
<バレールは治安が悪い>
記事の更新が滞っているのでずいぶん前の出来事になってしまいました。
うちの運転手さん、バレール最後の夜(新年明けた午前2時)に運転手用の安宿で寝てる間に携帯電話を盗まれて、
その時に分かったのだけど
ほぼ毎日盗難とか、ホテルに誰かが侵入とか、
彼、お財布などは首からいつもかけてて無事だったんですが
携帯はベッド脇に置いてあったらしくてやられてしまいました。
ただ運転手さんもちょっとは悪かったのは
その部屋は窓がなくて、扇風機はあったけど風が入るようにと
ドアをちょっと開けて、チェーンのみかけて寝たらしいのです。
でもチェーンは手が入れば子どもみたいに腕が細ければドアをちょっと閉めて開けれますよね。
と言うか本当はドアを閉めた状態でしかチェーンが外せないのが先進国の常識かもしれませんが
フィリピンの場合は長いチェーンが多いのです。
とは言え、盗られた人が悪い・・・なんてね。
つまりチェーンだけで寝た彼が悪いと宿の奥さんが言うんです。
私達は姪がホテルで盗難にあったと教えてくれて
(彼女は今ホテルと裁判中)
滞在中、ホテルのブラインドを閉めて中が見えないようにするとか
主人が居る時のみブラインドや窓を開けるなど
気をつけました。
バレールは昔はこんなに治安が悪くなかったらしいんですが
観光地になってどんどん酷くなったそう。
私たちはマニラでは壁に囲まれた住宅地に住んでいて
住宅地に一般の人は入れないですし、
家の中でメイドさんに携帯や下着、小物盗まれたなどはありますが、
(辞めてからなくなってると気づく)
外から入られる機会はあまりないのです。
もちろん過信はいけませんが、
泥棒に入られる家の多くは警備員が居ない住宅地が殆ど。
バレールのホテルは海側も道路側も警備員が居ないで通れる場所が多過ぎるので
行く機会がある人は十分気をつけて下さい。
それにしてもフィリピンはどんどん~治安が悪くなっていきます。
盗みをして何も感じない国民性になりつつあります。
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<バレールの博物館>

私、個人的にはバレールの博物館はとても良かったです。
小さいけれどまとまっていて。

ここはケソン大統領の出身地と関わりが深くて彼の銅造がありました。
(彼はフィリピンが独立宣言して2期目の大統領ですが、米コモンウェルス時代の最初の大統領)

博物館の外壁も見ていて飽きない。

と思って見ているのは私だけでしたが。

こういうのに見入ってしまう人、フィリピンではあまり見かけません。
どうしてでしょうね。

博物館の最初のコーナーは沈没船から発掘された品々の展示でした。
これは発掘した物を仕分けしている様子の写真。

生ものなどはきっと海に消えてしまったでしょうけれど
土器はこうやって残っていたのです。

当時の航海図でしょうか。
昔はフィリピンに来るのにメキシコから来ていたのです。
つまりヨーロッパから先ずアメリカ大陸へ、
そしてアメリカ大陸から太平洋を横断してフィリピンへ。
バレールは東側にあるルソン島の最初の寄港地だったのでしょうね。
マニラ湾は中国側にあるのでぐるっと回らないと行けませんから。

マニラを出たガレオンという船はメキシコのアカプルコを目指して出航しました。

マニラにある国立博物館にも似たような展示がありますので
興味がある方はそちらに行ってみると詳しく見れると思います。

何百年も前に沈んだ船を見つけるのはちょっとした感動だったことでしょう。

これがガレオン船。

アメリカや南米からトウモロコシやカカオ、アツエテ(着色に使う実)などがフィリピンに持ち込まれ
今ではフィリピンの食文化になっています。

こちらにもケソン大統領の絵。

そして何故かスペイン兵の生き残りという絵が沢山。
でも最近描かれたものなので説明を聞きたかったけれど
博物館の展示に詳しい人が見つからず
私が話しかけた人は新しく入ったばかりのおばさんで何も知りませんでした。

これもスペイン兵の生き残りの絵。

フィリピンの国鳥:わしの剥製。

そして2階の一角に4人のスペイン人がガレオン船を真似て作った船が紹介されていたのですが

この4人、本当に驚きです。
当時と同じ航路でスペインからフィリピンまで来たのだそう。

これがそのガレオン船。
スペインのセヴィルを出発してメキシコを通ってフィリピンに来たそう。

船の中はこんな感じでこの4人以外にも多くの人の協力があったようです。

こういう記事を読むと感動してしまう私です。

昔のバレールの写真も展示されていて、

何より興味深かったのはある神父によって残されたバレールの歴史。
1897年に書かれたこの手紙は人々に立ち上がってスペイン兵と戦おうと呼びかけるもの。
この他にも生々しい当時の様子を綴った手記が多く展示されていて
全部読みたかったけど
興味がない主人が待ちくたびれてたので断念。
残虐なスペイン人の統治者は3年間、バレールの人々を殺し続け
人々を全てゲリラかスパイと疑い、
畑に何も植えられない状態で、皆は山に隠れていたけれど
ちょっとでも戻ると殺されたそうで、
教区の神父が初期大統領に手紙で彼の交代を願い出てやっと別の人が任命されたとあって、
独立したばかりの頃はまだまだスペイン人の統治者が残っていたのですね。
多分フィリピン人は植民地支配されていたので
上に立てるような人があまり居なかったのかもしれません。
わかりませんが。

あるスペイン統治者はフィリピンが独立したと信じず、
スペイン語の新聞を見せられてやっと信じたそうで
スペイン語の新聞が展示してありました。
でも実はそんな苦労して独立をスペインから勝ち取ったフィリピンですが
パリ条約でスペインがアメリカに200万ドルだかでフィリピンを売ったので
(当時フィリピンには200万人の人が居たとかで1人1ドルで売ったと言われてるらしい)
独立は無効になりアメリカの植民地になります。
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<帰りの景色>

シェラマドレ山脈の片鱗。
この山がなければマニラからバレールまで直ぐなんですけど。

バレールから峠を超えた西側には大きなダムが2つもあって
稲作が盛んでした。
それにしても未開発の山が多いです。
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<どうでもいい菜の花家の食卓>

ヤントックっていう家具だか服の繊維にもなる植物の茎の中を食べれると聞いて市場で買ったけど
苦労して皮を剥いて殆ど残らなかった食べれる部分をせっせと刻んで海老と炒めて食べてみたら
苦瓜より苦くてびっくり。
とても主人に出せるものじゃなかったので捨てようかと思っていたら
「良薬は口に苦し」
じゃないけど苦いって体にいいかも・・とメイドさんが食べてました。

これもバレールで買った里芋の実と茎。
ココナツミルクで似て食べました。
こちらは美味しかったです。
