このブログで初めて、思うことを綴ってみます。
性的マイノリティにたいして、最近、日本の社会はあまり寛容でないように思います。
(例証は挙げません。皆さん同時代人で、今の日本社会を生きておられる方たちでしょうし、この時代の空気を共有していれば、感じる人は感じますよね)
ここでいう性的マイノリティには、性的嗜好の多様性も含まれます。
人が不快感に思うかどうかを基準にすると、その人の不快に思うところに潜んでいる差別意識が見過ごされ、場合によっては正当化されます。
で、どんどん性的健常者(異性と普通に正常位の性交をして普通に満足できる幸せな人たち)たちによるマイノリティへの見えない不寛容が幅をきかせるのです。
不快感を覚えたって、少しくらい我慢できないかな、と本気で思います。
世の中、いろんな変態さんがいます。ぼくもその一人です。普通の性交で満足できる人ばっかりじゃないんです。本能がスムーズに起動しないからってその人を欠陥人間として見てしまうのだとしたら、それはあなたが恵まれた幼年時代を過ごしたからです。よかったですね。
自分とは全く性的嗜好の異なる人の表現に接しても、そして不快感を覚えることがあっても、ぼくは目をつむるだけで、そのような表現はけしからんと申し立てるつもりは、さらさらありません。むしろそうした非難にたいしては擁護する立場です。ただし、その表現の未熟さを(そしてそれが結果的に人を不幸せにする可能性について)指摘することはあります。
その人の幸せになる手段、表現であれば、目をつむってあげるという寛容さが必要ですし、それがお互いを幸せにすると信じています。
ある表現が他人に犠牲を強いるような性的嗜好を増長させるという懸念は、これはよく混同されますが、表現そのものとは別の問題です。
「もしもお前が自分の嫌いな表現に接したのであれば、目をつむれ。耳をふさげ。間違ってもその嫌悪感で他人と連帯するな」
ただ、これはあくまでも表現についての話です。
自分の性的欲望を満足させるために、他人を利用する、傷つける行為を許されるべきではないと考えています。
しかし、表現については、自由であるべきです。
芸術の表現について、昔から芸術家たちは戦ってきましたし、それなりに成果を得てきましたが、最近の日本社会では、その獲得したはずの成果を失いつつあるようです。
時代遅れに聞こえるかもしれませんが、あえて申し上げます。表現は自由であるべきです。
きわめて普通のありきたりな表現であっても傷つく人はいます。
傷つくことを極度に恐れる空気は、注意しなければなりません。オブラートにつつんで、やさしく、甘い夢を見せてくれる社会のようですが、実は健常者の論理、強者の論理が支配する世界です。本当の世界は、人を容赦なく傷つける冷酷な自然界そのものです。それを私たちの生きる条件としなければなりません。
もっとシンプルに考えましょう。いかにして人を幸せにするか。この表現は人を幸せにするか。この場合の「人」とはマジョリティではありません。性的マイノリティを指します。
そして、その性的マイノリティを幸せにする言葉、表現のおどろくべき貧困が今の日本社会の特徴です。
性的マイノリティにたいして、最近、日本の社会はあまり寛容でないように思います。
(例証は挙げません。皆さん同時代人で、今の日本社会を生きておられる方たちでしょうし、この時代の空気を共有していれば、感じる人は感じますよね)
ここでいう性的マイノリティには、性的嗜好の多様性も含まれます。
人が不快感に思うかどうかを基準にすると、その人の不快に思うところに潜んでいる差別意識が見過ごされ、場合によっては正当化されます。
で、どんどん性的健常者(異性と普通に正常位の性交をして普通に満足できる幸せな人たち)たちによるマイノリティへの見えない不寛容が幅をきかせるのです。
不快感を覚えたって、少しくらい我慢できないかな、と本気で思います。
世の中、いろんな変態さんがいます。ぼくもその一人です。普通の性交で満足できる人ばっかりじゃないんです。本能がスムーズに起動しないからってその人を欠陥人間として見てしまうのだとしたら、それはあなたが恵まれた幼年時代を過ごしたからです。よかったですね。
自分とは全く性的嗜好の異なる人の表現に接しても、そして不快感を覚えることがあっても、ぼくは目をつむるだけで、そのような表現はけしからんと申し立てるつもりは、さらさらありません。むしろそうした非難にたいしては擁護する立場です。ただし、その表現の未熟さを(そしてそれが結果的に人を不幸せにする可能性について)指摘することはあります。
その人の幸せになる手段、表現であれば、目をつむってあげるという寛容さが必要ですし、それがお互いを幸せにすると信じています。
ある表現が他人に犠牲を強いるような性的嗜好を増長させるという懸念は、これはよく混同されますが、表現そのものとは別の問題です。
「もしもお前が自分の嫌いな表現に接したのであれば、目をつむれ。耳をふさげ。間違ってもその嫌悪感で他人と連帯するな」
ただ、これはあくまでも表現についての話です。
自分の性的欲望を満足させるために、他人を利用する、傷つける行為を許されるべきではないと考えています。
しかし、表現については、自由であるべきです。
芸術の表現について、昔から芸術家たちは戦ってきましたし、それなりに成果を得てきましたが、最近の日本社会では、その獲得したはずの成果を失いつつあるようです。
時代遅れに聞こえるかもしれませんが、あえて申し上げます。表現は自由であるべきです。
きわめて普通のありきたりな表現であっても傷つく人はいます。
傷つくことを極度に恐れる空気は、注意しなければなりません。オブラートにつつんで、やさしく、甘い夢を見せてくれる社会のようですが、実は健常者の論理、強者の論理が支配する世界です。本当の世界は、人を容赦なく傷つける冷酷な自然界そのものです。それを私たちの生きる条件としなければなりません。
もっとシンプルに考えましょう。いかにして人を幸せにするか。この表現は人を幸せにするか。この場合の「人」とはマジョリティではありません。性的マイノリティを指します。
そして、その性的マイノリティを幸せにする言葉、表現のおどろくべき貧困が今の日本社会の特徴です。
ニッチな性癖の持ち主でもいいじゃん、変態でもいいじゃん
人に迷惑かけてないんだから
俺の周囲には、もう俺の性癖はバレてますが
「まあ人それぞれだから」と目を瞑ってくれる人ばかりですが、
日本中がそうでは無いんでしょうなぁ……
naosu氏の苦悩が、なんだか察せました……
生きづらい世相ですね。自分のことを書かせてもらえれば、でも何事も万人に理解されることなどないので、いい意味で自分と自分を理解してくれる人たちを大切に、他者に振り回されることなく強くありたいと思ってます。
人それぞれ持っている趣向は違うので…
事実でしょ、町ぐるみで子供を虐待して、それを誰も咎めようともしない異常な環境なのは
どっち道、この手のR-20ブログには無粋なコメントだな
成人向けの話に、そういったマジレスは無粋だな
とにかく再投稿を楽しみにしてます!
性に関する問題は感情の問題なので、社会問題等に対しては働く理性が働かず、特に少数者が声を大にして訴えることに対し不快感から容易に不寛容に走るものだとこの記事と当時の記憶を見て思いました。
ともあれ、是非ナオス様の思うままに書いてほしいと思います。続きをいつまでもお待ちしております。
新サイトでどんな素敵な小説が見れるか今からワクワクしています
どうか頑張ってください