見つめていた。
幸いなことに直後の映像では、震源地に近い地方に倒壊家屋は見られず、一旦
胸をなでおろしていた。阪神淡路の経験が生きているんだと思った。
そう思ってからどれ程たったのだろう、津波が押し寄せ、逃げまどう人々・・・
またたく間に家々が水に押し流され、飲みこまれていった。
人々が営々と築いてきた生活・財産・絆~~諸々が、容赦なく破壊され
海のかなたへ消えてしまった。
過酷なことだが、ここまでだったならば、礼儀正しく勤勉な私たち日本人は
また営々と復興への道を歩んだだろう。
だがこの後起きたことは、もう詳細には記憶に残っていないが、努力では
如何ともし難いものを私たちは背負わされてしまった。
地震とそれに続く津波によって安全神話が泡の如く消えた原発事故
大自然の営みの前に、絶対安全などあり得ないと
学んだはずなのに、企業やその意を受けた自民党政府はまだ原発を
推進している。
安心して暮らすことが保障されないところに、一体どんな夢が、未来が描ける
というのか!
原発事故以降、私は我が娘に結婚・出産の話題を持ちだすことを止めた。
どういう人生を歩むかは、娘の選択に任す外ないが、少なくとも未来に
夢を描けるような安心できる社会は潰え、そんな社会に子孫を残すことを
積極的には肯定できないと思うからだ。
だがその一方で、そんな不安な時代だからこそ、共に歩むベターハーフを
見つけてほしいと、願ってしまう矛盾した思いをどうしたら・・・^^;
チェルノブイリ事故の年に生まれた娘は、満30歳の誕生日を迎えた。