東京地方は、この時期(10月中旬)なのに気温は30度近くありました。
サツマイモがありましたので、"石焼き芋作ってくれない?”と女房から声がかかりました。
平成何年だか忘れましたが、これを使います。
庭隅の倉庫から七輪を出してきました。今の練炭は着火剤も付いていてマッチでも着きますが、バーナーで10秒で着火です。以前は新聞紙と薪で着火させていました。
石焼芋専用の釜です。
先ずは釜を温めました。
ホイルに包み入れ込みました。1時間もすると良い香りがして来ます。
箸で刺して、出来上がったかの確認です。
美味しく焼きあがっていました。香りも良くねっとりした芋です。
私の役目はこれで完了です。食べるのは女房たち?なのでしょう。
練炭は20時間から24時間は着いていますので、大根と鶏肉をじっくりと煮込みました。
これが練炭の良さなのでしょう。(練炭はホームセンターに売っています)
味が染み込んで、美味しくいただきました。
朝ですが七輪の火力は、まだ十分に残っています。
冷凍のおにぎりを焼いています。食べるのも美味しいのですが、七輪で焼くことが楽しいのです。
本来なら、サンマも焼けば美味しいのかも知れません。
豆炭です。火力もありますし、長持ちしますのでコタツや寝布団の中に専用のやぐらこたつにも使いました。
この器に豆炭をいれて、布団の中に入れ寒い夜を過ごしていました。
大き目なコタツに(時代によって異なりますが)練炭・炭・豆炭などを入れて暖をとりました。
懐かしい時代です。ほとんど個室などはありませんので、家族一同がコタツに足を突っ込んでの一家団欒の冬の生活でした。
当然、縁側で日向ぼっこをしています。健康的ですね!この縁側の隅が姉さまの勉強机が置いてありました。
七輪からだいぶ話はずれましたが、これが昭和の暮らしだったのです。
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参考に何故七輪と言うのかです。
『七輪』という名称の由来は諸説ありますが、昔は底に七つの空気穴(輪)があるという説と、昔は炭の値段が七厘(しちりん)で使える燃焼器具と言う説明がありました。
七輪は、大量に製造され日本各地の家庭などで昭和前半までは一般に広く使用されてきましたが、燃料となる木炭の生産量は、戦後人口が爆発的に増え1950年代から1970年代までの間で、生活様式の変化や材料不足で1/10に激減し、七輪の利用の場の多くがガスコンロなど他の調理器具、各種暖房器具などへ取って変えられたようです。
1948年生まれ(団塊の世代)が子どものころ過ごした時代です。