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東宝さん、やり過ぎです。

2017年08月11日 | 喜怒☆楽
時々、応援上映なる言葉を耳にしてきた。
まぁ、映画の宣伝の一環かな?という解釈だった。
だが、お気に入りの作品がその対象となったら俄然気になりだした。

今夏、「忍びの国」(7/1公開~)をずっと推してきた。
主演の大野くん、他全てのキャストが渾身のベストな演技をしていて複数回足を運んだ作品だ。
ロングランヒットを切に願っていたが、激戦期の公開により
毎週投入されてくる話題作に押されぎみだった。
殊に夏作品は子ども・若者受けの作品が多い中「忍びの国」のような一見地味な作品は
なかなか集客が大変という状況の中でよく健闘していた。
序々に作品の良さと各演技人の熱演が話題となり、年代・性別の垣根を取り払い
理想的な形で作品が認知され浸透してきた感があった。

ところが、
新作目白押しの状況の中で、ついに”上映終了”の影がちらついてきたんである。
そこで「忍びの国」に魅入られたファンの方々の”ロングラン祈願”なる想いを
東宝が受け止め”応援上映”という形で応えた・・・という顛末に至る。

ここからが東宝さん、やり過ぎなんではないのかなと危惧する。
今、応援上映⇒超拡大応援上映と上映館がどんどん増えていく状況で、応援上映を再度繰り返す館まで複数出現している。
肝要なことは東宝は企業ですからね。まず第一に収益を考えて動きます(当たり前なこと言ってますが

役者は渾身の力で演技しているのですぞ(バラエティ要素含め)
その演技仕事の場所で大勢に声出しで「突っ込み」をいれられる状況って失礼だよな・・と思うのですよ。
(さすがに見せ場では静かに収まるらしいけれど)
応援上映数回の範囲では、まぁまぁ「こういうのもいい・・かな」と無理して納得していたが、
現在の状況は役者の気持ちを汲むと残念です。

結局、何を一番に憂慮しているかというと
群衆心理って慣れてしまうとエスカレートするってこと。
上映中に”下卑た野次”が出てくる可能性は大有りな訳で作品を損なってしまわないか?ということです。

度重なる応援上映は根本の方向性が間違っていると思うのですが。
東宝さん、悪のりです(上映館も2度目は自粛を望みます)
”アイドル映画”の思い込みをその卓越した実力で払拭できていたのに。
「忍びの国」という各役者渾身の演技で創り上げた作品は、興行収入の成績に頼らずとも
しっかりと見終えた方々の記憶に「無門の哀切な叫び」が長期で刻印されていきますから。
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