電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

民主党のマニフェストと八ッ場ダム

2009-10-04 22:15:55 | 政治・経済・社会

 マニフェストとは、一応「政権公約」ということだ。つまり、民主党が選挙で勝ち、政権を取ったら必ずやるという政策のことだ。そして、民主党が政権を取り、今、あちこちでそのマニフェストの実現に向けて、様々な施策を実施しようとして、いろいろな抵抗に出会っている。最も華々しいのは、前原国交相が取り組んでいる八ッ場ダム(やんばダム)の建設中止である。関係する1都4県の地方自治体の長は、大体において、民主党の政策に反対のようである。彼らは、自民党の支援の下で、このダム建設に取り組んできたのだから、当然の反対ではある。

 前原国交相の対応やマスコミの対応についての産経新聞の「【政治部デスクの斜め書き】前原氏は「悪人」になるべきだ」という記事は、なかなか面白かった。
確かに、「中止」か「続行」かどちらかしかない。もう工事着工から40年以上もかかっている。大体において、10年以上かかるような公共工事は、やめるか、10年たった時点で見直しをすべきだと思う。特に、現代社会では、10年以上経つと環境はかなり変わっているはずだ。そして、10年以上も解決できないことは、たとえ解決できたとしても、おそらく地元の住民にとって傷の方が大きくなるのではないだろうか。

 前原国交相が「悪人」になるべきかどうかは、別として、中止するならば、徹底して中止してしまった方がよい。後は、地域住民に対する補償だけはしっかりやっておくしかない。ある意味では、先の政治部デスクの言うように、日本のこれまでの政治家の姿勢から見れば、「悪人」のように見えるかもしれないが、そんなことを気にすべきではないと思う。もちろん、一方では、中止した場合の損失がどのくらいになり、どんな効果があるか正確に発表すべきだ。完成予定の2015年までにあとどのくらい費用がかかり、どんな効果があるかを計算するより簡単だと思う。

 そんなことを考えながら、コカ・コーラ東海クラシックの最終日の模様をテレビで見ていたら、本当に鳥肌が立つような場面に出会った。18歳石川遼の18番第2打のスーパーショットである。テレビの解説に来ていた岡本綾子がうなっていた。多分、観客たちは、石川遼のゴルフに感情移入し、後半の劇的な展開を堪能したに違いない。少なくとも、私は、ボギーをたたき一歩後退した16番から、17番、そして最終ホールへと続くプレイを見ていて、とても高揚した気持ちになった。そして、これは絶対に石川遼が勝つだろうという確信までもてた。そう思わせる石川遼のプレイだった。

 私たちが願い、そしてその期待を見事に実現して見せた石川遼は、確実にスターとしての資格を持ったのだ。彼は、奇跡を起こすことができるのだ。そのことは、一緒に回っていた池田勇太と梶川剛奨を見ていて、よく分かる。二人の姿と石川遼の姿は、はっきり違っていて、石川遼の姿から確かにオーラが出ていた。私には、そう感じられた。14番で2つ目のダブルボギーをたたき、観客から落胆のため息が出る中で、石川遼自体は、「優勝がなくなったとは全く思わなかった」という。まさに、最後まで可能性があるという気迫が石川遼から漂っていた。それがスーパースターが持つオーラなのだ。昔、尾崎将司がそんなオーラを身に付けていた。

 何日か前に石川遼と鳩山由紀夫を比べながら書いた記憶があるが、奇しくも今回も、石川遼と前原誠司とを比べてしまった。八ッ場ダムの建設現場の住民たちに説明に出かけて、住民たちに会えずに帰って来たところは、石川遼で言えば16番でボギーをたたいたホールだ。後は、誰が何と言おうと、自分が決めたことを実行し、そしてその上で、犠牲になった住民たちを救う道を見つけることである。そうすることによって、多分前原誠司を国民は信頼するに違いない。それ以外に、前原国交相の着地点は残されていないと思われる。そして、おそらく、民主党への国民の信頼もそこにかかっているような気がする。

コメント
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