電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『功名が辻』が終わる

2006-12-10 22:41:09 | 文芸・TV・映画

 戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、ついに土佐20万石の大名になってその生涯を遂げた山内一豊とその妻千代の生涯の物語が、今日で終わった。大体において、NHKの大河ドラマは、一人の歴史上の人物の一生を1年間で描くという仕掛けになっているので、毎年この時期になるとそうした物語の最終回となり、主人公の最後の場面になる。自分の年が、もうすぐ山内一豊の死んだ60歳に近くなるということが頭にあるせいか、今回の最後の場面になると何となく考えさせられてしまった。彼は、最後は大名にはなったのだが、それは幸せな人生だったのだろうか。彼は、多くの戦場での危機を乗り越えて大名になった。しかし、最後は病には負けて、60歳で死んだ。

 大河ドラマのナレーションでは、彼らが死んだ後、彼らの思いとは別に、戦がなくなったわけではなく、今も続いていると言うことを訴えていた。しかし、一豊と千代は、徳川の時代になって、平和の時代、戦いのなくなった時代が来たこと信じて、死んでいったに違いない。徳川の代の終わりに、日本の新しい時代のために活躍した、山内容堂と坂本龍馬のことを思うと、不思議な気がする。土佐の国藩は、徳川時代の初めと終わりにそれなりの役割を果たすべく運命づけられていたのかも知れない。しかし、人の一生を時代の中で位置づけると、時代の転機を担った人と、全くそうでない人に分かれてしまう。

 NHKの『プロジェクトX』は、ほとんど時代の象徴になれそうにない人たちを、時代を象徴する仕事を通じて描いてみた物語だった。彼らは、決して山内一豊のようには取り上げられない人たちだ。そした、本来なら、その他大勢で片づけられるべき人たちだった。しかし、一つの時代を象徴する仕事が、あるいは彼らが作り出した商品が、時代を象徴することによって、彼らは時代の表面に現れてきた。これは、おそらく、現代の産物だと思う。現代は、まさしく、そうした個人を個性ある人物として描かざるをえなくなった時代なのだ。これが、山内一豊の時代と、私たちの時代との決定的な違いだと思う。

 昨日、NHKの総合テレビの7時30分から10時30分までの一般参加者も含めてインターネットの将来を考える討論番組『日本の、これから』を観た。結論は何となくわかっていた。そして、まさしくそういう結論に落ち着いた番組だったと思う。一般参加者も含めて、みなかなりインターネットを活用している人たちが話していたように思う。現在のインターネットの光と陰の部分をどうするかということは大変難しいことだと思う。最終的には、国で規制するかどうかと言うところに行く可能性があり、現にここでの話も、NHKのストーリーとしては、そうなっているようだった。実際に、世界という観点から見れば、既に必要ならば国は規制しているし、監視もしている。

 この点からだけ述べれば、大切なことは、インターネットを安全で、信頼できるものとして使いたい人たちをどう保護するかと言うことだと思う。規制ではなく、どうサポートするかだと思う。プロバイダーは、そうする社会的責任があると思う。つまり、私たちは、ある意味では、自分の選んだプロバイダーに自分のプライバシーを預けているのであって、それはプロバイダーが自分でするべきだと思う。そして、そのプロバイダーが、会員の中で犯罪を起こしているものがいるのであれば、適切に排除できるような仕組みを持つべきだと思う。それを警察や国家がやるのではなく、プロバイダーがやるべきだと思う。

 「インターネットには、光と陰がある」というのは、昔から言われてきたことだし、これからも言われることだと思う。しかし、それは単に、社会では、良いことも起きれば、悪いことも起きるものだと言っているに過ぎない。便利だと言うことだけで、安易に使ってはならないということ以上のことを言っているわけではない。私たちは、既にインターネットの便利さと個別性に囚われてしまっている。私たちがインターネットの時代になって、どのような時代に直面しているか考えるべきだと思う。もし、「日本の、これから」ということを考えるのならば、私たちは、おそらく、『プロジェクトX』の時代をも超えて、インターネットを通じて、個が露出し始めた時代ということが重要なことだと思う。

 「個人情報の保護」ということが重要な課題になったと言うことは、ある意味では、インターネットの特色を映す鏡のようなものだ。インターネットは、その構造上、限りなく「個人情報」を露出していく性格を持っている。何かをネットに載せるということは、不特定多数にその情報をさらすということを意味しているのであって、文字通り、世界中にその情報をさらすことを意味している。山内一豊は作家によって、個性を晒され、『プロジェクトX』の登場人物たちは、NHKによってその個性を晒された。しかし、インターネットの時代は、匿名掲示板などを等して、個性を晒されているだけではなく、自分でブログを書いたり、HPを開くことによって、自ら個性を晒しているのである。

 だから、私たちは、インターネットの時代になって、初めて自分自らの行為が自分の個性を晒すことになるという自体に直面したのだと自覚すべきだと思う。そして、そのことは否応もなく、他人を巻き込んでいくことである。あるいは、他人に巻き込まれていくがゆえに、情報の露出に巻き込まれていくことでもある。『功名が辻』という言葉は巧みな言葉だ。インターネットの世界で、発信するということは、好むと好まざるに関わらず、『功名が辻』に自分の身をさらすことでもあるのだ。そのことが、戦国の世と、現代の違いとなってあらわれてきているのかも知れないと、思った。

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