電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『街場のメディア論』、あるいは「著作権」について

2010-08-28 22:23:21 | 文芸・TV・映画

 内田樹さんの『街場のメディア論』(光文社新書/2010.8.20)を読んだ。第1講の「キャリアは他人のためのもの」と第6講の「読者はどこにいるのか」に感動した。内田さんは、この本の中で、「知の流通過程」の現状について語っているが、どちらかというと出版メディアのサイトについて言えば絶望的な状況が、読者のサイトについて言えば多少の明るい状況が描かれている。若い人に対して、特にこれから出版メディアに携わりたいという人に対しては、最低知っておくべきこととしての心構えを、そして、私たちのような出版メディアに携わっているものに対しては警告を述べていると言ってもよい。少なくとも、私は、そう理解した。

 まず、最初に、最近の「キャリヤ教育」に触れて、とてもおもしろことを述べている。これは、最近の内田さんのブログでも時々話題にしている「働くこと」について関係している。確かに、「キャリア教育」ということが高校や大学だけではなく、今では、中学校、いや小学校まで叫ばれている。特に大学生は、「自分の適性」ということを考え、そしてその適性にあった「天職」を探そうとしているが、そもそもそれが間違っていると内田さん言う。そもそも、仕事とか労働というのは、自分の為にやるのではなく、他人の為にやるものであるということを、内田さんはブログで述べていた。

 人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」にあうことかどうか、そんなことはどうだっていいんです。とにかく「これ、やってください」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状況で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。
 宗教の用語ではこれを「召命」(vocation)と言います。神に呼ばれて、ある責務を与えられることです。でも、英語のvocationにはもう一つ世俗的な意味もあります。それは「天職」です。callingという言葉もあります。これも原義は「神に呼ばれること」です。英和辞典を引いてください。これにも「天職」という訳語が与えられています。(『街場のメディア論』・p30より) 

 「天職」というのは適性検査で見つけるものでもなければ、中教審が言うように「自己決定」するものではなく、仕事をすることを通して、また、労働することを通して、「他者に呼び寄せられること」であり、「自分が果たすべき仕事を見出すというのは本質的に受動的な経験」だと述べている。なんともはや、凄い言葉だと思う。そして、最近の教育論に対する痛烈な批判でもある。

 さて、第6講は、いわゆる著作権についての内田さん独特の主張である。内田さんは、著作権の中の特に財産権は、はじめから、自分の作品の価値に伴って存在しているものではなく、いわば、それは「読者からの返礼」だと言う。そして、作品はと言えば、著者からの「読者への贈り物」であるということになる。それ以上でもなければそれ以下でもないというのが、内田さんの著作権の考え方だ。これもまた、凄い考えだと思う。そして、おそらくそれは、正しいと思われる。

 というのは、本を書くというのは本質的には「贈与」だと僕が思っているからです。読者に対する贈り物である、と。
 そして、あらゆる贈り物がそうであるように、それを受け取って「ありがとう」と言う人が出てくるまで、それにどれだけの価値があるかは誰にもわからない。その書きものを自分宛の「贈り物」だと思いなす人が出現してきて、「ありがとう」という言葉が口にされて、そのときはじめて、その作品には「価値」が先行的に内在していたという物語が出来上がる。その作品から恩恵を被ったと自己申告する人が出てきてはじめて、その作品には浴するに値するだけの「恩恵」が含まれていたということが事実になる。はじめから作品に価値があったわけではないのです。(同上p145・146より)

 グーテンベルグの印刷術の発明により、資本主義社会の発展の中で本は商品となり、やがて、まず出版社の権利が出版権として認められ、その後、著者の利益が著作権として認められるようになった。これは、本にそういう価値が存在するからではなく、ルールとして認められた権利として存在するのである。それは、ルールであるが故に、創作に沢山労力が必要だからとか、神聖な行為だからとかいうこととは一切関係ない。高名な作家の作品だろうと私たちのような名もない庶民の日記であろうと、その権利は同じ権利である。この点では、かつて文化庁著作権課長の岡本薫さんが名著『著作権の考え方』(岩波新書/2003.12.19)のなかで、「知的財産権は、『ルール』であって『モラル』ではない」と述べていたが、その通りである。

 私たちが今、日本の古典を読むことができるのは、いろいろな人たちが、自ら筆で筆者してくれたからこそである。そして、印税は「創作に対するインセンティブ」として必要だと言うけれども、その恩恵にあずかっているのは、ほとんど最近の作家だけであって、古典の作者は、おそらく彼らの著作でもうけたなどということはほとんどないはずだ。本だけではなく、モーツアルトもベートーヴェンも、著作権などというものは知らずに作曲したのだ。それでも彼らは素晴らしい作品を作った。

 売れている一部の作家たちが、自分たちの本が図書館で借りて読まれることを批判していたが、それに対する内田さんの批判はよく分かる。私たちが、自分で本を買って読むことができるようになったのは、つい最近のことだ。それまでは、私たちの先祖は、誰かに借りて読んだし、必要なら自分で書き写して持っていて読んだ。マルクスは、ほとんど図書館で資料を読み、必要な部分をノートに書き写していた。そして、その結果、書き表した書物は、また、貸し出したり、書き写されて読まれていったのだ。そういう前史を本は持っている。それだけではなく、私たちの読書体験もまたそうである。

 「本を自分で買って読む人」はその長い読書キャリアを必ずや「本を購入しない読者」として開始したはずだからです。すべての読書人は無償のテクストを読むところから始めて、やがて有償のテクストを読む読者に育ってゆきます。この形成過程に例外はありません。ですから、無償で本が読める環境を整備することで、一時的に有償読者が減ることは、「著作権者の不利」になるという理路が僕には理解できないのです。
 無償で読む無数の読者たちの中から、ある日、そのテクストを「自分宛の贈り物」だと思う人が出てくる。著作者に対して反対給付義務を感じて、「返礼しないと、悪いことが起きる」と思った人が出てくる。そのときはじめて著作物は価値を持つ。そのような人が出てくるまで、ものを書く人間は待たなければならない。書物の価値は即時的に内在するものでなく、時間の経過の中でゆっくりと堆積し、醸成されてゆくものだと僕は思っています。(同上・p187より)

 現在、ほとんどの出版人は、「本」を商品として、それ故、「紙から電子」までの多様な媒体による流通過程の中で成り立つビジネスモデルとして追究している。そのこと自体が間違っているわけではない。しかし、図書館においてある「本」が本ではないように、商品ではない「本」も考えておくべきべきである。内田さんは、第6講の「読者はどこにいるのか」のなかで、このことを明解に述べている。こういうことを言ったのは、内田さんが初めてだと思う。凄い言葉だと思った。

 書物が商品という仮象をまとって市場を行き来するのは、そうしたほうがそうしないよりテクストのクオリティが上がり、書く人、読む人双方にとっての利益が増大する確率が高いからです。それだけの理由です。書物が本来的に商品だからではありません。商品であるかのように流通したほうが、そうでないよりも「いいこと」が多いから、商品であるかのような仮象を呈しているにすぎません。
 ということは、もし、書物がもっぱら商品的にのみ流通することで、「いいこと」が損なわれ、「よくないこと」が起きるなら、商品としての仮象を棄てるという選択肢は当然検討されてよい。僕はそう思います。(同上・p139)

 本当に、「著作権」というのは不思議な権利だ。それは、ルールであるが故に、みんなで別な風に変えることができるのは当然であるが、その前に、「著作権」は「私権」であるがゆえに、「著作権者」が自分でどのようにも処理できることもまた、事実である。内田さんの『街場のメディア論』は、今まさに目の前にある事態を取り上げながら、とても長い射程距離を持った書物だと思う。読み終わって、すぐに忘れないように、私もまたいくつかの断章を書き写してみた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「○○本バブル」について

2010-08-21 20:45:18 | 文芸・TV・映画

 そもそも発端は、「ブックファースト・遠藤店長の心に残った本」というコラム
から始まった。この記事を、内田樹さんが読み、ブログに「ウチダバブルの崩壊」という記事を書いた。そして、この記事を中心にして、茂木さんと勝間さんが自分なりの考えを表明している。そして、それらを踏まえて、続きを内田樹さんが書いている。私には、内田さんの主張がよく分かった。茂木さんや勝間さんの主張は、当事者として、これもまっとうな主張であり、彼らはそう答える以外に答えようがないのも確かだ。ただ、著者のスタンスとしては、内田さんの立ち姿が、自覚的で、私には最も心に響いた。

 今最も、売れているらしい著者たちが、自分たちの出版された本について語っていて、とても興味深かった。特に、勝間さんは、自分の本をいかにして売るかというマーケティングも含めて、出版社と緊密な連携の基に出版活動を続けていた。ある意味では、書店にたくさんの本が並び、それなりに売れていくということにおいては、彼女の選択が正しかったことを意味している。その結果をバブルと呼ばれるのは、確かに心外であるに違いない。しかし、自分の本が、数万から数十万にの読者を持つとしたら、それは異常だと思った方がよいと思う。少なくとも、大衆文芸に10年近くかかわり、いかに出版活動を持続できるかということで、新人発掘から著名人の活用までいろいろ考えて、結局は失敗した弱小出版社の元経営者としては、それは僥倖と考えるべきだと思う。

 確かに売れると言うことは、それなりのオーラを持った著者の力であり、この力は、読者の支援と運とに支えられてある時期どこかに集中して現れるものらしい。そして、その流れは、出版社や流通を等して、色々なところに経済的な利益をもたらし、その利益の故に更により利益を求めて活動が拡大していくことになる。もし、この活動が、大手出版社だけの活動であるなら、まあ、彼らは少々のこととでは、大けがはしないのだが、弱小出版社を巻き込むと、どこかにアクセルだけでなくブレーキを踏むという操作を自覚的に行わないととてつもないことが起こりうる。本は沢山発行しただけでは、まだ、利益にならず、最終的には読者が買ってくれないとお金にならない。しかし、売れようが売れまいが、費用は発生してくるからである。

 ところで、何故、いま、茂木健一郎や内田樹や、池上彰や勝間和代さんがこんなに読まれているのだろうか。彼らに共通して見える立ち位置がある。彼らは、それなりに自分の専門としての分野を持っていて、それをバックボードにしながら、文明や文化を批評している。しかも、一応、彼らは、現在のどの政党ともつかず離れずの関係を持ちながら、自分の意見を主張している。勿論、共通の読者もいると思われるが、コアな読者は、多分かなり違っていると思われる。そして、違っているところがまた面白い。

 私は、茂木さんは勝間さんの初期の本は、ほとんど買って読んだ。しかし、ある時期からたまにしか買わなくなった。それは、ブックファーストの遠藤社長の指摘した時期と合っているように思う。しかし、買わなくなったのは、特別に内容が雑になったからというより、内容が啓蒙的なものになり、あちこちの出版社からいろいろな本として出版されるようになり、それらをカバーするのが面倒になったからだ。多分、Webからの情報を見ていれば、彼らの主張はそんなに多くの本を読まなくても分かるようになったからかも知れない。つまり、茂木さんや勝間さんはこの点についてどんなことを考えているだろうかということを知りたくて、本を買うと言うことがなくなったということでもある。

 茂木さんは、脳科学の世界で、ダーウインのようになりたいと言っていたが、まさしく、NHKの仕事などそのためのフィールドワークということが言えるかも知れない。茂木さんについては言えば、1997年に日経サイエンス社から出された『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』の続きが読みたい。また、勝間さんについて言えば、これまた、彼女の出版活動自体が彼女のマーケティング理論の実験のようなところがあり、私としては、2008年に東洋経済新報社から出た『勝間式「利益の方程式」 ─商売は粉もの屋に学べ!─』の続きが読みたい。ある意味では、マーケティングという観点から見た日本論を期待しているのかも知れない。彼女は、おそらく、大前研一さんのようになるのではないかというのが、私の印象である。

 他方、遠藤さんは、内田本についてバブルということは言っていないが、不思議なことに、今のところ、内田さんの本は新刊が出るとほとんど買ってっている。それは、内田さんのスタンスのせいかもしれない。池上さんの本は、余りに急に書店に並び始めたので、どれを読んだらよいか迷っているうちについ買いそびれている気がする。茂木さんと勝間さんと内田さんは、ともにブログの記事をよく読んでいるので、いま、本を読まなくてもすんでいるのかも知れない。そして、内田さんの本が、他の二人より出版点数が少ないので買っているのかも知れない。

 ところで、彼らの本が何故こんなにたくさんの読者を獲得したのだろうか。確かなことは、Web上で流れている、無数の主張に対して、多分、彼らの主張がある種の道標となっていると思われるからだ。彼らは、Webの世界と対応している。ある意味では、Webを通してできたファンクラブが彼らのコアな読者層だといえる。しかし、これは、彼らの著作がWebの世界から生まれているということを意味しない。確かに、内田樹さんの場合は、Webでいろいろ言ったことが、まとまって単行本になっていることもある。だが、彼らの本に内容は、Webとは別のところで作り出されている。少なくとも、彼らは、今、Webの世界も含めた、現実の状況の中で戦っていることだけは確かだ。そして、彼らが戦っている限り私も彼らを見守りたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『1Q84』BOOK3

2010-04-18 22:55:05 | 文芸・TV・映画

 村上春樹の『1Q84』BOOK3を読み終える。多分、これで「川奈天吾」と「青豆雅美」の物語は、終わった。村上春樹は、この作品の予告で、「恋愛小説」を書くと言っていたが、まさしくこれは恋愛小説だと思う。これまで、いつも登場人分たちがこちら側とあちら側に引き裂かれていく村上ワールドの中で初めて成就した恋愛を村上春樹が書いたということになる。そういう意味では、私の予測とはかなり違った展開になった。ただ、村上春樹の書いている世界は、ただ、こちら側とあちら側の二つだけではなく、もっと多重化された世界へ拡大されようとしていることだけは確かなようだ。

 私は、昨年の5月に発売されたBOOK1・2を読んでから、村上春樹の長編だけをもう一度読み直してみた。『風の歌を聴け』(1979年)、『1973年のピンボール』(1980年)、『羊をめぐる冒険』(1982年)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 (1985年)、『ノルウェイの森 』(1987年)、『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)『国境の南、太陽の西』(1992年)、『ねじまき鳥クロニクル』 (1992年~1995年)、『スプートニクの恋人』 (1999年)、『海辺のカフカ』(2002年)、『アフターダーク』(2004年)。ここまで、来るのにおよそ半年かかった。そして、いま、『1Q84』BOOK3を読んだ。

 そして、今回、BOOK3は、ベートーベンの交響曲第1番から第9番までを聴きながら2日間で読み終えた。もちろん、私は、ほとんど流れてくるベートーベンの曲を意識してはいなかった。ふと、本から目を外したときに、ベートーベンの交響曲が聞こえてくる。そして、まるでベートーベンの交響曲が前の曲の主題を引き継ぎながら、発展し変形していくのと同じように、村上春樹のこれまでの作品を引き継ぎ、発展させ、変形させていきながら、まるで、第9番の『喜びの歌』のような展開で終わったことに驚いた。そう、私は、読み終わって本当に驚いた。多分、ベートーベンの交響曲がそうであるように、この物語も物語として、堪能すれば良いのだと思う。

 私は誰かの意思に巻き込まれ、心ならずもここに運び込まれたただの受動的な存在ではない。たしかにそいういう部分もあるだろう。でも同時に、私はここにいることを自ら選び取ってもいる。
 ここにいることは私自身の主体的な意思でもあるのだ。
 彼女はそう確信する。
 そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由はたったひとつしかない。天吾と巡り合、結びつくこと。それが私がこの世界に存在する理由だ。いや、逆の見方をすれば、それがこの世界が私の中に存在している唯一の理由だ。あるいはそれは合わせ鏡のようにどこまでも反復されていくパラドックスなのかもしれない。この世界の中に私が含まれ、私自身の中にこの世界が含まれている。(『1Q84』BOOK3・p475・476より)

 とても不思議な文章だ。あたかも物語の登場人物(青豆)が、自分が登場人物にされた理由を語っているかのようにも読める。青豆と天吾は、1984年の世界から、1Q84年の世界に紛れ込み、そして、そこからまた、未知の世界に移動していく。それは、あたかも、青豆や天吾の世界に終わりがあるのではなく、小説という物語形式自体に終わりがなければ、私たちがこの本を読むことさえできない世界のことだから仕方がないと言っているかのようだ。それにしても、このBOOK3は、いままでの村上春樹の作品の中で、いちばん読みやすい本だと思えた。そして、ベートーベンの交響曲が「凄い」と思えると同じように、村上春樹の作品は「凄い」と思った。(久しぶりにこの記事を書いてみたが、粗筋が分からないように書くのは、なかなか難しいものだ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靖国神社の茶会で

2009-10-25 22:42:08 | 文芸・TV・映画

 靖国神社は、8月15日になるととても賑やかになる。もちろん、8月15日は終戦記念日であり、西南戦争から始まり太平洋戦争までの戦死者たちに対して慰霊に参拝したり、また、それに反対したりして、沢山の人たちが集まってくる。ただし、靖国神社の祭典が8月15日にあるわけではない。私たちは、JR市ヶ谷駅か歩いてきて、南門からは入り、参集殿の先で左に曲がり、神池庭園のほうに向かった。その神池庭園の中に、あるいは神池庭園を囲んで、まるで隠れているかのように、行雲亭、靖泉亭、洗心亭という茶室がある。靖国神社の参道からは想像もできないほど、ひっそりとそれらの建物があるのだが、今日は、茶会で、和服姿の沢山の女性が集まっていた。

 表千家都流の創流80周年記念茶会があり、私はかみさんについて参加。席亭は、靖泉亭広間・靖泉亭小間・洗心亭広間・洗心亭立礼・行雲亭の5席あり、10時半から15時までだった。沢山の参加者があり、結局、洗心亭立礼と行雲亭の2席しか参加できなかった。昼食には、行雲亭にもうけられた本部席で淡路屋の「ひっぱりだこ飯」と缶入りスッポンスープが出、お土産にばいこう堂の「山もみじ」というお干菓子があった。

 行雲亭では、かみさんの先生と、義理の姉がお点前をしていた。私は、かみさんとかみさんの同級生の3人で濃茶を楽しんだ。名前は忘れてしまったが、洗心亭立礼で出されたお菓子は、とても美味しかった。そして、茶も多少の甘みがあると同時に、ほろ苦く、美味だった。私は、年に2,3回ほどは、茶会に参加するのだが、いつまで経っても茶席のしきたりがよく理解できていない。まあ、飲むだけだから、挨拶の仕方と、お菓子の取り方と食べ方、お茶の飲み方が分かっていれば良いのだが、細かいところは、たいてい前の人のやり方をみて真似をしてごまかしている。

 もちろん、それで十分美味しいお茶が味わえる。お茶を飲み、庭を散策し、景色を見、また、お茶を飲む。ただそれだけのことだが、それがなんとなく奥ゆかしい気持ちにさせてくれる。確かに、これは、伝統文化というものに対する、私たちの心情なのかもしれない。東京という大都市のど真ん中で、こんな行事が行われていることは、当たり前のようで、一つの奇蹟に違いない。考えてみると、こうした奇蹟は、ひょっとしたそこら中で起きていることかもしれない。

 私たちは、茶会の後、九段下の方に向かって歩き、しゃれた茶店でコーヒーを飲んだが、かみさんと同級生がお互いの近況を報告し合いっている間、私は村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』(中公文庫)という短編集を読んでいた。『中国行きのスロウ・ボート』というのは、村上春樹の最初の短編集であり、確かにその後、村上春樹の小説の萌芽がほとんどそろっていると言えるかもしれない。おそらく、村上春樹の生活は、大学を卒業して、結婚し、ジャズ喫茶のようなものをやっていた30歳少し前まで終わっているのだ。そこから先は、作家としての村上春樹になってしまった。

 僕は同時にふたつの場所にいたいのです。これが僕の唯一の希望です。それ以外には何も望みません。
 しかし、僕が僕自身であるという個体性が、そんな僕の希望を邪魔しているのです。これはとても不愉快な事実だと思いませんか? 僕のこの希望はどちらかと言えばささやかなものであると思います。世界の支配者になりたいわけでもないし、天才芸術家になりたいわけでもない。空を飛びたいわけでもない。同時にふたつの場所に存在したいと言うだけなんです。いいですか、三つでも四っつでもなく、ただのふたつです。(「中国行きのスロウ・ボート』所収・「カンガルー通信」より)

 書くということは、おそらく、ふたつの場所に同時にいるということだ。書いているこちら側の世界に身を置きながら、書かれている世界に入っていくことだ。村上春樹が「僕」と書く時、「僕」は、常にふたつの場所に関わって存在している。この『中国行きのスロウ・ボート』に含まれている短編は、全て「僕」の語りとして書かれている。村上春樹は、どこかの段階で、書くことを通じて、こちら側からあちら側に行き、そして戻ってくるという方法を身に付けたのだ。それは、ある意味では、潮来の口寄せのような行為かもしれない。しかし、村上春樹の書くという行為は、本質的にそういうものだと思われる。

 そんなことを考えながら、ふと、その喫茶店から靖国神社のほうを眺めた。そして、靖国神社に合祀された使者たちのことを思った。彼らのうちのほとんどの者たちは、おそらく意味なくして死んだのだ。そして、残されて者たちは、意味なく死んでいくことに耐えられない。いつの間にか、私たちは、そうした死者たちの死の意味を求めているのではないだろうか。ひとは、戦争でだけ死ぬわけではない。そして、戦争で死ぬことも、交通事故で死ぬことも、あるいは、病気で死ぬことも死ぬと言うことでは同じ意味を持っている。どちらが価値ある死に方かというのは、意味がない。この村上春樹の処女短編集にあまり沢山の死の影があることを、私は改めて知った。靖国神社の茶会が、そんなことを私に考えさせた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『終の住処』

2009-08-16 10:55:41 | 文芸・TV・映画

 磯﨑憲一郎は、1965年生まれの三井物産の現役の社員だ。彼は、仕事と趣味を上手く両立させているようだ。もちろん、現代の企業は、いずれ、彼の趣味もビジネスの一部として取り込んでしまうかもしれないが、今のところ趣味は趣味として行われているようだ。彼は、とても、有能なビジネスマンであるように思われる。『終の住処』(第141回芥川賞受賞作)の主人公の「彼」が製薬会社の中で、自然に上昇気流に乗っていつの間にか、画期的な仕事をこなし、重要な役割をするようになると語られているが、それは磯﨑憲一郎の立ち位置と同じような気がする。

 この小説は、主人公と彼の妻が結婚してから、およそ20年間のことが描かれているが、それは象徴的な時間として描かれている。その20年間にあったことで、この小説の世界に登場してくるのは、主人公「彼」のいずれ崩壊してしまう妻以外の女性とのもつれた愛情関係と、それに比べてきわめて明るく楽天的な製薬ビジネスの成功と冒険のようなアメリカでの企業合併の交渉だ。それぞれの文は、暗く、もつれたように長く、いずれも固有名詞を持たない主体について語っている。象徴的という意味は、「死が遠くないことを知る」ために必要な時間という意味だ。

 私は、この小説を読んだ時、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいた。これほど違う文体を同時に読むのは希有な体験だが、描き出された世界もまた、とても好対照的な世界だ。『ダンス・ダンス・ダンス』は数ヶ月の世界であり、これからひょっとしたら主人公の「僕」と「ユミヨシさん」が一緒になるかもしれない物語だが、『終の住処』はまるでせかされたように出会い、結婚に向かった「彼」と「妻」の二人がその後20年近い歳月を経て、家を建てそこに落ち着くまでの世界である。

 彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた。一年まえに付き合い始めた時点ですでにふたりには、上目遣いになるとできる額のしわと生え際の白髪が目立ち、疲れたような、あきらめたような表情が見られたが、それはそれぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな年から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない、という理由からでもあった。じっさい、交際し始めて半年で彼は相手の実家へ挨拶に行ったのだ。それから何十年も経って、もはや死が遠くないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった。(「文藝春秋」九月特別号・p364より)

 この小説は、「彼」と「妻」の物語であるが、時々「娘」が登場するだけで、家庭そのものは、殆ど描かれていない。むしろ、なぜだか分からないが、突然「妻」が11年間も口をきかなくなってしまったり、家を建てたら建てたで今度は「娘」が自分と交替でアメリカに行ってしまったりする。家庭は、「彼」にとって、あちら側の世界のように存在している。「彼」にとってのこちら側の世界は、次から次へののめり込んでいかざるを得ない、女性との不思議な関係であり、なぜか知らないが勝手にうまくいってしまうビジネスの世界である。どちらの世界も、「彼」にとっては、よく分からない世界のように描かれているが、本当によく分からないのは、あちら側の世界だけである。

 磯﨑憲一郎も小説の中に、謎を仕掛けている。その謎は、しかし、妻と自分との関係の中の謎である。あるいは、「家族」というものの謎だというべきかもしれない。11年間も口をきかない関係とは何か、また、自分の知らないうちに、知らない世界に行ってしまう娘との関係とはいったい何か。この小説の中には不可思議な場面がいくつか描かれているが、よくよく読んでみると、この小説の中で、本当によく分からないのはその二点だけなのだ。というのは、、「彼」のこちら側の世界には、未知の世界があるのではなく、「彼」の心理の異常さとして描かれているのであり、「彼」のビジネスの成功は「彼」の超能力のせいでもなく時代と「彼」の意志の結果であるといえるからだ。

 もちろん、不思議なことに、家族の一般論から言えば、それは謎でも何でもない世界であり得る。ほとんど家庭など顧みない「彼」のような存在がいれば、「妻」や「娘」のような存在が導き出されるのは必然であるというように。こんなことを考えながら読んでいると、磯﨑憲一郎は、この小説の中で、終の住処を見つけるまでの20年間をこの短編の中に凝縮して、ある種の色を着けることを意図したよう考えられる。そして、20年間という時間は、そうした色に染めない限り、たいした意味がなくなってしまうように思われているのではないか。そのためにだけに、この小説の中で、時間を凝縮して色づけがされているような印象を持った。

 ところで、芥川賞選評を読んでみると、山田詠美、小川洋子、黒井千次、川上弘美、池澤夏樹が高く評価し、石原慎太郎、高樹のぶ子、宮本輝、村上龍が低く評価している。何となく分かるような気がしないでもない。宮本輝と村上龍の評はほぼ同じような指摘をしているが、宮本輝はこの作者の可能性に期待しているところがある。そして、私も、宮本輝のように、磯﨑憲一郎の実験的な試みから伺われる彼の才能については面白そうだと思った。しかし、この作品だけでこの作家の評価を決めるべきではないが、この作品について言えば、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』や、また芥川賞をもらえなかった村上春樹の『風の歌を聴け』よりも私が物足りなさを感じたのは確かである。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする