今回の道志では来客もあり、その方々は大変喜んでいただいた様子です。用事ができて翌日道志から帰宅しました。
道志のカラスウリと大根です。
朝の気温は零度で凍てつく寒さです。
来られた奥さまがパチリしてくれました。子持ちアユの燻製も大成功で美味しく出来上がっています。
目的の一つでもある杉の厚板(2m越る)ものを車に積み込みました。
車がありませんので、誰もいない道志の我が家付近です。
こうして見ると、冬近しを感じます。
自宅に昼過ぎに着きました。「あら、明日じゃなかったの?」と言っています。
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さて、ここからが表題の話です。結婚記念日には毎年それぞれの両親あてに感謝の電報を送っていました。電報は安価で文字数も少なくても気持ちを表すことができます。
お互いの両親は習慣づいた電報を待ち望んだと聞いています。田舎では嫁に行った娘が元気に暮らしているかとの想いがあったのでしょう。実家に来る方々に見せていたそうです。
義父は結婚して東京に嫁いだ娘を心配して、胃潰瘍になり胃を半分切ったとのことです。これが父親の気持ちなのでしょう。そんな大事にしている娘を預かった私ですので心配かけないように過ごしてきました・・・。
歳月は早いもので、来年3月で金婚(結婚50年)を迎えることになりました。
結婚40年の時は、お互いの父さまが他界し、あて先は母さまだけになりました・・・。
女房の母さまの米寿の祝いも、実家の総領(長男)が立派に開催してくれました。母さまも子どもや孫に囲まれてにこやかな表情になっています。大変喜んでいましたね。
その母も3年前に他界いたしました。コロナ禍で世の中が混乱し大きく変化したことは知りません。
私の父や母はダンスで昇級したことなどをいつも喜んでいました。特に母は夫婦が仲良く?ダンスを踊る姿を見たかったのでしょう。サークル活動の一環で踊る時には必ず見に来ていたくらいです。
その母も百寿(100歳)となり、5年前から施設で穏やかに暮らしています。外部とはコロナ禍のため遮断されていますので、詳しい世の中の変化は知らないかと思います。
面会に行くと「よく来たね~と、女房や私の名前を呼んで幾つになったの?お店は大丈夫?」などと、短い時間ですが会話します。
結婚記念日には毎年送っていた電報も3年前に義母が他界してからは止めました。
こうして、不自由なく夫婦仲良く?暮らせる環境もお互いの両親がいた(見守ってくれた)せいなのでしょう。
女房も生まれ故郷の生活(20数年)より東京生活が50年近くとなりましたが、やはり故郷のことが懐かしく想うのでしょう。来年で結婚50周年になりますが、いつまでも続けたかった両親への感謝を込めた結婚記念日の電報ですが、47年間続けてENDになりました。
しかし、心の中ではまだまだ続く電報(感謝)の想いです。
ゴールドムーンのお月さんは大きく、金色でした・・・。
Hiro