心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

講演会へ行くついでの上野の森散歩と旧岩崎邸(その2)

2015-03-17 | 日記

3月11日講演会へ行くついでに上野の森を少し散歩し、引き続き旧岩崎邸へと足を

のばした日の記録です。 

旧岩崎邸は、今はもうビルに遮られて見えないと思いますが、往時なら不忍池が

見下ろせそうな小高い所にあります。池が昔もあったかどうかわかりませんが、いずれ

にしろ眼下は上野の森(寛永寺の森)緑豊かな絶好のロケィションだったことでしょう。

 

門を入ると緩やかなスロープが敷地沿いにつづきます。そろりそろり登って行くと

登りきった管理事務所の脇に大木がありました。幹にも枝にも瘤のような不思議な

ものが垂れ下がるようにできています。一体何でしょう?

こんな現象は初めて目にしました。これは銀杏で、銀杏は樹齢が長くなると木から乳が

滴るような、こうした現象が起きるのだそうです。この木は樹齢400年以上だとか。

旧岩崎邸のあるこの庭園は元大名屋敷を三菱創業者の岩崎家が購入したもので

庭園内には古くからの日本庭園の名残が見られます。他にも大木がたくさん.

 

                     洋館

旧岩崎邸は洋館・和館・撞球室(ビリヤード場)の三棟が、往時の3分の一ほどになったという

敷地の中に公開されています。洋館は現存する所では御茶ノ水のニコライ堂を設計した

英国人ジョサイア・コンドルの設計で、晩年の作品に比べると装飾性が強く、全体のスタイルや

装飾は英国17世紀のジャコビアン様式を基調としつつ、南面のベランダはコロニアル様式

天井や暖炉などの細部にイスラム風のデザインが施されるなど様々な様式が織り交ぜられ

ているのだそうです。この洋館は迎賓館として利用され、岩崎家の通常の生活は和館の方で

営まれたといいますが、建て坪550坪のうち大広間と呼ばれる現存部分を残し、大部分は

国有化の段階で取り壊されてしまいました。明治時代に大工棟梁として数多くの住宅を

手がけた、大河喜十郎施工と伝えられています。現存していれば洋館よりもその文化財としての

価値は高かったと惜しまれているそうです。

 

 

内部は写真撮影禁止なのでご紹介できないのが残念です。ご興味が湧いたら検索で

ご覧になってくださいね。

洋館では驚嘆したものが2点あります。一階女性客の為のお部屋の天井に施された

刺繍の装飾と壁紙です。

天井の刺繍は、天井という目立たない所にまで手の込んだ素晴らしい工芸品で装飾

されていることにびっくりしました。色はさすがに永い年月を経た日焼けで退色して

いますが、糸を重ねて刺されたその質感のやさしい感じは、ここにたたずむ人を幸せな

心地に包んだろうと思われます。

修復の時だかに天井から外され、裏側から写した写真が展示されていて、退色前の

色の名残を見ることができます。

     天井の刺繍装飾(ネットより)

もう一点は金唐革紙の壁紙です。伝来の素晴らしい工芸品に想を得て、本家に劣らない

素晴らしい物作りを、創意工夫でやってのけるのは日本人の腕の冴えるところですが

この壁紙の製作においても、そうした力がいかんなく発揮されたようです。

 

金唐革紙

欧米の宮殿や市庁舎などの室内を飾る「金唐革(きんからかわ)」という高級壁装材が

17世紀半ばに日本に伝えられた。唐草や花鳥などの文様を、型を使って革の表面に

浮き上がらせ、金泥その他で彩色された皮革工芸品で人気を博した。鎖国で入手困難で

きわめて貴重だったため和紙を素材に代用品が考案されたのが「金唐革紙」だった。

金唐革紙(金唐紙)は和紙に金属箔(金箔・銀箔・錫箔等)をはり、文様を彫った版木棒に

当てて凹凸をつけ、彩色する。その全ての工程は手作りで製作され、金属箔の光沢と華麗な

色彩が豪華絢爛である。

明治の洋風建築に用いられたが、その多くは消滅し、現存するのは数ヶ所だけという貴重な

文化財になっている。昭和初期には徐々に衰退し、昭和中期以降その製作技術は完全に

途絶えていた。旧日本郵船小樽支店(重文))の復元事業で、現代版「金唐革紙」の復元製作も

行われるようになり、旧岩崎邸公開にあたっても2室だけ復元された。

 

建物の南側は一・二階とも全面バルコニーとなっています。一階の床はタイル貼り

ミントン社のタイルだそうです。二階は木製でした。このベランダや東側の、後から

増築された部分だというサンルームは、室内から外の気配を感じられる中間的な

空間として、そこに居るとなんだか時間までもゆったり流れて行きそうな気がします。

 

 

和館からは前庭に手水鉢、芝庭の向うに灯篭が目に入りその丸みに何だかとても

心が和みます。

和館の見どころは、橋本雅邦(がほう)下絵と云われる壁絵や襖、そして岩崎家家紋

三階菱の意匠による釘隠しや書院組子等

広い芝庭では野外コンサートも行われているようですから、ここはまた度々来たい

場所になりました。

観覧時間終了の放送に外に出ると、撞球室脇の花壇にこの間各ブログでよく話題に

なっていたクリスマスローズらしき花があったので、各色写してみましたが・・・

かろうじて暈けていなかったのはたった一枚、トホホです^^;

 

 

 


講演会へ行くついでの上野の森散歩と旧岩崎邸

2015-03-12 | 日記

一昨日(3/11)韓国文化院で開催されている講演会に招待され出かけてきました。

出かけるついでに飯田橋に勤務する娘のお昼休みに合わせ、ランチを一緒にしたので

夜の講演会までのたっぷり開いた時間、一人で上野の森を散歩してきました。

 

JR上野駅を公園口から出、右方向へ足を向けると線路側には、今や東京の新しい

シンボル(とはいえ一体東京には幾つ、こうしたシンボルがあるんでしょう^^)スカイツリーを

どうしても探してしまいます。こうしたタワーに上るのは特段好きではありませんが、定点

観測的に同じものを時間をおいて眺めるのが好きなんです^^

     写真の丁度中央部にうっすら小さくスカイツリーが

 

急ぎ足で通るときには、気付かなかった色々な看板に目を向けながら歩いてみると

公園近くに、三菱創業者の旧岩崎邸があるのを知りました。先日訪れた清澄庭園と

同様三菱が東京都に寄付し、一般に公開されているものです。きっと素敵な邸宅でしょう!

後でそこにも行ってみましょう。

 

公園に一歩足を踏み入れるとこんなものが目につきました^^

もう二週間もすると桜の開花、私は未体験ですが、ここは花見客で大賑わいとなり

ますね^^満開の桜の下での宴、時間の経つのも忘れて楽しいことでしょう。

飲み過ぎや急性アルコール中毒には注意しましょう!

≪閑話休題≫ 韓国の古い二日酔い解消法に、葛切りが効くという説があります。『韓国の美を

たどる旅』(ぺヨンジュン著)に出てくる江原道の古いお宅の言い伝えです。花見の予定のある方

事前に試してみてはいかがでしょう。

 

東京文化会館の前に、初代都知事の大きな胸像がありました。第二次大戦後の

焼け野原の東京を復興させ、東京オリンピックの誘致に尽力された方だそうです。

首都東京の復興!どんな甚大なご苦労があったのだろうと神妙な気持ちになると

同時に、現在東北地方で進められている復興は順調に進んでいるのかとの思いが~~。

すると何と今日(3/13)夜のニュースで、阪神淡路大震災時に作られた行政の復興マニュアルが

東日本大震災の時、震災直後の応援時にそのマニュアル持参で駆けつけ、大いに役立った

という話が聞けました。各地の被災自治体が大いに参考にし、効率的に進められるよう願っています。

  

                  安井誠一郎 銅像

文化会館を過ぎて林の中を右に曲がると、大好きな緩やかなカーブを描く散歩道

向うには何があるのでしょう?

この公園内にはあまり花の咲く木は無いらしく、寒緋桜が少しみられただけでした。

たった一か所色づいていた噴水脇の緋寒桜

 

国立博物館本館(正面の左右対称な姿を撮りたかったのですが、木に遮られて残念!)

 

噴水前の広場では、東京都ヘブンアーティストに認定されているカラムスという

パーカッションデュオが演奏中で、三々五々聞き入っている人々が長閑で雰囲気

良かったです^^

 

このヘブンアーティスト制度、都が若いアーティスト育成の為に設けている制度

らしいけれど日本にもこんな制度が出来ていたんだと、芸術に対する支援策が

貧しい日本の制度をずっと批判的に思っていましたので、少しだけ反省。

遊園地を過ぎて右側へ進路をとると寛永寺の大仏殿跡に出るとか、現在は頭部のみの

大仏さまがどこかにいらっしゃるというので、見学したかったのですが、すぐはわからず

断念しました。お寺のホームページのお写真は↓

上野大仏(パゴダ)

 

坂を不忍池方面へ下りた所にある神社の境内には、梅や河津桜(多分)コブシなど

ここだけ別世界のように、花が一杯で良い香りに包まれていました。早速接写含めて

何枚か撮ってみたのですが・・・ほとんどボケぼけで・・・(それでも厚顔にも載せる私)

 不忍池には池を琵琶湖に中之島を竹生島に見立てて、中之島に弁天堂が建てられて

います。弁天堂の天井には昭和の画家によって龍の絵が、また弁天堂前の手水鉢の

上には谷文晁の描いた龍の絵があるというので見に行ったのですが、谷文晁の絵は

見つかりませんでした(残念)。

                弁天堂内部の龍の図

中之島の中には、料理関係のさまざまな碑や魚などの供養碑等がたくさん建っていました。

どんな謂れがあるのでしょう?

不忍池、今までは蓮池とばかり思っていましたが、遊歩道で三つに区切られていました。

北側は鵜の池、東が蓮池で西側は貸しボートが浮かんでいました。弛んできたとは言えまだ

朝晩の風が冷たい広い池に、お客さんはいないだろうな、と思ったら一組、若いカップルが~。

この道を突っ切って出た道路の横断歩道を渡り、一歩奥に入ると旧岩崎邸です。

旧岩崎邸はまた次回に~。


ヨンチングと清澄白川を歩く

2015-03-05 | 日記

今日は良く晴れて、絶好のお雛様片付け日でした。

娘が小さい頃は、永く手元に置きたいからと、3月いっぱいは飾っていたお雛様

今年は夫から、3日が過ぎたらすぐに仕舞おうと提案され、即同意!

3月2日サードウェーブに乗って清澄白川へ出かけた日の続きです。お読みください

 

         

          ヨンチングと清澄白川を歩く

 

ブルーボトルを出た私達、この地に数あるスポットのうち、まずは芭蕉所縁の地を訪ねます。

仙台堀川海辺橋の袂にある「採茶庵(さいとあん)跡」の碑。

 

そしてこの碑、標識と思いきや両側面及び裏面を利用して、何やら刻まれています。

左を眺めた私、右側へ回ったチング、それぞれ首をかしげて?

左側面から順に読んでいって、やっと意味が通じました。

弟子の杉山杉風がこの庵を提供したことや、芭蕉の句が一句そこには書かれていました。

白露も こぼさぬ萩の うねりかな

 

碑に合わせて芭蕉像も設立されています。 

採茶庵1.jpg

 縁側に腰掛け、いざ出立の姿のようですが、建物がどうにもしっくり致しません。

説明が無いので経緯もわからず、予算の関係かと勝手に想像をめぐらすのでした^^;

 

庵の脇を堀川沿いに歩けば、「水辺の道」の散歩道

道伝いに芭蕉の句がたどれるようですが、清澄庭園にも行きたいし・・・で、端折ってしまいました。

行ってたら、最初の句は   「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」

ひな祭りを翌日に控え、何ともタイムリーな句を読めたことでした。

 

海辺橋を渡って駅方面に歩けば、すぐ左に緑濃い清澄庭園が見えます。

入り口はぐるっと回って反対側。

こんな広大な敷地は、きっとどこかの大名屋敷跡に違いないと、想像しながら向かいます。

 

清澄庭園

 

 はっきりしたことはわからないそうですが、一説によると紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と

伝えられているここを、明治になって岩崎弥太郎が、手に入れ造園したのだそうです。

 

大きな池を中心に配した「回遊式林泉庭園」で、池には三つの中島が配置され、鴨や亀が遊んでいます。

園内いたるところに、各地から集められた名石が置かれ、まるで「石庭」を見ているようでした。

池の中の飛び石を踏んで、水の中に踏み入るようにできたのが嬉しかったです。 

 view03302.jpg

 

 

一番奥の自由広場には、緋寒桜がほころび始めたばかりの枝を広げ、

ここにも芭蕉の句碑が(園とは何の縁もありませんがの断り書き付きで)建っていました。

碑を見ながら元文学少女のチングが、俳聖芭蕉の凄さを語るべく

酔っぱらった弟子去来が詠んだ句を、披露せんと頭をひねっておられます。

 

帰宅後メールが来て、教えていただいたその句は

岩鼻や 此処にもひとり 月の客

「岩鼻」が出てこないと焦っておられましたが、すんなり出るより

印象深く残リ、且つお勉強にもなったのでした。

ちなみに弟子の意図は

名月を愛でに岩場にでてみたら、既に先客が一人いた

というもので、これを他の弟子が、「月の客」より「猿の客」が良いだの

なんのかんのと騒いでいたら、芭蕉先生が

月の客は、岩の他にただ一人、詠んでいるその人そのものと考える方が

より風流だと評して

詠んだ本人が意図しなかった解釈をし、さすが先生だという話になったという逸話です。

 

 

自由広場の緋寒桜以外には、取り立てて花は目立たないお庭でしたが

 最後に入り口近くの美しく仕立てられた紅梅白梅の下に

黄色い福寿草を見つけて、初めて見る実物の福寿草に

本当に福をいただいて帰りました^^

今日の写真は全てネットからの借り物です。カメラも持たず出かけるなんて、ブロガ―失格ですね^^;)


サードウェーブに乗って^^

2015-03-04 | ヨンジュンさん関連

一昨日(3/2)久方振りに都内まで出かけてきました。

暮れのカフェ巡り以来、ヨンジュン家族の方々とお目にかかっていなかったので

お声掛けして見た所すぐ話がまとまりました。行き先は清澄白川に最近できた

ブルーボトルというカフェです。

 

ここへ行くことになったのは、我らがBYJとそのカジョクであるヨンチングの楽しき

誤解のお陰でした。

実はヨンジュンさんはバリスタの資格のみならず、さらに取得が難しいといわれて

いるコーヒー豆鑑定士の資格すらも、自らとってしまうほどコーヒーには、含蓄、蘊蓄

をもっているんです。

 

東京にも度々プライベートで来て、カフェ巡りをしたりされています。

昨年11月末の来日では、六本木・原宿のカフェなど何軒かに行かれたと聞いて

いましたが、その時清澄白川のカフェにもいらしたという消息が最近わかりました。

 

その一方2月に、あるTV番組で‘ニッポンの"カフェ" 新時代’として、アメリカで

大人気のコーヒーチェーン「ブルーボトル」が、日本に初進出するにあたっての

4カ月を追ったものが放送されたそうです。

その番組を見たウリヨンチング、ヨンジュンさんが行ったカフェはここに違いない

と確信してしまいました。

 

話がまとまると活躍してくださるのが、ヨンジュンさん情報に精通するチングです。

彼女によると、行かれたお店は別なカフェだということでしたが、ブルーボトルもそう

ですが、この間彼が訪れているカフェは、サードウエーブコーヒーと呼ばれるアメリカを

発祥とする新しい流れのカフェなのだそうです。

 

【サードウェーブとは】

ファーストウェーブ=第一の波

真空パックが開発され、焙煎コーヒーの遠距離流通が可能になり大量生産で大量消費されたコーヒーの時代。

 

セカンドウェーブ=第二の波

第一期の「美味しくないコーヒー」に嫌気がさし、1980年代頃から「質の良いコーヒー」を広めようと

それまでのコーヒーとは違う高品質の豆やエスプレッソマシーンなどを使い始めた。

「スターバックス」等の流れ。エスプレッソを主流としながら様々なアレンジコーヒーが楽しめ、紙コップで

テイクアウトできるアメリカ流のコーヒー文化が世界中に広がった。

 

そして2000年以降、そのマニュアル化された大手コーヒーチェーンの「アンチ」として登場してきたのが

アメリカのポートランドなどを中心に人気となっていた「サードウェーブ・コーヒー」という事になるそうです。

 

 

ということで私たちもサードウエーブに乗って、ヨンジュンさんに先んじて

ブルーボトルに行ってきました。

 

カフェのある清澄白川は隅田川の東側スカイツリーのある地域から少し南下

した場所にあります。いわゆる江戸深川と呼ばれる地域で、そのものずばり

お昼は現地集合後に現地を歩いて見つけた深川飯(アサリご飯)にしました。

 

食後に駆けつけたブルーボトルは、こうなっています。↓

この後ほんのしばらくで、列はどんどん増えこの倍くらいにはなったでしょうか・・・

私たちは並びはしたもののあまり待たずに入店できました^^

 

                こちらはお店の正面

店内に入ると右側にカウンター、スタッフがずらり並んでコーヒーを淹れています。

一人分ずつ丁寧に入れるのがサードウェィブのスタイルだそうです。

まっすぐ奥に進んだ所にレジがあり、店内に入るとまずレジに直行します。

注文時にちょっと戸惑いました。メニューの一番目立つ所に書かれているのは

オリジンコーヒー、その次にブレンドとあります。となればこの店のウリはオリジン

コーヒーにあるんだろうと思いますが、オリジンって何?コーヒーの種類?

 

これは豆をブレンドせず単一種の苗木から収穫した豆だけで淹れるコーヒーを

総称して言ってるようです。生産地を指定して好みの豆を注文します。私はその時

紹介されたコスタリカを注文することにしました。注文する時名前を聞かれます

ので伝えると、オーダーが名前入りの伝票でカウンターに伝えられます。

したがってでき上った時の受け渡しも名前で呼ばれます。

 

注文したコーヒーは、一人分ずつハンドドリップで淹れてくださいます。

私のコヒーを淹れてくれたスタッフさん↓、チングによるとTVでオーナーに

ドリップの指導を受けていた人だそうです。表情が可愛く魅力的な女性です。

フルーティで最後に甘みが舌先に残ると言われた豆でしたが、フルーティさは

あるように思いましたが、甘みを感じるまでの繊細なところまでは私には

わかりませんでした。ただヨンジュンさんが行ったというお店のコーヒーはいつも

酸味が勝っているなと感じます。

 

今回少し検索して見たら、サードウェ―ブコーヒーは浅炒りで酸味に特徴がある

だそうです

豆にこだわり自社焙煎した炒りたての豆で心をこめて淹れるコーヒー、コーヒ―好き

にはたまらない魅力のカフェでしょう。

 

ウリヨンジュンカジョクは、彼のおかげで時代の最先端を行けてます^^

 

(続く)