電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「普天間 私も考えた」

2010-05-04 21:46:41 | 政治・経済・社会

 朝日新聞の5月4日の朝刊社会面に「普天間 私も考えた」という記事が載っていた。5月3日に「護憲パレード」「改憲集会」「銀座の街頭」で聞いた声だ。当然予想される意見が書かれている。「護憲パレード」での意見は、「他の県に移っても問題解決にはならない。フィリピンのように日本も米軍基地をなくすべきだ。基地がなければ攻撃されることもないはずだ」。一方、「改憲集会」での意見は、「ぼくなら米軍に出て行ってもらうよ。そのかわり憲法を改正して、自衛隊を軍にして任務を担わせる。当たり前だ」という。どちらも、沖縄基地撤去という考えでは一緒だ。

 これに対して、広島から銀座に旅行に来たという50代後半の夫婦の考えは、「自民党時代の辺野古案は、異なる意見を煮詰めたものだった。その意味ではベストだったのかも」というものだ。この夫婦は、夫が、「国内に移設すると必ず反対が起きる。国外に行くべきだ」というと、妻が「米軍がいなくなったら、日本を守るものがなくなる。現実的ではない」という。面白いのは、その妻が、「できもしないことを言って沖縄に期待を持たせた民主党の罪は重い。前回の衆院選で1票入れた自分の責任を感じる」と述べていることだ。

 今日、沖縄に行った鳩山首相が、沖縄県民から総スカンを喰らったのはあまりにも当然である。「最低でも県外」と発言していた鳩山首相が、「県外移設は困難」と沖縄県民に伝え、「認識が浅かった」とお詫びしたのだ。読売新聞の報道によれば、移設先について「最低でも県外」と発言したことについて、「公約というのは選挙時の党の考えということになる。私自身の代表としての発言だ」と述べ、「最低でも県外」というのは党の公約ではないとの考えを示したという。確かに、民主党のマニフェストの中には、「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」という言葉はあっても、「基地の県外移設」という言葉はない。それにしても、これには、さすがに私も「えっ」と絶句してしまった。

 最も、民主党のマニフェストについて言えば、アメリカの方で、実は、よく理解できていないようなのだ。つまり、そのくらい、何を言っているのかよく分からない表現なのだ。もちろん、私は読んでもよく分からなかった。毎日新聞社の古森義久著『アメリカが日本を捨てるとき』(PHP新書/2010.4.30)によれば、アメリカの対日政策に携わっている高官たちが、この民主党のマニフェストを読んで、困惑していたそうだ。そして、鳩山首相の「東アジア共同体を目指してのアジア集団安保体制」論に、疑惑を抱いているようだ。その上、「対等な日米同盟」という言葉を聞けば、なおさらだ。

 私たちは、この鳩山首相振る舞いに気を取られていてはいけない。本当は、私たちは、今、沖縄の普天間基地をどうするかをめぐって、とても重要な問題に突き当たっているのだ。過去のではなく、今の「戦争と平和」について私たちは、どういう立場を取ればいいかということが今問われていると言ってもよい。そして、その中で、日本とアメリカとの関係は、どうあらねばならないかということが問われているのだ。アメリカは、沖縄の基地問題が紛糾してくる中で、今、やっと、日本の位置づけを渋々ながら本格的に考え始めたところだと言える。オバマ大統領やクリントン国務長官の言動から考えると、最近のアメリカにとって今いちばん大事な問題は、対中政策であり、日本の問題などあまり重要視していなかったと言った方がよい。

 先に引用した朝日新聞の護憲派、改憲派、そして市民の夫婦の言葉のいずれも私たちのとる立場ではないと思う。私たちは、それとはちがう、新しい立場を見つけなければならない。なぜなら、それらは、いずれも、現実的ではなく、また、日本のため(国益)にもはならないからだ。日本という国は、アメリカと中国という大国に挟まれて存在している。アメリカと中国という国の間でどう生きていくのかということが、これからの日本の大きな課題だと思われる。沖縄の普天間基地を撤去すると言うことは、本当は、日米安保条約の改定ということを含んだ問題だ。そして、今や日米安保条約については、中国の存在を抜きにしては語れないし、語っても意味がない。

 今、中国では、奇しくも、上海万博が始まったばかりだ。そして、その中国を北朝鮮の金正日総書記が訪れていた。足を引きずりながら歩く金正日総書記の姿が、テレビで報道されていた。そして、その映像と一緒に、私たちは沖縄県民の前で無様な姿をさらした鳩山首相の映像を見せつけられた。一方では、連休中の帰省から帰りの高速道路の渋滞が気の遠くなるような長さになっているかと思えば、他方では、上海万博には、1日20万人以上の入場者があり、日本館にも沢山の人たちが押しかけている。

 沖縄の普天間基地問題は、当分は、解決してはいけないのだ。というより、そう簡単に解決などできるはずがない。ある意味では、憲法など関係ないといっても良い。私たちは、日本にアメリカ軍の基地があることにこれまでならされてきた。それが、本当に役に立っていたのかなど考えてこなかったのではないか。私たちは、「戦争の解決の手段として軍隊に依存しない」という憲法を持っていながら、戦争を解決する手段について、本当に考えてきただろうか。私たち日本人は、アメリカの「核の傘」の下で、平和ぼけしながら、経済的な成功を実現してきただけではないだろうか。そのほかに、私たちは、何をしてきただろうか。何もしてこなかった。しかし、これからは、何ができるかを考えるべきだ。これまで築いてきた経済的な成功さえ今や危うくなってきた今こそ、私たちが本当にできることは何かをじっくりと考えて見るべき時だと思う。それしか、方法はない。そして、もし、それが分かったら、それこそが、基地に代わる何かになるのだと考えるしかないと思われる。

コメント (1)
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