先生は快く引き受けていただき、後日 驚く枚数ですが十枚ほどの色紙が届きました。
内田藍亭先生は、令和天皇のご幼少のころ書道の先生だった「桑原翠邦先生」の門下の方です。
*「週刊明星」に昭和53年掲載されたものが、墨華書道研究会「墨華」に掲載されていましたので引用させていただいてます。
天皇陛下も美智子妃殿下とのご結婚30年を迎えました。
私も書道を少しだけ習っていましたので、門流?(かなり下流)ですが、門下の吉野大巨先生のお教室に通っていました。(私は今は筆を休めています。日記だけは筆で書いています)
お送りいただいた「夢」と言う字は甲骨文字から書の歴史に沿って書いていただきましたので ご紹介いたします。
甲骨文字(こうこつもじ)約3500年前?の書体です。
現存している最も古い書体です。
亀の甲羅や牛の骨に刻されてあったので「甲骨文字」と名づけられました。
甲羅や骨は占いに使われていて、その占い結果を書きつけたものです。
そして金文(きんぶん)です。
約3000年前?の書体です。
殷の国が滅び、周の国の時代になると、人々の活躍をたたえた内容を青銅器に鋳込んだり刻んだりするようになりました。
金属に鋳込まれたり刻まれた字なので「金文」といいます。
もちろん竹や木や絹にも文字は記されていたでしょうが、やはり素材として腐りやすいためでしょうか、周代のものは発見されていません。
古璽(こじ)
古璽は象形文字みたいで、私は好きな書体の一つで引かれるものがあります。
この時代にはたくさんの記録が残されるようになりましたが、その時代に使われた書体を総じて「篆書」(てんしょ)」と言います。
簡帛(かんはく)
紙が無い時代ですので、記録として簡牘として竹や木に書き写していたのでしょう。
気の遠くなるほど前の年代です。
周の時代が終わりを告げると、春秋戦国時代になりました。
孔子やその弟子たちが活躍した時代です。
戦国時代の争いで勝ち残った国は、「秦(しん)」という国でした。
聞いたことのある秦の始皇帝は、度量衡・貨幣・車輪の幅などを中国全土で同じ規格単位に統一しました。
さらに、漢字の統一も行ったのです。
このような書の歴史などは私には良く分かりませんので、一部ネットより検索いたしました。
この時代から石に刻まれた文字もたくさん残っていますので、金文とあわせて「金石文」と呼んでいます。
隷書(れいしょ)は約2000年前の書体です。
漢という国が中国を支配するようになると、物事を細かくきちんと記録することが必要になってきました。
文字を毎日書かなければならない役人にとっては「篆書」は複雑で実用的ではなかったので、簡略化して書きやすい書体が考案されました。
更に、立碑が盛んになり石碑用の銘石体としても実用化が進みます。
それが「隷書」です。
読売・朝日・産経など新聞の題字で使われているものです。
また、一万円札や、日本銀行などの字はこの隷書体で書かれています。
草書(そうしょ)約2200年前(諸説あり)
草書の発生もかなり早く、篆書、隷書の簡略から生まれた書体です。
草書は文字としてのわかりやすさよりも、「書く速さ」を優先した実用性を追求した字体です。
崩し方には王羲之を中心とした法則があり、バランスや筆づかいが大切な要素になっているため「芸術性」が認められることも多くあります。
多くはこの草書を好まれ、飾っている方々も多いのでしょう。
行書(ぎょうしょ)の発生も紀元を遡ります。
行書(ぎょうしょ)は草書をもう少し整えて書いた書体です。
「楷書」(かいしょ)は読みやすく、正確に伝わる字体のため「楷書ではっきりとお書きください」という注意書きをよく見かけます。
篆・隷書から草書・行書、更に楷書へと変遷していきますが、唐の時代に完成した書体です。
はっきりと整理された点画の表現や折れ曲がり方が特徴です。
現在では、この楷書がもっとも広く流通している書体です。
内田藍亭先生の解釈も楷書は、今では一番新しい書体だと言っておりました。
ここまで来ると、書の歴史(古い順)が良く分かりませんので、内田蘭亭先生のお知恵をお借りして、説明させていただいています。
中国3000年の書の歴史ですが、現在はパソコン中心に使っているため字の思い出せない(書けない)自分もいます。
次に、書道の中の宇宙観の話です。
この書の右上にハンコウ(引首印)が押印されています。
この意味は、書くときの気持ちを表しているのです。
内田藍亭先生は、気持ちを落ち着けての「養中」の引首印を選んだのでしょう。
これは中和の心を養うの意味だそうです。(気持ちを落ち着けて)
先生方は大きさも含めて、何種類もの印をお持ちです。
私も7種類の印を持っています。
引首印は、宋時代から起こっており、条幅などの右上部に押すもので、雅号印まで含め自分の範囲を示す(諸説あり)とありました。
ここから、この気持ちで書き始めるとの意味もあります。
引首印が少し右に開いて押印されています。
書が宇宙へ広がるような扇の意味もあるのです。
余談ですが、この引首印は自分の気持ちですのでなんでも良いのです。
私の座右の銘?である漁夫の利から「魚利」と印を作ったこともあります。
労せずして利があるのが一番良いかと思っていますが・・・。
今では印を少なくする傾向もありますが、引首印と左下には本名と雅号を押すのも、古典を守る(継承する)上では必要だと思います。
お送りいただいた「笑顔」の隷書体を軸装にしました。
書はやはり身近でいつも目に触れることが大事なのでしょう。
書の歴史を「夢」と言う字で書いていただき、大変良い勉強になりました。
いつまでもたくさん「夢」を見続けたいものです。
ところで、我が家にも桑原翠邦先生の書「嘉日」が額装にして飾ってあります。
先生が八十二歳の時に「魚目」をペンネームして書かれたものです。大事にしています。
参 考 :内田藍亭(らんてい)uchida rantei 先生のプロフィールです
1971年生まれ。富山県出身。 静藍社 社主
武蔵野美術大学大学院特別指導講師
二松学舎大学文学部講師
三越カルチャーサロン講師
書宗院参与理事
全日本書芸文化院運営総務
墨華書道研究会同人
その他 著書多数
好きなこと:気の合った友人との一杯。美味しいものを食べること。喜ばれること。
ここは八王子戸吹の鮨忠さんです。駅からバスにゆられて30分の場所。桑原翠邦先生の板戸があります。
書とお酒・喜んでいただけることが何よりと言っていました。
鮨忠の大将と若大将と並んでパチリです。
銀座大黒屋ビル6Fにて静藍社書展開催。
いつも大盛況な書展となっています。
その後、歩いて10分程の有楽町ガード下で一杯です。
時には表札も揮毫していただきました。
米国テキサス州ラボック市からの来訪された方の前で、リクエストに応じてDream「夢」を庭先で揮毫していただきました。
毛氈の上には砂が飛び散っています。この迫力にはみなさん驚き・感動していました。
書宗院研究会報
また、違った場面では書道を通じての気の合った仲間との意見交換会?です。
意見交換?の時間が、つい長くなってしまいます。
時には、依頼されて「水」と言う字を揮毫し、箱書きしていただいているところです。
ある会社の会長室に飾ってあります。(セキュリーが強く、社員でもこの部屋まではなかなか入れません)
内田藍亭先生のプロフィールの方が長くなりました。
自宅にて
私は全ての場面でご一緒でした。
Hiro