関東大震災や第二次世界大戦、バブル期、コロナ禍も経験いたしました。
いろいろな出来事を経験した母だったのでしょう。
*施設から一度は帰りたいと言いて、連れて帰った日ですが庭先を見ている母です。
80歳過ぎてもスポーツクラブで水泳クラブに属し、今日はバタフライを習ったよ。
時には800mを泳いできたよ。と自慢げに話をしていました。
ある時、アルツハイマー型認知症を発症して、なんとなく自分でも「まだらボケみたい?」と言っていました。
昼夜が逆転するような生活になり、昼は女房がそばに居て、夜は私は寝泊まりしていました。
夜中に動き回り、翌日私に対して「良く寝てたわね」と言っていました。
ある時、みんなに迷惑をかけるからと言って、自ら有料介護施設へ見学に行きました。
その後、その施設お世話になりましたが、スタッフさんやお仲間とも上手く行かず転所することになりました。
新型コロナも発生して、簡単には面会も出来ない日が続きました。
むかしの話しもしましたね。「もらう心は、乞食の心」とか「人は年齢なりにあなたを見ている」「身なりはちゃんとしなさい」などと、戒めのような言葉もありました。
女房は自分の母親より長く、私の母のそばに居たことになります。
そんな女房に対しても、母は「いつもきれいだよ~、良い嫁さんだよ~、一番頼りにしてる」と言っていました。
曽祖母(ひいおばあさん)も20歳で結婚し、祖母(おばあさん)も20歳、母も20歳で結婚した時代です。
姉さまに対しては、長女ですので小さい時から可愛がっていたようです。
この時も100歳過ぎた母が、80歳の姉さまに「可愛いよう~!」と言っていました。
100歳過ぎた母が80歳の姉さまに、どこが可愛いのか?心からそう思ったのでしょう。
私に対しては「まだ働いているの?元気だね~、若いよ~。ダンスはやっているの?二人とも仲良くていいねぇ~」「あなたがいるから安心している」と言っていました。
その母もいなくなり、やはり淋しく思えることもあります。
私自身、意外に母親思いで淋しがりやだったのでしょう。もちろん親子喧嘩もよくしましたね。
毎日、日めくりの過去帳を開き、仏壇に手を合わせいます。
父や先代の存在は大事ですが、母がそれぞれに対する言葉は今でも忘れません。
男ってやはり甘えん坊なのでしょう。
Hiro