この時代、世の中は大きく変化しています。まだ、この状況について行けない私がいます。今年の節目として、昼間にお一人さま忘年会を実行いたしました。(女房は仕事です)
行き付けの回らない鮨屋さんです。場所は我が家から電車やバスを利用して約1時間15分くらいのところです。
昼の11時半開店ですので、それに合わせて家を出ました。(最寄りの駅です)
そして、西方面に電車で30分くらいの駅に降りました。
洒落た駅ビル構内です。
11時05分バスを待ちます。賑やかな街を離れここからバスに揺られて30分・・・。
最初は結構満席状態です。
街から離れ、景色も変わり閑静なところにやって来ました。
終点に着くころは乗客は私を含めて数名でした。
終点の戸吹と言うバス停を降りると、大きな青い建物が見えます。目的のお店はいつもご紹介している「戸吹 鮨忠」さんです。
あれ?入口が変わった!
以前は玄関先だった場所に個室ができています。
奥座敷などは変わりません。間仕切りの戸板は今の天皇陛下の幼少時代の書道の先生だった「桑原翆邦」先生が揮毫した戸板が並んでいます。
内田藍亭先生のお書きになった「笑顔」も見えます。
こんな感じの回らない鮨店です。若大将は奥さんとともに、裏でお節の準備で忙しそうに動き回っていました。
大将が出迎えてくれました。たまたまですが、最初のころに伺った写真をお持ちしました。
また、この店に合ったカレンダーを毎年お持ちしています。元呉服店だったので当時の風呂敷(60年くらいのモノ)に包んでお渡ししました。
大将は家族写真をジーっと見ています。ポツリと女房は昨年亡くなりましてね。最後は大腸癌で、その前から何度も大病をしていたとのことです。そんなこともつゆ知らず・・・。懐かしく大切な写真だと言ってくれました。
2~3日前に漬けたゴーヤなど、ミョウガとなんだっけな?付け出しです。
鮮度の良いあん肝です。お一人さま忘年会が始まりました。
先ずは生ビールです。今年一年を振り返ると、個人的には大きなことも無く過ごしました。母も百寿を迎え施設で穏やかに暮らしています。私個人は50年間働いてきたことで生活の変化(コロナ禍も含み)で気持ちもお付かないことも多くありました。最近になってやっとこれからの考え方や暮らし方に慣れてきたところです。
大将も心得たもので、握りでなく酒のつまみが出されます。タコも美味しい!数の子もお正月気分にさせてくれます。そうなれば当然これです。
キンキン冷えた日本酒です。まろやかな味と香りです。
友人の雅号に似た、新潟の酒「鶴齢」にしました。*彼の雅号「鶴嶺」さんです。
自家製のたくわんだけど・・・と出してくれました。酒に合い美味しくいただきました。
握りながら、大将との会話が続きます。お酒などの出し入れは当時小学生だった孫娘さんが大学生になり仲居さん(アルバイト?)をしています。大勢の内孫外孫がいて幸せだよと言っていました。
贅沢至極で旨い鮨をいただています。日本酒ももう一つ(呑み助は一本とは言わずもう一つと言っています)お願いしました。
ガリが好きで、いつもたくさんいただいていますが、手前がつくられた(出来合い)もので、奥が自家製です。味や歯ごたえが全然異なります。大将も自慢していましたね。
お一人さま忘年会ですので、反省を含めてこの一年を考えて見ました。よく道志にも入りました。維持管理には趣味も含めて大変な労力ですが、そこが贅沢な居場所にもなっています。女房や次男坊などにも偉そうに命令口調になっていたこともあり、嫌な思いをさせました。
肩書の無いのは私だけです。女房は小さなお店ですが代表取締役社長、子どもたちもそれなりの肩書はあるのでしょう。私が何か事件でも起こせば無職の○○となります。今までは多くの部下もいて過ごしてきましたので、習慣でつい偉そうな振る舞いをしてしまうのでしょう。これからは自重しなければと思いながら、今年一年が終わりそうです。
店に入って2時間になります。帰りがけに女房にと手土産をお願いしました。
帰宅の途につきます。このバス停から戻ります。
まだ早い時間ですが、バスの中はウトウトです。電車も途中乗り換えて、最寄りの駅に着きました。
帰宅して、手土産を渡しました。やはり新鮮さとシャリの味が違うと言っています。
酔いも覚めて、また庭で木工作業を始めました。今日は松飾などを設置します。29日だと「くんち」(9日)飾りで、30日や31日だと一夜飾りになってしまいます。
良いお一人さま忘年会を過ごすことができました。
来年はどんな忘年会になっていることやりゃ?
Hiro