電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

ネット碁の相手に人間性を感じるとき

2005-07-09 23:20:46 | デジタル・インターネット
 5月の中旬に「パンダネット」の会員になってから、今日まで49局打ち、対戦成績は31勝25敗になった。最初に会員になったとき、3段の免状を持っていたので3段と自己申告したら、初段格に格付けされた。その後、負け続けて、すぐに一級になってしまった。ネット碁の世界は、普通の囲碁の世界より二子くらい厳しいという話を聞いていたが、その通りだった。その上、打ち方に慣れていないので負けが多く、一級まで下がってしまった。それが、やっとまた初段まで戻ることができた。
 普段は時間がないので、囲碁をするのは土曜日か日曜日の休日になる。制限時間が25手10分でも、細かくなり最後まで打つと、1時間半くらいはかかる。それに、負けるとかなり疲れる。大抵、休みの日は、朝1回、午後1回、夜1回というように、できるだけ続けて打たないようにしている。その間、散歩したり、仕事をしたり、用事を片づけたりと別なことをすることにしている。だいたい、3連勝するか3連敗すると1段階あがったり下がったりする。また、一級の上は、一級★で、一級★の上が初段ということになっている。

 3連勝したり、6連勝したりというのは、よほど力がついていないと難しいが、2勝1敗くらいの成績がつづけば、だいたいすぐに上に行けそうだ。勿論、自分がその間強くなっていないとそれは難しい。色々な人がおり、それぞれが勝とうと挑戦しているのだ。面白いのは、朝、昼、夜と囲碁をすると、朝はアメリカなどが多く、昼と夜は、日本や東南アジアの人が多いようだ。中国や韓国の人たちは強そうだ。おそらく、これからどんどん延びていく若者たちなのだろう。私に負けるとすぐに再戦を申し込んできたりする。

 ところで、インターネットで囲碁をするという場合、相手はインターネットに接続している人間なのだが、時々、なんかものすごい性能のコンピュータを相手にしているのかも知れないと思うときがある。そんな時は、淡々と相手が打ってくれるときだ。お互いに気合いが入り、私が打つと怒ったようにすぐに打ったり、またじっくり考えたりなど相手の息づかいまで感じられるようなときがあるが、そんな時はなるほどインターネットの向こうには確かに人間がいるらしいという感じがする。

 私が相手が人間だと感じるときは、相手が私より弱いか、同じくらいの力量のときだ。そして、私より相手が強いときは、相手がコンピュータかも知れないと感じたりする。石を打つ流れがスムーズで、私を寄せ付けない強さで私を攻めてくる様子は、隙がない。まるで、私が次にねらっていることがあらかじめわかったいたかのように、鋭い手を打ってくる。そんな時、目の前に機械があり、それを相手にしている時、正に自分の相手は人間でないような気がしてくるのだ。

 勿論、パンダネットは、最初練習するためにコンピュータを相手にして打つことができる。しかし、このコンピュータは、とても弱い。そして、当然次に打ってくるだろうところをとばしたりする。何だが、とても弱い人間のような感じがするから不思議だ。つまり、囲碁の場合は、相手がとても強いとまるで機械を相手にしているような感じを持つことになる。これは、不思議な感覚だった。

 しかし、考えてみると、私は時々、相手のミスを期待していたりするのだ。そして、私は相手がミスしそうな手を打つと本当にミスしたりしてくれる。また、時には自分でとんでもないミスをしたにも関わらず、相手がそれをとがめなかったりする。そんな時、相手の人間性を感じたりするのだ。まさしく、コンピュータのように正確に、感情に左右されない強さというのは、インターネットを通して見ると人間的でないような気がするわけだ。

 子どもたちを囲碁ファンにさせた漫画『ヒカルの碁』では、ネット碁を上手く活用していた。世界の頂点をめざしているものたちが、そこで戦っていた。そんな世界には、私はとても参加できそうではないが、そうした力がある人たちはまた、私が同じくらいの力量の人たちに対して人間性を感じるように、相手の人間性を感じ取るに違いない。よくよく考えてみると、私たちが相手に人間性を感じるときは、相手も自分と同じような存在でなければならないということのようだ。
コメント (2)
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