それも思えば50年は経っていない。いつしかアナログ人間だったが時代の変化とともに、デジタル機器をツールとして活用することになっていた。いつからとは言えないがが、エイリアンのように徐々に浸透してきたのだろう。
若き日、私よりだいぶ若い中堅職が、ワープロが導入されてそれについて行けず、精神的な不安から休みがちになり、ついに退職の道を選んだ。それまでは手書きや文字を拾ってタイプを打つ方法から、分からい操作で戸惑いながらワープロで字を探していた。
今ではたかがワープロと思うが、当時は計算機も無い時代である。
このワープロでさえ強烈な印象が残っているが、その後パソコンが各課1台配置されることになった。労働組合もパソコン導入に反対した。その理由は人員削減につながると・・・。
現場に出る時は十円玉を何枚も持たされ、用事がある時は公衆電話を利用していた。もちろん、受けるのは電話交換手でそこから各部署に電話をつないでいた時代だった。
自分は新しいモノ好きで、父親のDNAに似たのだろう。父は早々にデジタルカメラを買い求めた。100MBくらいで、お世辞にも画質が良いと言えるものではなかった。そんな父はこれからはデジタルの時代になると確信していた。
写真好きの父は押し入れを暗室代わりにして、幻灯機でフイルムを印画紙に照らし、”いいか五つ数えろ”と言われて印画紙に光をあてていた。すぐに液体に浸け、調度良い色(白黒)まで液体の中で揺らし、すぐに水洗いしたものだ。そんな写真が何枚も残っている。カラー写真が出来たのも20歳のころだと思う。55~6年前のことだった。
その後、いち早く電動アシスト自転車を購入した。一回りすれば充電するような代物だった。
デジタルを好まない女房も携帯電話を使い始めた。最初は話せれば良いと・・・。そのうち写メ付きが欲しいと言って、簡単なららくホンを買い求めたが、最近ではアプリが使えないので、他のスマホに買い替えた。
思い出せば、ホームはもちろんのこと電車の中でもタバコが吸えた時代だった。
デジタルと共存している生活をしているが、種から育てる草花や庭木の剪定なども好きな自分がいる。もちろん発芽せずに失敗することも多くある。また、そんなことを悩むのも好きだった。
趣味としてダンスを始めて25年以上になるが、昨日もあるダンスサークルで指導員資格も持ちあわせていることから、年配の初心者にお教えしていた。CDデッキ以外はアナログでの世界になっている。
ダンスを教えるのも難しい。私も含めて覚えが良くなくなった。運動量にも付いて行けない。背中も曲がってきたなど・・・。だけど、それにもめげずに笑って解散し、また集まって来る。
これまでの間、パソコンもアイマック(ブラックマック)から始めて、10台以上は買い替えているのであろう。またフィルム式カメラも何台もあるが、今の主流はデジタルカメラに移行している。
しかし、水中でのフイルム式カメラは一回潜って36枚しか撮れないので、アングルやシャッターシャンスを逃がさずに撮っていた。もちろんマニュアルで・・・。デジタルは無制限に撮れてしまう。100枚以上撮って、そこから良いと思うものを選べば良いのだろう。
時代は変わった。デジタルが嫌いでは済まされなくなった。こうしてブログを打つているのもデジタルの利用である。
道志の別荘では、ほとんどがアナログ生活だ。薪を割って、畑を耕し、雑草と格闘して、小屋を建てたり、デッキを作ったり。作業を終えて、体は使うが焚火をしていると何故か落ち着く場所になっている。
ブログを見ていると、それぞれの生活感の異なりを感じる。北欧を旅する方もいれば、自転車でのツーリングを毎日行っている方、仕事の合間に釣りを趣味しているかた、お弁当などを紹介している方もいる。
これからどんな時代がやってくるのだろう?不安と楽しみが入り混じっている・・・。
Hiro