電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

突然の中津川行き

2006-12-03 22:46:58 | 生活・文化

 土曜日は、午前中会社で会議があり、午後になってから家に向かった。帰りの電車は整備点検があるとかで少し遅れていたが、飯能には3時頃着いた。電車の中で、かみさんから何回か電話があったようだった。飯能に着いてから、電話した。義理の母が、お歳暮のお礼の電話をしたら、中津川の私の父が、具合が悪そうなことを言っていたので、すぐに見に行った方がいいと言っているというのだ。普段そんなことを言うような父ではないので、よほど具合が悪いのではないかと言う。これも何かの知らせかも知れないし、都合がつくのであれば家族3人で中津川へ行ったらどうかということになった。

 私は、家に歩いて帰る途中、中津川へ電話を入れた。ヘルパーさんが電話に出た。すぐに父と代わった。父の話では、三叉神経痛になったらしい。父の話では、医者から薬を貰って飲むようになって、やっと痛みが取れたところだという話だった。耳が遠くなった父の話は、どうも要領がえない。ヘルパーさんに代わったが、ヘルパーさんは、今のところは大丈夫だということだった。父からは、しきりに今年のお正月に帰ってくるかどうか聞いているようだとヘルパーさんが言っていた。私は、その話は検討してまた連絡すると伝えて欲しいとヘルパーさんに告げた。その時は、これから中津川へ向かうということは告げなかった。

 妻と電話連絡をして、塾に行っているこどもと相談して中津川に行けるように準備するように話す。そして、中津川の「ルートイン中津川インター」というホテルの予約をする。さすがに土曜日の夜の予約ということで、3人分というのは難しく、シングル二つで、一つは子どもと一生の止まれるようにエキストラルームをお願いした。4時頃電話をしたのだが、埼玉県を5時頃出るので中津川に着くのは、9時から10時の間だと連絡する。ホテルの担当は、10時過ぎるようだったら、連絡下さいと言った。

 家族3人で中津川へ行くことについては、一瞬迷った。お正月に言った方がいいのではないかとも思った。しかし、行けるときに行った方がいいし、父親がどうなっているのか不明な今が一番いいときだと、妻と話し合い、中津川に行くことになった。妻が塾に出かけていき子どもに尋ねたら、一緒に中津川に行きたいと言ったようで、家族3人での中津川行きを決行した。すぐに中津川に電話をしたら、誰も電話に出なかった。そうこうしているうちに、妻と子どもが日高の実家から帰ってきた。取りあえず、途中で父には電話することにする。

 家の戸締まりなどをして、飯能の自宅を出たのは丁度5時だった。中津川に行くときは、実家では泊まる準備ができていないので、どうしてもホテルの止まることになる。その方が、妻も子どもも気が楽なようだ。特に今回は、中津川に着くのが夜遅くなりそうなので、ホテルの方が便利である。すぐ出発ということで、一晩の着替えと多少の食べ物、飲み物を持って急いで家を出た。電話をしたら、父親が出た。多少元気な声だった。明日の朝中津川へ行くと告げる。びっくりしたような声だったが、わかったらしく待っていると言った。

 運転は妻で、八王子までは、1時間程かけて裏道を抜けていった。八王子から中央自動車道に入る。八王子は通過したのは、丁度6時だった。息子は高速道路に入ると眠ってしまったので、そのまま走り続ける。韮崎の近くで息子が起きたので、諏訪湖サービスエリアにより、レストランで夕食を取る。諏訪湖を出たのが丁度8時15分くらいだった。途中でホテルに電話を入れた。中津川のホテルに着いたのは、9時半だった。途中で、トイレ休憩などをとったり、お茶を飲んだりするので、どうしてもそのくらいかかる。片道300キロ強の距離になる。ホテルに着いたら、すぐに風呂に入った。このホテルはビジネスホテルではあるが、個室ごとのバスルームとは別に大浴場があり、空いているとゆったりと風呂に入れるのがいい。他に誰も入っていなくて、子どもと二人ゆったりと風呂につかることができた。テレビを見たり、本を読んだりして、11時半くらいまで起きていた。

 翌日、ひげ剃り機を忘れたので、ホテル備え付けのひげ剃りを使ったが、案の定、唇を切ってしまった。私は、いつもカミソリでひげを剃ると必ずと言っていい程唇を切ってしまう。今回は、少し大きく切ってしまい、血が止まらなくて困った。特に、バイアスピリンを飲んでいるので、血が止まりにくい。結局、唇に大きな絆創膏をつけることになり、とてもみっともないことになってしまった。朝ご飯を食べるときに食べにくくて困った。9時頃、中津川の実家についたが、誰も私の唇の傷のことなど気にしていなかったようだ。

 父はとても喜んでくれた。その顔を見ていて、来てよかったと思った。義理の母と妻に心から感謝した。父を連れて、なくなった母親の墓参りをすませ、中津川の駅の近くのアピタにより、父が必要な買い物に付き合う。腰の曲がった父を連れて、アピタの中を少し歩いた。父と一緒に歩きながら、一人で生きている父に圧倒された。私だったら、多分一人でとても生きていけないのではないかと思った。さしあたり必要な食料や調味料などを買いそろえ、父がどうしても食べたいというので、今日の昼と夜の食事用に寿司を買った。夕方、ヘルパーさんが来るというので安心した。

 父の話では、1週間程前から、食事の時右の歯がとても痛くなり、歯医者に行ったそうだ。その時は、入れ歯のせいではないかということで、歯医者で入れ歯をしっかり固定できるようにして貰ったりしたのだが、どうしても痛みが取れなくて、3日前に中津川市民病院に行って三叉神経痛だと診断されたという。そして、薬を処方して貰い、それを飲んでやっと痛みが少なくなったという。しかし、時々はまだ痛むそうだ。次回は12月11日に診察して貰うことになっているとのことだ。父は、この薬でかなりよくなったと言う。しかし、完全に直ったわけではなさそうだ。

 取り急ぎ、父と一緒に家に戻り、昼飯を食べ、隣のいとこのところに挨拶に行ったり、弟のところに電話したりして、寂しそうな顔をする父を残して中津川を去った。父は、泣き出しそうな顔をしたが、元気よくまた来てくれと行って手を振ってくれた。風のようにやってきて風のように去ってきたわけだが、あまりゆったりしていると、時間的にも、精神的にも帰れなくなりそうな気がした。飯能に戻ってから、三叉神経痛について色々調べてみたが、この病気もかなりやっかいな病気だと思った。一人で痛みにのたうち回っていた父を想像して、とても溜まらない気持ちになった。弟たちとできるだけ連絡取り合うようにしたいと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする