きのうの記事についていろんなコメントがきました。特に、承認しなかったコメントのうち、僕が嫌なコメントに答えておきます。勿論工作員的なコメントもこの中にあるのは、わかって書いています。そうでないものもあります。
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(1)
他人を変えられないことを僕は了解できません。
日本語として違和感があるが、まあ由として。
と言うことがどういうことか判っていないようだ。
貴方は自分と他人の間に歴然と境界があることを認識いていないようだ。
他人の心も体もみーんな自分と一緒と思っているから、他人を変えられないはずはないと思っているんじゃないのかな。
他人を変えて自分の思い通りにしようという魂胆が透けて見える。
他人は絶対に変えられない、これが真実。
こういう人は、他人に自分の存在証明を要求してくる。
一言でいうと、共依存、それに症をつけてあげよう。
さあ、このコメントをアップ出来るか、どうかで君の人間性が判断される。
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あの僕は統合失調症ではありませんので。あなたの書いていることは共依存にとどまらず、統合失調症の領域の話です。そんなレベルの話じゃないです(笑)。というか、少しは精神科の現場をお知り下さい。僕は精神科医はオウム事件の後、親しい方が実は多いです。こんなレベルで工作的コメントをするのがおかしいです。
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(2)
「他人は他人だから的な意味ないコメント」とは、ちょっとひどいですね。
私には、皆、木下さんを心配し、励ましてのコメントだと思われました。
正直、少し、おかしくなっていませんか?
あくまで、文面上だけのことであればいいのですが・・
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あの表面上のそういう文言は、こちらの内面に届きません。「他人は他人」なんてことはわかっています。
なぐさめるふりをして「正直、少し、おかくしくなっていませんか」とコメント欄に書くあなたの感覚が正常でしょうか。
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(3)
他人を変えるという命題が達成出来ない場合、物理的にも、社会的にも自分は死ぬ。この決意は固い。
この意味は、他人が何と言おうが自分の決意は変えない。という事ですよね?
木下さん自体は、他人からは影響を受けない、他人の意見には従わない、他人によって自分は変わらないという事ですよね?
どうして自分は他人によって変わらないのに、他人は自分によって変わると言えるのでしょう。
木下さんにだけ決定権があって、他人にはないのですか。
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僕は意志は強いですが、他人の話をひたすら飲み込むことは、実は他の人よりも多いです。こういう言い方をなさる方は、ネットではものすごく多いですし、昔から知人にも一定数います。そういう伝わり方をしていることは反省しますが、たぶん他のどの方よりも、多くの人の影響を受ける覚悟はしている人間です。
しかし、だからこそ、ぎりぎりのこちらの感覚で他者を変えようとしているだけです。あなたがそのギリギリの感覚でぼくを変えたいとおっしゃるなら、この投稿者と名乗って、メールください。お話ししますよ(こういう風に書いても返事は大体きませんが)。僕はそこまでの対応をしていますから。
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(4)
「自分が決める。指図は受けない。」
これって、あなたそのものじゃないですか?
他人のことを批判できる立場にない。
同じ穴の狢です。
あなたのことを知らない人があなたの言うことを聞いて、
あなたのことを知っている人が誰もあなたの言うことを聞かない…
この事実に気付いている時点で答えは出ていると思います。
あなたの実像を知らない人だけがあなたの言動に翻弄されているだけ…
そんな構図が透けて見えませんか?
思い通りに動かないからって、
「すべてをひっくり返すしかないのかも知れない」などといった趣旨の発言することは
甚だ不穏当であるとしかいいようがありません(ツイッターでの発言)。
また「僕はいつまでブログやツイッターをやるんだろう」などという、
応援ツイートを無言のうちに求めているかのようなつぶやきも笑止千万。
あなたの行動や言動を冷静に見守っている者にとっては、
稚拙な誘導発言にしか見えません。
みっともないです。
本来なら、もう呼びかけ活動はとっくの昔にやめているはずですよね?
にもかかわらず、何だかんだと理由を付けまだ継続しているのですから、
もっと堂々としていなさい。
自死を臭わすなどもってのほか。
軽々しく口にする言葉ではありませんし、
いろいろなことで本当に苦しんでいる人に対し失礼です。
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前の方と同じですが、この方にはさらに工作的感覚を感じるので、具体的に僕が何の件で何に対して、「自分で決める。指図は受けない。」という対応を取ったのか、それがどのように問題なのか、お名前付きでメールください。工作でなくて親身にご忠告いただけるなら、僕が非礼はお詫びしますから。そういうメールが来ないと、またかと思うだけです。「あなたの実像が透けて見えるだけ」とまでののしられるなら、その実像もご教示ください。お名前を名乗ってメールで。また、「すべてをひっくり返す」は根幹。不穏当と糾弾する理屈は、おかしいとしか言えません。「冷静に見守っている者」という感覚は理解できません。立ち位置をごまかしていますね。「いろんなことで本当に苦しんでいる人」はだれを指していますか。こちらを、なんだかんだ言って、抽象的に糾弾だけして、印象をあっすさ世帯感覚が透けていますが。
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(5)
影響を与えることはできても、誰かを自分の思い通りにすることなど、できないのが当たり前です。
木下さんが死のうが、です。
冷たく言うようですが、木下さんが死んでも変わらない人は変わりません。
逆に言えば、死んで脅しても効き目などないのです。
結婚する気のない相手に、結婚してくれないなら死んでやる、といわれたら、どう思いますか?
もし本当に死んだら?
木下さんは、その相手にとって負担でしかなくなります、いいんですか?
やるせない気持ちは分かりますが、根本的な考えが間違ってませんか?
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勿論死んでも、よい影響は与えられません。当然のことです。しかし、心の負担にはなります。負担になれば、心理に重しが入ります。そのことで、変化はしていきます。現況とは違う様相の変化を。僕が、「根本的に間違っていない」という反論は致しません。根本的に間違っているかもしれません。しかし、他者を変えるという命題を立てた以上、ぎりぎりのことは、ぎりぎりの感覚を招きます。僕にも結果は、わかりません。わかりませんが、この命題が達成できないと、いろんな意味で(物理的や社会的に)死ぬことは、大いにあると思います。3/11以降の戦争状態の中で、僕はできる限りのことは致しましたが、力も運も及ばなければ、終わるのは天のさだめと自覚しています。いろんな意味でぎりぎりにいますので。致し方ないです。
あなたの書いているほど、僕はゆとりはこの一年以上ありません。僕には居場所もありません。役目はあるので、こなしていきますが、この状態では、ぎりぎりの感覚です。命題が達成できなければ、少なくとも、抽象的には「死」とい鵜状況も想定する感覚です。これは物理的な話の場合もあるし、社会的な場合もあるし、本当に抽象的なばあいもあります。致し方ないです。突破できなければ。居場所もありませんし。
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官邸前デモでさえ、これだけ熱心に呼びかけて一定数の動員をしていたと思いますが、主催側の一部から、「木下的なものを排除」と公言されていたことも判明しました。僕は、排除に抵抗しているという事ではなくて、「排除されるなら致し方ない」という感覚です。
こいういうこと迄おきると、僕の中では、僕が、普通に生きていけるという感覚の方が、不自然な気さえします。
僕が伝えているガレキの反対、放射能による健康被害は、再稼働反対とはからめたくないと、主催側が話しているという事は内部から聞いていました。それも僕は、大義のために、我慢していました。しかし、公的に、僕の排除を公言するようですから、話にも何にもなりません。彼らの返答を深夜24時まで待って、対応はあす記事にいたします。
面識も彼らとはありません。ほんとに、アホらしいです。