自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

50年ぶり「新婚旅行で行った場所」再び

2024年10月02日 | なかま道志ベース

昭和48年(1973年)3月に、縁あって女房と結婚いたしました。

それまでは住んでいる地域や異なる環境(東京と山梨)で暮らしていましたが、もう女房も東京生活の方が長くなりました。

まぁ~、誰しもと同じでそれなりにいろいろとありましたが、やはり祖母や母に可愛がられ信頼された女房です。苦難が無いと言えば嘘になりますが、さほど大きな波は無かったかと思います。(過去形だから言えるのでしょう)

大事な娘をいただくものですから、田舎の無い(百姓の知らない)東京人でしたが良く田舎(実家)には子どもを連れてよく行きました。

きっと、回数的には女房より行って百姓を手伝ったかと思います。

どう引き算や割り算をしても、残りの人生は折り返し地点(どこだか分かりませんが?)過ぎたのは確かです。

よく言われる、「ともに白髪が生えるまで」とありますが、私は禿げるタイプで「ともに白髪は望めない」のでしょう。

2019年のことです。72歳まで50年間働いた記念旅行として、新婚旅行の行き先であった四国に行くことにしました。

当時の「ふなや」さんのパンフレットです。(ものもちが良い方です)

式を終えて、最初の宿が新宿の京王プラザホテルでした。都の浄水場に跡地を副都心として高層ビル群にしようとした場所でした。一番初めの高層ビルで、周りは何も無かったかと思います。

この旅は2019年5月に実行いたしました。あの時は女房の親父さんからカローラを借りて、東京から四国半周の新婚旅行でのドライブでした。帰りは高知からサンフラワー号が就航して船で晴海ふ頭までです。

京王プラザホテルを出発して途中、京都で二泊目です。

そして、四国に渡るには、神戸から松山まで連絡船を利用しました。

なるべく当時のコースで、同じ宿に泊まりたかったのですが、現存するのは松山の「ふなや」さんでした。こんな宿だったかたはよく覚えていません。日にちの都合もあって、松山に宿泊しました。

なんか見覚えのあるのはこの門構えだけです。その後改築して本館と別館になっていました。

当時のことを思い出そうとしたのですが、庭は見覚えがあります。これが歳月の流れなのでしょう。

伺った時の夕食もこんな感じだったのかな?

どこでも、同じような豪華な食事(料理)が出されます。

風呂に入って、これまでの(50年間働いた)疲れ?と思い出に癒しています。それだけで良いんです。

宿近くには道後温泉があります。

こんな地図も出てきました。(ねずみ年でA型です)

その後は、松山城に向かいました。

最近、大雨で土砂崩れもありましたね。その後どうなったのでしょう。

小学生の「松山城ガイドキッズ」の子どもさんたちが、一生懸命覚えたことを話をしてくれました。これには感動しましたね。こうっやって地元の歴史や郷土愛を養う授業?に感心しました。

後日、学校にありがとうのお手紙を差し上げました。

ここでトラブル?です。

車で城近くの駐車場に止めたのですが、戻る道が分からず探せど駐車場が見つかりません。

これが城を守る戦略だったのでしょう。複雑な角などで方向を間違えるような街づくりになっていたのです。まんまとはまり、方向が分からなくなり遠くまで歩いてしまいました。途中のタクシー会社に聞いたら、全く違う方向に歩いていたのです。タクシーでうろ覚えの駐車場まで案内していただきました。これが城下町の作りだったんですね。

その後、新しく出来た海峡横断橋のしまなみ海道を渡り、途中の島で下りてひと休みし多々羅大橋に辿り着きました。ここで昼食です。

ここはドライブインになっていました。何をいただいて良いのか分かりません。

私はこれだったかな?

普通に美味しかったですね。(どっちをいただいたか忘れました)

美しい瀬戸内播磨湾?です。

そうだ!ここでも一泊したのです。

岡山の美観地区です。よくコマーシャルでワンカットで出ますよね。

ここで買い求めた備前焼のカップは大事に使っています

これですが、持ちやすく大変気に入っています。

夕食はあてもなく宿近くの店に入りました。

蔵を改造したのようなレストランです。

まぁ~想像は付く料理が出されます。

こうなると、会話も特に必要ありません。ただ時間が流れるだけです。

もう、50年も一緒にいると、特に話すこともありませんがとは言っても無言ではありませんよ。気持ちは分かります。

岡山で泊まったホテルです。レンタカーですが、ホテルの駐車場で少しぶつけましたが、知らん顔して返しました。

帰りの飛行機搭乗時間までだいぶありましたので、少しドライブしてみました。

時間が経てばお腹は空くものです。

この小さなサービスエリアでラーメンをいただきました。

名前は忘れましたが、街並みが保存されている小街道宿を訪ねました。

こちららしい雰囲気です。

先に行くとつり橋がありました。

帰り道になりますが、飛行場までは少しありますので、ハンバーガーをいただきました。

これは美味しいバーガーでしたよ!

何が言いたかったかが伝わらなかったと思います。

新婚旅行先だった四国を、働いて50年のお疲れさん記念(この時72歳でした)で行ってみた思い出です。

 

Hiro