電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「思いやり」と「ミラー・ニューロン」

2006-03-12 23:30:49 | 自然・風物・科学

 「思いやり」とか「相手の気持ちを想像する」という脳の活動は、ラマチャンドラン(『脳のなかの幽霊、ふたたび』角川書店刊/2005.7.30)によれば、前頭葉の中のミラー・ニューロンの働きに基盤を持っているということらしい。ミラー・ニューロンというのは、1996年にイタリアのジャコモ・リゾラッティのサルを使った実験によって発見されたものだ。サルの前頭葉の運動前野に自分がある行為をしたときと、ほかのサルが同じ行為をしたのを見たときと同じ活動をする神経細胞があるというのである。あたかも、鏡に映したかのように自分の行為とほかのサルの行為とを表現しているので「ミラー・ニューロン」と名づけられたという。

 前頭葉の運動指令に関与する部位に、サルがある特定の運動をするときに発火するニューロン群があることは、よく知られています。あるニューロンはサルが手をのばしてビーナッツをつかむときに発火し、別の細胞は何かを引き寄せるときに、また別のニューロンは何かを押すときに発火するというぐあいです。これらは運動指令のニューロンです。リゾラッティはこれらのニューロンの一部が、同じ行為をほかのサルがしているのを見ているときにも発火することを発見しました。たとえば、サルがビーナッツをつかむときに発火する「ピーナッツつかみ」ニューロンは、ほかのサルがピーナッツをつかむのを見ているときにも発火します。人間でも、これと同じことが起こります。(前掲書・p60より)

 ラマチャンドランが言うように、これは確かに異例のことで、他人がピーナッツをつかんでいる視覚イメージと自分がピーナッツをかんでいる自己イメージとは全く違っているにもかかわらず、このようなことが起こるのは、脳の中で内的な変換が行われて二つのことが同じことだと判断されていることになる。むしろ、二つのことが同じだと認識されるのは、自分の行為と他人の行為の両方に反応して発火するミラー・ニューロンに働きによると考えてほうがよいことになる。

 ほかの人の動作を判断するには何が必要かを考えてみましょう。たぶん、その人街sていることを、バーチャル・リアリティとして内的にシミュレーションする必要があるのではないでしょうか。そしてそれには、ミラー・ニューロンの活動が関与するのではないかと考えられます。したがってミラー・ニューロンは、ただものめずらしいというのはなく、人間の本性のさまざまな特徴──たとえば、他人の行為や意図を解釈するといった特徴──を理解するうえで、重要な意味をもっています。(同上・p61)

 このことについては、茂木健一郎さんが『脳と創造性』(PHP研究所刊/2005.4.5)のなかで、「あたかも鏡に映したように自己の行為と他者の行為を共通のプロセスで処理する脳内モジュール」を「ミラーシステム」と呼び、このミラーシステムの構成要素としてミラー・ニューロンをとらえている。

 ミラーシステムは、脳が自分に関する情報と他者に関する情報を共通のモジュールで処理している可能性を示唆する。たとえば、相手がこのような行為をしているということは、自分の場合だとこんな行為をしていることに相当するから、相手はこういう気持ちでいるに違いないという推測を行う際に、ミラーシステムが関与しているのではないかと考えられるのである。
 相手の心を読み取る能力を「心の理論(theory of mind)と呼ぶ。高度に発達した社会と文化を持つ人間の能力を考える上で、心の理論を支える脳のモジュールはきわめて重要な役割を担っていると考えられる。他人の心の状態と、自分の心の状態をあたかも鏡に映したように共通のプロセスで処理することによって、他者とのコミュニケーションを可能にしているのである。(『脳と創造性』p110・111)

 こう考えると、次のようなラマチャンドランの考えは、とても信憑性が出てくる。

 私は、ひょっとするとこのミラー・ニューロンが、人類の進化に重要な役割を果たしたのではないかと思っています。人類の特徴の一つは、私たちが文化と呼んでいるものです。文化は、親や教師をまねることに大きく依存していますが、まねるという複雑なスキルは、ミラー・ニューロンの関与を必要とするのではないかと考えられます。いまから五万年前あたりに、ミラー・ニューロンのシステムが十分に精巧になって、複雑な行為をまねる能力が爆発的な進化をとげ、それが私たち人類を特徴づけている、情報の文化的伝播につながったかも知れないと、私は思っています。(前掲書・p61・62)

 私たちは、ラマチャンドランの進化的な考察にも同感するが、もっと身近な問題にも適用できるような気がする。冒頭に述べた、「思いやり」とか「他者の気持ちを想像する」ということはまさしく、このミラー・ニューロンによると考えられる。私たちは、こうした脳内の神経細胞の働きによって、「思いやり」とか「他者の気持ちを想像する」という活動ができるようになっているということを知ることはとても複雑な気分にさせる。そこに、精神の崇高な作用があるのではなく、ただ脳の幾つかあるうちの一つの心的な脳内モジュールの作用を認めることになるからだ。

 そう考えると、たとえば「思いやり」とか「他人の心を理解する」ということがなかなかできなくなっている現代の子どもたちというのは、こうしたミラー・ニューロンの活動があまり活性化されていないということに起因しているのかも知れない。ラマチャンドランは、自閉症の子どもたちがミラー・ニューロンによるシステムに欠陥を持っているのではないと述べているが、今の子どもたちもまた、社会的・自然的環境の変化の中で、「ミラーシステム」が正常に働かなくなって来ているのかも知れない。

コメント (1)
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