奈良散策 第1382弾
11月27日に、なら歴史芸術文化村で開かれていた「ワニ氏の源流を探る 和爾地域周辺の古墳時代」という天理市との共催展を見たのですが、そのとき「和爾地域周辺の古墳群を歩く」という現地講座があることを知りました。早速、申し込んだのですが、残念ながら抽選に外れてしまいました。それで、同じコースを歩いてみようと思って、12月4日に行ってみました。もともとのコースはJR万葉まほろば線の櫟本駅から長寺遺跡、和爾下神社、赤土山古墳、東大寺山古墳、和爾坐赤阪比古神社、・・・と帯解駅までの10 kmのコースを歩くのですが、結構長いので、この日は途中までにしようと思って歩き始めました。
途中で見た植物です。おそろしく背が高いのですが、ダンチクではないかと思います。
櫟本駅から歩いてすぐのところに高良(こうら)神社がありました。祭神は武内宿禰だそうです。
実はこの高良神社は奈良時代に建てられた長寺(おさでら)跡に建てられた神社のようです。現在でも社務所の隣に長寺と書かれた御堂がありました。
さらに、この一帯は弥生時代の集落跡である長寺遺跡であったようです。案内板が建てられていました。
さらに歩くと道標が建てられていました。不動山大師道と和珥坂傳承地と書かれています。不動山大師というのは地図にある櫟本高塚公園の奥の不動寺跡のことかな、和珥坂傳承地というのは和爾町の北にあるところのようです。
そのうち、太鼓台収納庫と書かれた建物がありました。
すぐ裏がため池になっています。ただし、水が抜かれていました。
ため池のすぐ横に櫟本墓山古墳がありました。名前の通り、お墓の山になっていました。
さらに歩くと、和爾下神社の鳥居に着きました。この神社は延喜式神名帳にも載っている古い神社です。ただし、神名帳には和爾下神社二座となっていて、一座はこの櫟本町、もう一座は大和郡山市横田町に同名の神社があります。
鳥居を過ぎると、参道は車の通れる道になっていました。かなり境内が広いようです。
少し進むと、柿本(しほん)寺跡に着きました。ここも奈良時代の古代寺院の跡です。柿本氏は柿本人麻呂で有名ですが、もともと和爾氏から分かれた派生氏族のようです。
中心に置かれているのが、柿本人麻呂像です。この間の共催展に展示されていた、和爾下神社に伝わる、室町時代作の像をもとに作られたようです。
なぜか蛙の像がやたらいっぱいありました。
これは不動明王の像のようです。やはり説明を聞かないと、何にも分からないですね。
この後、和爾下神社に行き、それから赤土山古墳に行ったのですが、長くなったので次回に回します。
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