永田和宏と彼の妻・河野裕子は、2人とも皇居の正殿松の間出行われる歌会始の選者だった。残念ながら、河野裕子は、平成22年に癌でなくなった。永田和宏は、定家にならったわけではないだろうが、それぞれ秀歌100首を集め、『近代秀歌』と『現代秀歌』(ともに岩波新書)つくった。とても、興味深く読んだ。
その『現代秀歌』の中に、皇后美智子の作品として下記の歌が取られていた。
この歌は昭和34年につくられたものであり、永田によれば結婚直後の東宮御所の散歩の折につくられたもののようである。彼は「共に住んでまだ日が浅く、庭のひとつひとつの樹々や草花を、先輩である皇太子が教えながら歩かれたのであろう」と解説していた。そして、次のように評している。
この歌を読んだとき、私は軽い衝撃を受けた。この歌は、結婚後30年を経た時点で詠まれた歌である。そういえば、私は結婚が遅かったので、丁度現在、結婚後30年を経たところである。私と違って美智子皇后は国家的な決定の中にあったわけであり、「片への道」はまったくいまの道とは違っていたはずである。しかし、彼女もまた、私たちと同様に、多分、30年を経て複雑な思いも抱いていたに違いないのだ。
さて、そんな美智子皇后の相手の平成天皇とは、昭和の天皇とは違って生まれながらにして象徴として日本国憲法と皇室典範に縛られた「象徴」としての存在だった。そして、「象徴」がどうあるべきかは憲法には書かれていない。もちろん、天皇がしなければならない国家行事と役目は決まっている。しかし、「象徴」とな何かについては、何も決まっていない。
こうした天皇の「象徴」としての行為は、自覚的おこなわれたものであり、そのことは天皇が自ら述べている。
私は、日本の伝統的な制度としての天皇制はいつかなくなると思っている。しかし、そのときは、日本国憲法の改定のときになる。今のところ、女性天皇の是非が論じられている程度だ。こちらは、憲法ではなく皇室典範の改定になる。エマニュエル・トッドが言っているように、同じ立憲君主制の国でも、イギリスは男女同権であるが、日本は家父長制を採用している。いずれにしても、「象徴」は「人間」でもあるけれども、基本的人権があるわけではない。彼らは国民でもない。しかし、現在のところ、どんな国会議員より、日本のことを考え、戦争を始めてとして、さまざまな人災・天災の都度、心を痛め、必死に祈ってくれているのが、平成天皇と皇后であったことだけは覚えておくべきだ。
その『現代秀歌』の中に、皇后美智子の作品として下記の歌が取られていた。
・てのひらに君のせましし桑の実のその一粒の重みのありて
この歌は昭和34年につくられたものであり、永田によれば結婚直後の東宮御所の散歩の折につくられたもののようである。彼は「共に住んでまだ日が浅く、庭のひとつひとつの樹々や草花を、先輩である皇太子が教えながら歩かれたのであろう」と解説していた。そして、次のように評している。
<「桑の実のその一粒の重みのありて」という第三句以降に初々しい喜びが感じられる。「君」が手ずから載せてくれた一粒だからこそ感じられる重みなのであり、その重みには「君」の愛情の重みもまた同時に感じられたのであろう。そしてまた、その一粒の重みには、これから皇太子妃、そして皇后として自らが担うことになるであろう特別の人生が、重みとして確かに予感されていたはずである。>(『現代秀歌』p14)
その解説の後に、参考として、次の歌が掲載されていた。
その解説の後に、参考として、次の歌が掲載されていた。
・かの時に我がとらざりし分去れ(わかされ)の片への道はいずこ行きけむ
この歌を読んだとき、私は軽い衝撃を受けた。この歌は、結婚後30年を経た時点で詠まれた歌である。そういえば、私は結婚が遅かったので、丁度現在、結婚後30年を経たところである。私と違って美智子皇后は国家的な決定の中にあったわけであり、「片への道」はまったくいまの道とは違っていたはずである。しかし、彼女もまた、私たちと同様に、多分、30年を経て複雑な思いも抱いていたに違いないのだ。
さて、そんな美智子皇后の相手の平成天皇とは、昭和の天皇とは違って生まれながらにして象徴として日本国憲法と皇室典範に縛られた「象徴」としての存在だった。そして、「象徴」がどうあるべきかは憲法には書かれていない。もちろん、天皇がしなければならない国家行事と役目は決まっている。しかし、「象徴」とな何かについては、何も決まっていない。
<それでは<象徴>とは何か。日本国憲法の第一章第一条は、
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
と天皇について規定している。私は以前から、これほど大切で、かつこれほど無責任な規定はないのではないかと思ってきた。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と繰り返される「象徴」。しかし、「象徴」とは何か、どうすれば「象徴」たりうるのか、憲法の条文はいっさい何も語らない。これではあたかも「象徴とは何か」は、その地位についた天皇ご自身でお考えください丸投げしているようなものではないか。
平成の天皇は、その即位のときから、「象徴とは何か」、その誰も答を持たない難問に正面から向き合い、自らの問題として一貫して考えて来られたのだと思う。それが平成時代であり、平成の天皇の歩まれた道であった。>(『象徴のうた』p262・263)
永田和宏著『象徴のうた』は、まさしくその問に全力で取り組まれた平成天皇と皇后の心が描かれている。もちろん、それなりの教養をつけられている皇室関係者であるから、皆、それなりのうたを詠うことができる。しかし、天皇や皇后のうたからは、それ以上のものが溢れていると思われた。ひとりの「人間」でありながら、しかし「象徴」であることの真摯な姿が、詠われているのだ。永田和宏は、それを「国民と共にある、国民に寄り添う」と言っている。
・贈られしひまわりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に
これは、平成31年、平成の天皇皇后両陛下が出席された最後の歌会始で詠われた天皇のうたである。このひまわりとは、「はるかのひまわり」と呼ばれるものである。
<この震災(阪神・淡路)で犠牲になった当時小学校六年生の加藤はるかさんの自宅跡地に、その夏、ひまわりが花をつけた。はるかさんが隣家のオウムに餌として与えていた種が自然に芽をだしたようだ。
人々はそれを復興のシンボルにすべく、種を全国に配り、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになったのである。両陛下は、その種を蒔き、花が咲くと、そこから種を採り、毎年皇居の庭で育てて来られたのだ。>(『象徴のうた』p258・259)
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
と天皇について規定している。私は以前から、これほど大切で、かつこれほど無責任な規定はないのではないかと思ってきた。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と繰り返される「象徴」。しかし、「象徴」とは何か、どうすれば「象徴」たりうるのか、憲法の条文はいっさい何も語らない。これではあたかも「象徴とは何か」は、その地位についた天皇ご自身でお考えください丸投げしているようなものではないか。
平成の天皇は、その即位のときから、「象徴とは何か」、その誰も答を持たない難問に正面から向き合い、自らの問題として一貫して考えて来られたのだと思う。それが平成時代であり、平成の天皇の歩まれた道であった。>(『象徴のうた』p262・263)
永田和宏著『象徴のうた』は、まさしくその問に全力で取り組まれた平成天皇と皇后の心が描かれている。もちろん、それなりの教養をつけられている皇室関係者であるから、皆、それなりのうたを詠うことができる。しかし、天皇や皇后のうたからは、それ以上のものが溢れていると思われた。ひとりの「人間」でありながら、しかし「象徴」であることの真摯な姿が、詠われているのだ。永田和宏は、それを「国民と共にある、国民に寄り添う」と言っている。
・贈られしひまわりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に
これは、平成31年、平成の天皇皇后両陛下が出席された最後の歌会始で詠われた天皇のうたである。このひまわりとは、「はるかのひまわり」と呼ばれるものである。
<この震災(阪神・淡路)で犠牲になった当時小学校六年生の加藤はるかさんの自宅跡地に、その夏、ひまわりが花をつけた。はるかさんが隣家のオウムに餌として与えていた種が自然に芽をだしたようだ。
人々はそれを復興のシンボルにすべく、種を全国に配り、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになったのである。両陛下は、その種を蒔き、花が咲くと、そこから種を採り、毎年皇居の庭で育てて来られたのだ。>(『象徴のうた』p258・259)
こうした天皇の「象徴」としての行為は、自覚的おこなわれたものであり、そのことは天皇が自ら述べている。
<私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間かん私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。>(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(平成28年8月8日)宮内庁>
私は、日本の伝統的な制度としての天皇制はいつかなくなると思っている。しかし、そのときは、日本国憲法の改定のときになる。今のところ、女性天皇の是非が論じられている程度だ。こちらは、憲法ではなく皇室典範の改定になる。エマニュエル・トッドが言っているように、同じ立憲君主制の国でも、イギリスは男女同権であるが、日本は家父長制を採用している。いずれにしても、「象徴」は「人間」でもあるけれども、基本的人権があるわけではない。彼らは国民でもない。しかし、現在のところ、どんな国会議員より、日本のことを考え、戦争を始めてとして、さまざまな人災・天災の都度、心を痛め、必死に祈ってくれているのが、平成天皇と皇后であったことだけは覚えておくべきだ。