心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

「日韓近代美術家のまなざしー『朝鮮』で描く」展にイ・ジュンソプを見る

2015-05-11 | 展覧会(国内)

5月8日、神奈川県立近代美術館葉山へ「日韓近代美術家のまなざしー『朝鮮』で描く」展を

見に行ってきました。開催を知ったのが4月末と会期の終りに近く、野暮用多く行きそびれて

いるうちとうとう最終日になってしまっていました。

混雑するかもと若干の心配をしながら出かけましたが、数えるほどの来館者数でじっくり

みることができました。

 

韓国好きの私ですが、近現代の絵についてはごく最近まで興味の対象外でした。たまたま

次いで、現代の画家2名について知る機会があり、そのうちの一人については折角知っ

その機会を逃してしまったので、この展覧会にその画家の絵が出品されていると聞いて

一層見に行きたいと思ったのでした。

 

その機会とは、画家イ・ジュンソプのドキュメンタリー映画「ふたつの祖国、ひとつの愛~

イ・ジュンソプの妻~」でした。

映画の紹介文から二人について書かれた部分を引用してご紹介します。

第二次世界大戦のさなか、日本の美術学校で出会った朝鮮からの留学生イ・ジュンソプ

日本女性山本方子は恋に落ち、空襲が激化し戦況が最終局面を迎えた1945年、方子

命がけで海を渡り、先に故郷に戻っていたジュンソプと結婚した。幸せな時を過ごしたのも

つかの間、朝鮮戦争の戦火と貧困に追われ、1952年7月、母子は日本へ帰国。イ・ジュン

ソプは家族そろって暮らすことを目指したが、願いがかなうことなく1956年9月6日、誰にも

看取られずに息を引き取った。離れて暮らす家族の、唯一の通信手段だった手紙は200通

以上に及んだ。

  

この予備知識をもって展覧会に臨んだ私、冒頭の「夫婦」(写真はネットから借用

見た時は、画家の妻へのやさしく、あふれる愛に胸が詰りそうでした。

画家が多く描いている牛をテーマとした絵が力強く、荒々しくも感じられるのとはとても

対照的だと思いました。「旅立つ家族」という絵も、家族揃って幸せだったときの姿を

描いていて、とても優しいイメージがありました。

 

ほかに数点、紙切れに書かれたような線画のような絵があって、不思議に思っている

と貧困のため手に入れられない画材にかえて、手元にあるタバコの箱の中の銀紙など

描いていたとあります。

描きたい絵が浮かぶと、その場ですぐ手に取ったものに描き始めないでは

いられなかったとか・・・

 

困難な時代状況の中で一心に絵を描き続けたイ・ジュンソプ、不遇であったことが

彼を ‘天才’‘国民画家’と呼ばれる位置に押し上げたのでしょうか?!

 

 

 

 

 

 


子供の日に-BYJのメッセージ

2015-05-05 | ヨンジュンさん関連

5月5日、今日はこどもの日です。

人類の未来である大切な子供、私たち大人は子供たちに対して、戦争の無い

平和な未来、貧困や飢餓のない安定した生活、汚染の無い美しい地球などを

渡していく責任があります。でも、その責任が果たせなさそうだと、ともすると

絶望感にとらわれそうになることがあります。

 

そんな4月の初旬、ペ・ヨンジュンさんが新たに始めた、インスタグラムという

家族への意思疏通媒体に、「くじけないで」という詩をアップしました。

今を精一杯一生懸命生きる人々への、彼からの応援歌であり慰労として、

そして何より彼自身が自らを鼓舞するものでもある気がします。

 

当初英文でアップされていたためによく見ずにいたのですが、ある時ハングルでも

アップされていることに気付きました。

日本語から英文に、そしてその英文をさらに韓国語に訳されているので、原文とは

趣が違うものになっているかもしれません。

それでもヨンジュンさんが、この詩にインスピレーションを得て

他者に伝えようとした、彼の思いをかれの口調で残しておきたいと

訳してみました。(8割ちょっと程度の自己採点訳ですが~~)

 

있잖아 、불행하다고

한숨짓지마

햇살과 산들바람은

한쪽편만 들지않아

꿈은 평등하게 꿀 수 있는 거야

나도 괴로운 일

많았지만

살아있어 좋았어

너도 약해지지마

 

ほら、不幸だと

ため息つくなよ

日差しとそよ風は

片方にだけ吹くんじゃない

夢は公平に見られるものさ

僕も辛いことが多かったけれど

生きてて良かった 

君も弱気を起こすな