日々、思うことをサラサラと。

日頃、イイな、とかおかしいゾ、とかキレイだなと思うことをサラサラと書き出してみたい。

白黒とカラー・・・写真展他

2010年01月17日 | 美術展・本
「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」
東京都写真美術館~2/7まで

会場入ってすぐに、木村が撮影したブレッソンとブレッソンが撮影した木村のショットが目に
入ってくる。お互いの中に通う温かいものが感じられるいい写真だ
殊にブレッソンが撮った木村のショットは木村らしさ(恐らく)が如実に現われているの
ではないだろうか?いきなりブレッソンの世界に引き込まれてしまった(画像はチラシ上部
転載)


白黒からカラーへの移行期に差し掛かった時期に相まって、展示作品も
残り僅かとなった辺りからカラー作品を展示している。

カラー作品について、ブレッソンは・・・
「カラーでは現実の色は再現不能である」と述べている。
    ・
    ・
ここで、つっ・・と私はあることに思い至った。
自作の写真を白黒に変換して遊んでいたときに、カラーから白黒に
変換した途端そこから”物語”が産まれるのだ。瞬間にそこにある画像は
過去のモノとなり「あの時は・・」と記憶を辿り始める。
色彩がない分、それを補うように想像力がフル回転するのか?
稚拙な例ですが





木村作品90数点、ブレッソン作品62点とたっぷりどっぷり浸れる展示数です




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雑感

2010年01月11日 | 喜怒☆楽
日々、過ぎ行く速度が増している。

子どもらはコドモの親となり、子猫はアっという間に青年期となる。
その間、私は何をしてもしなくても日々は確実にどんどん積み重なる。

365日どころか10年が短いと感じる。

あたふたすることに飽きた・・と感じる。

狭まる残り時間をどのように使おうか?
なんてことを手荒れ用クリームをすり込みながら新聞広げながら
考えてみたりする。




猫と暮らしてみて、猫は何やら”持っている”と感じる。
猫を侮ってはけない。
どうやら、猫から何か?学ぶことがありそうだ。
その微動だにせぬ落ち着いた眼差しが欲しいと思う。





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藤原達也の目・・・デス・ノート

2010年01月09日 | 映画
「DEATH NOTE」2006/藤原達也 松山ケンイチ 


藤原達也の常に潤っているような目が気になっていた。
気になるわりには作品をあまり見ていない
が、蜷川幸雄さんの秘蔵っ子ということで力量は伺えた。
そこでデスノート前編をレンタルしてみた。(松山ケンイチもかなりコアなファンが多いし)


この辺りの作品には疎い。かなりの話題作ではあっても食指が動かなかった。
が、レンタルした他作品の予告偏でこの藤原達也の目を追っているうちに
”見たい”と思ったのである。
コミックから飛び出し、アっという間に話題をさらった作品だけあって
各場面のインパクトが強烈だ。平凡な日常の中の異常の怖さだ。
夜神月(やがみらいと)だと?月=ライトの命名、まずのっけからここで
期待値が上がる。
死神=リュークのいきなりのさり気ない登場も好感度UP。

胸骨まで筋肉隆々で、ウェストは小枝ほどの細さだ。そこへ腿が太ければ
ボディビルダー体型だが、腿から足全般に細い。殊に首筋から鎖骨にかけての
太さとカーブがただ事ではない。この強いみたいな壊れてるみたいな
アンバランスな体型はおぞまし効果抜群。

L=竜崎(松山ケンイチ)はなんという嵌り役だろう。
リュークに通じるような怖さがある。この壊れたような怖さのキャラで
捜査陣の一員という設定がいい。いつもいつも体育座りのような格好で
甘いものを食べている。
このキャラ+甘い菓子=薄気味悪さ増長である。
大人が棒付きのキャンディーを頬張っているとどうしてこんなに違和感が
あるのだろう?
串に菓子を刺して”おでん風”に仕上げたものを「どうぞ・・」とススめる
場面は受けた

キラ(ライト)とLの頭脳戦は後編へと続く・・・・。



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今年は夢二から~

2010年01月09日 | 美術展・本
「竹久夢二と大正ロマンの世界展」竹久夢二美術館(文京区)
    ~3/28まで。
    
昨年あたりまで竹久夢二には、さほど関心が向かなかった。
幸薄いような、男にメロメロになりそうな女の気配にNOを突き出していた。

年を経て、こちらが少し柔らかくなったのか?夢二が描く儚げな女の
様子に違うものが見えてきた。
儚げな細い肢体の中にしたたかな意思がある。
夢二の女性遍歴を略歴で眺めてみると、女性の方もかなり肝を据えて強固だ。
そう思って「この夜ごろ」を見てみると・・

うわっ・・なんという艶かしさ。
心震わせて戸惑いながら・・・なんていう初々しさではなく
しかと「惑わせて見せますワ」という線の太さが垣間見えてくる。
(現在展示中)綺麗で見惚れてしまいました

デザイン画ではかなり魅せられる。
淡い色彩の中に、ことりと何気ない素振りを装い落とした効かせ色に
参ってしまう。
、この淋しげに降る雨と
落ち葉の紅葉の色の対比にゾクときます(こちらは画集より掲載)




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ラッキーな偶然・・・蒲田行進曲

2010年01月02日 | 映画
「蒲田行進曲」1986/つかこうへい脚本 深作欣二監督 
         風間杜夫 平田満 松坂慶子 

昨日(元旦)夕刻、ニュースを見ようとTVのリモコンを押した。
そのとき、隣を押し間違えて9chを・・こんなチャンネルの番組
は見たことがない?そもそも映るってことさえ知らずにいた。
・・・先に、懐かしいメロディが耳に入る蒲田行進曲
おぉ、20数年ぶりの銀ちゃん・ヤスさんとの僥倖。
迷わず腰を据えて見ることにした。

撮影所をメインの舞台とし、主演俳優(銀ちゃん=風間)とそれを
取り巻く大部屋俳優(ヤスさん=平田)・銀ちゃんの恋人で元女優
(小夏=松坂)のあれこれをハイテンションの喜劇仕立てで描く。

風間杜夫はこんなイケメンだった?と見直すほど風間がきれいな顔
をしている。
激情(劇場と置き換えてもいい)肌の銀ちゃん役を生き生きと演じている。
激すと相当危ない性格だ・・だけど人情家。見栄っ張りで寂しがり、
本当はこんなふうにハチャメチャやってみたいと思って出来ないような事を
銀ちゃんは小気味よくやって退ける。
そのテンションの激しい高低をノリノリのリズム感で演じ分けている。

松坂慶子は非の打ちどころなく美しい。
ヤスさんの田舎で浴衣着て風呂場を掃除しているシーンが松坂の美しさを
余すところなく引き出している。
浴衣は白地の生地に紺の茎・赤の小花弁を散らし、襷に桃色を配す。
そして着物の裾をふくらはぎから端折った先に見える白いしなやかな素の脚。
顔も捲くった腕も風呂場の湯気で潤って肌が透けるような白さだ。
(こんなピンクを少し混ぜたような素肌の白さが好みだ。青白いのはダメ)
脱ぐことなく清潔感溢れ女の美しさを最大限に引き出したこの場面に好印象。
少々上手くない程度の加減が初々しさを増す効果があったと思う。

そして、そしてヤスさん(平田満のファンである)
この役は平田満しか居ないでしょ
大好きな銀ちゃんにこき使われることが嬉しくてしょうがない顔。
好き勝手にパシリをさせられヘコヘコとへつらうヤスさんの情けない顔。
銀ちゃん大好きから派生する哀歓が漏れなく表出されている。
あの有名な”階段落ち”の場面以外でも体当たりの演技だ。銀ちゃんとのコラボな
演技がピッタリ息が合っていて、キレの良い動きにうっとりする。
(この人、かなりの運動神経と見た)
浪人風の出立ちがヤスさんの風貌にピタリと嵌る。
袴の上の真っ直ぐな背中、草履を履く素足の清潔感、
情けない表情裏の慈愛に満ちた眼差し・・いいなぁ。
ファンの女の子が銀ちゃんにサインを貰い走り去る寸前、銀ちゃんの無謀な
要求で車を追いかけ追いつき前バンパーに飛び乗るシーンのカッコ良さが
強烈に印象に残る。
ずっとずっと平田満のファンです。この人のナレーションもとてもですよ。

ヤスさんが田舎に嫁さん(小夏)を連れて帰郷したときの村挙げての歓待ぶり
は笑っちゃうくらい度外れていて面白い。ヤス母の清川虹子の存在感たるや
凄くて怖い
蟹江敬三・萩原流行などなど皆さん若くてキレイ。
やっぱり若いってキレイなんだナ・・と今更ながら思うのであった
フィナーレの演出も意表を突いて愉しい!

あの頃、原作・脚本の”つかこうへい”にちょっと嵌っていた。
熱海殺人事件の原作もかなり面白いですよ


チャンネルを偶然押し間違えたことに感謝、感謝!!

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