電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

日本の円高の意味

2011-08-09 22:15:25 | 政治・経済・社会

 またもや、世界経済は、ドル安の中、失速しつつある。今日は、日銀の介入にも関わらず、ついに円は76円台になってしまった。アメリカの国債の格付けは、アメリカの経済の状況を反映したものだ。そして、このアメリカの国債のいちばんの保有国が中国であり、二番目が日本である。そして、二つの国だけでアメリカ国債の全体の半分近くになる。その上、日本国家は、アメリカに匹敵するくらいの借金を抱えている。そして、この日本の国債は、90%以上は、日本の金融機関が持っている。要するに、日本の金融機関は、自分たちの資産運用は、ほとんど日本とアメリカの国債に依存していると言うことでもある。アメリカか日本かどちらかの国債がデフォルトにならなくても、暴落するだけで、おそらく、すぐに日本のすべての金融機関は破綻するに違いない。

 ところが、不思議なことに、今は、円高で、円が買われ続けている。先週、日銀が介入して、一時1ドルが80円近くになったが、現在はまた、1ドルが76円代まで上がっている。日銀の介入がほとんど働いていない。同志社大学の浜矩子教授が、日本円は将来50円位になる可能性があると言っていたが、ひょっとしたら、現実になるかもしれない。私たちは、むしろ、そうなることを想定して、対策を講ずべきかもしれない。その昔、円は1ドル=360円だった。それが、今では、1ドル=76円の時代になっている。1ドルが本当はいくらであるべきかという基準などない。アメリカの経済と日本の経済の相対的な動きがその価格を決めているだけに過ぎない。

 さて、野田佳彦財務相は9日午前の参院財政金融委員会で、民主党の中谷智司氏に対する答弁として、円高の影響について「輸入価格の低下による企業収益の増加要因、購買力増加につながるメリットがある一方で、外需の減少や設備投資、雇用の停滞、企業の海外移転などを通じ経済成長の下押し要因になる」と指摘したそうだ。そして、「昨今のマーケット動向は明らかに一方的な円高の動きに偏っている。日本経済や金融の安定に悪影響を及ぼすという観点から、介入を実施した」と説明した。ここを見る限り、野田さんは、円高のメリットとデメリットを勘案しても、結局は、円高は経済成長を押し下げるものであり、今は、一方的な円高の動きになっていると言っているように思われる。

 特に、現在、東北大震災の影響による電気エネルギー不足の問題もあり、円高が進むことによって、より生産拠点の海外移転が進むものと見られている。ところで、その生産を海外に移転することは、国内産業の空洞化をもたらす原因となり、日本経済にマイナスになると言われている。しかし、日本の農業人口の減少と同じで、工業生産そのものも、どんどん海外に移転していて、日本の工業生産に従事する人数もどんどん減少している。そして、日本の主な産業は、第3次産業に移りつつある。そのことは、本当は、よいとか悪いとか言う問題ではなく、先進国の必然であるように思われる。そして、多分、円は、1ドル=50円、1ユーロ=100円という時代がきっと来ると覚悟した方がよい。

 つまり、これからは、本当はデフレで、円高で、コストで勝負している製造業はほとんど海外に移転しているという日本の経済の状況を前提として、物事を考えた方がいい。それは困ると考えてみても仕方がない。デルやアップルは、ハードメーカーでもあるが、今のところは、アメリカ国内では、何も製造していない。彼らは、多分、アメリカでの雇用の創造には寄与していないが、税収には寄与しているはずである。むしろ、デフレで、円高で、高齢者社会で、しかも輸出産業は海外に移転したほうがよいという状況の中で、どんな雇用が可能で、どんな経済が可能かを考えるべきだと思う。

 これからの経済は、量的な経済発展ではなく、経済の質的な転換が必要だと思う。例えば、GDPについて、日本は既に中国に抜かれて3位になった。遠からずインドやブラジルに抜かれる日が来るに違いない。それは、人口が多い国だから当たり前だ。問題は、1人当たりGDPでも、日本は過去の栄光はないと言うことだ。私たちは、高度経済成長の時代、輸出立国を合い言葉に、安くて質のよいものを作って、アメリカで売るというのが、一つの理想であった。そして、ある時期まで、その理想は日本の経済を引っ張ってくれた。今では、それは、韓国や中国やインドに取って代わられている。

 もしそうなら、今の日本は、安くて質のよいものなどもう作れなくなっていると考えた方がよい。むしろ、高いけれど質がよいものを作って売ると考えるべきだと思う。日本の農業問題は、むしろその典型だと思う。日本の不幸は、海外と言ったときにそれは、日本の外だということになってしまうことだ。華僑やユダヤ人ではないが、世界中に日本があると思うしかない。そういう時代なのだ。極端なことを言えば、日本の大学生は、日本の中で就職しなければならないと思っているところに既に問題があるのだ。食料生産だって同じである。日本は海外でも日本の農業をすると考えるべきだ。そう考えたとき、円高は、本当は、日本に有利ではないだろうか。

 日本は、3.11以降、もう過去には戻れない。東日本大震災の結果、日本のこれまでの政治・経済の在り方根本的に問われているが、日本の政治は、民主党と自民党と公明党の妥協の産物として管内閣の退陣と引き替えに、たった3つの法案を通すことしかできないでいる。エネルギーの問題、経済の問題、TPPと食料生産の問題、少子高齢化問題など、私たちは、今、大きな岐路に立っているように見える。しかし、本当は、岐路なんかではない。地球を外から眺めて見れば、国境など存在していない。国境とは、人々の幻想のなかにある何かである。私たちは、いま、現実の地形から溶け出して、不可思議に変形している国境の枠の中にとらわれているが、それがいま崩れつつある。日本の不幸は、多分、他の国から海で隔てられていて、あたかも、地形と国家が同じように見えることかもしれない。しかし、私たちの抱えている問題は、国境の枠内で考えていたら、永遠に解決できない問題だと思う。それが、3.11に世界中の人たちが注目したということの本当の意味だと思う。

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