佐々木俊尚さんの『グーグルGoogle 既存のビジネスを破壊する』(文春新書/2006.4.20)を読んだ。梅田望夫さんの『Web進化論』を読んでからこの本を読むと、とても理解しやすい。梅田さんが、いわばグーグルの存在論を書いているとすれば、佐々木さんはグーグルの機能と役割を詳しく書いている。もちろん、二人が書いていることはかなりの部分で重なっているが、梅田さんがグーグルの存在のブラスの側面を強調し、佐々木さんがどちらかというとグーグルの負の側面をより多く取り扱っているのが特徴だと言えないことはない。いずれにしてもインターネットという存在が、やがてグーグルのような企業を生み出し、そしてそのグーグル(必ずしもグーグルでなくてよいのだが)がインターネットを支配していくようになるという必然性のようなものがこの二つの書物から理解できる。
佐々木さんの本で、私が始めて知ったことがある。こんなことは、Webに詳しい人なら常識なのかも知れないが、グーグルの「アドワーズ」というビジネスモデルには更にモデルがあり、それがオーバーチュアの創設者のビル・グロスの発明した「キーワード広告」にあるということを教えて貰った。キーワード広告というのは、たとえば、ヤフーの検索サイトに行って、「雑誌」と入力してクリックしてみる。するとそのトップページの真ん中当たりに、「スポンサーサイト」という部分がある。「雑誌のオンライン書店はこちら!」という見出しと「雑誌ならヤフオクで」という見出しがある。これが、いわゆる「キーワード広告」というものである。そのほか、たとえば「教材」と入力してみる。こちらのほうは、「ディズニーの英語システム」などいくつかの見出しが出てくる。
グーグルは、このビル・グロスの「キーワード広告」をまねて、「アドワーズ」というシステムを開発した。今度は、グーグルを開いて、同じように「雑誌」や「教材」で検索し見るとよい。グーグルの場合は、右側にスポンサーサイトというのがあることが理解できる。佐々木さんは、グーグルが既存のビジネスを破壊していきながら、自分の新しいビジネスモデルを創りあげていくところを解明している。「キーワード広告」が素晴らしい効果を示して成功した「B&B羽田空港近隣パーキングサービス」の例を取り上げているが、この「キーワード広告」というのが脚光を浴び始めたのはインターネットで「検索エンジン」がとても重要な機能を果たすようになったきたからだと言う。
その変化が日本国内でも鮮やかに現れてきたのは、2002年ごろだったと思う。ネットレイティングスというインターネットの調査会社があり、ネットに関連するさまざまな調査を行っている。グーグルやヤフーなど主要な検索エンジンで使われた検索キーワードのランキングも調べているのだが、同社のこの年の調査結果に、「地図」や「アダルト」など従来からよく使われていた検索キーワードと並んで、「Yahoo!」「フジテレビ」「NHK」など、特定のホームページを表すキーワードが上位を占めたのである。
それまでの検索エンジンは、何かを調べたい人が情報収集のために使うというのが、最も普通の利用方法だった。ところがこの時期から、明らかに検索エンジンの使い方が変わってきた。つまり「情報収集」ではなく、検索エンジンを「ナビゲーション(道案内)」として使う人が急に増えてきたということなのだった。(『グーグル』文春新書・p96・97より)
この「検索エンジン」をナビゲーションとして使うということは、インターネットの世界に二つの機能をもたらす。ひとつは、既存のインターネットのビジネスモデルを破壊するような役割を果たすことになる。たとえば、楽天のようなモールは、楽天をポータルサイトとして使うことによって、より有効に機能する。しかし、「検索エンジン」でこのサイトに直接アクセスできるようになるということは、そうしたポータルサイトとしての機能を無効にすることを意味する。グーグルは、「グーグルニュース」という無料のサービスを提供しているが、ここへ行けば色々な新聞記事が分類され、記事ごとに調べられる。もう、誰も「朝日新聞」のサイトや「読売新聞」のサイトなどへ行かなくてもすむ。こちらでは、むしろ地方紙などが脚光を浴びたりすることになる。
もう一つの機能は、膨大なインターネットのサイト情報をデータベース化することにより、検索エンジンに乗らないサイトは、インターネットから存在していないことにされてしまう役割を果たすことになる。これを、「グーグル八分」というそうだ。つまり、グーグルに認められないと誰もそのサイトに行かなくなってしまうことになる。ある意味では、「検索エンジン」が全能の神のようになり、神に認められない限り、存在しないも同じだということになるわけだ。これに伴う、グーグルとのトラブルはかなり起きているらしい。中国政府と提携して、中国国内のグーグル検索エンジンではグーグルがある種の用語を検索できないようにしてしまったことは有名であり、そこではある種のサイトは存在しないと同じことになっているわけだ。
いま、アメリカでは、このグーグルに対抗してヤフーとマイクロソフトが「検索エンジン」の強化に乗りだしているという。検索エンジンを制するものが、インターネットの世界を制するというわけだ。佐々木さんは、グーグルが今後どうなっていくかわからないし、グーグルが成功するかしないかは不明だが、たとえグーグルが企業として失敗しても、その時は、ヤフーかあるいはマイクロソフトが、さらにはまた全く新しい企業かも知れないが、だれかが「検索エンジン」と膨大なデータベースによってインターネットの世界を支配してしまうような時代が今すぐそこに迫っていると警告しているように思う。
しかし、私は、インターネットはまた別の発展をしていくような気もする。孤立無援のHPが世界に存在を示すのは、「検索エンジン」に乗るか乗らないかだけではないと思われるからだ。たとえば、ブログのような存在やSNSのような存在は、インターネットの機能そのものを上手く働かせた存在でもある。トロット夫妻が開発したムーバブルタイプのブログでは、トラックバックとコメントという機能を通じて、リンクの輪を広げていくことができる。グーグルの検索エンジンは、「優れたHPから沢山リンクが張られたHPはいいHPだ」という論理だが、ブログは「私の選んだ友だちは本当の友達だ」という論理で成り立っているのだ。
もちろん、すべてがそうだとは言えないとしても、インターネットの基本は、「友だちの友だちは友だちだ」という論理でリンクが成り立っていく世界であることも確かだ。それは、本質的なところで、「検索エンジン」の論理と相反するものを持っている。最も単純な理由は、「検索エンジン」は最終的には機械的な処理であり、コンピュータにすべてまかせることになる。これに対して、ブログのトラックバックは、人間が自分で操作しなければならないのであり、そのことに意味がある。そういう意味では、私は、ブログが単なるWeb日記などを越えたWebサイトとしてインターネットでの重要な役割を果たすような時代がきているのだと思う。