電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

学力の2極化

2006-09-17 22:03:01 | 子ども・教育

 先日、下町の小学校の教員をしている友人と神楽坂で酒を飲んだ。年に2回程、冬と夏に美味しいものを食べながら、時代のあれこれについて話し合う友人だ。彼は、江戸っ子で下町の小料理屋に詳しく、田舎から出て来た私を連れて、美味しい食べ物やお酒を飲みに連れて行ってくれる。私と同じ年なので、彼も団塊の世代だが、生涯現役という思想の下、彼は管理職にならず、担任として子どもたちに接している。彼から聞いたところによると、彼のクラスの子どもたちのうち私立中学へ行くのは数名だけだが、それでも「できる子ども」と「できない子ども」の差は大きく、子どもたちの学力は2極化しているという。

 このことは、志水宏吉著『学力を育てる』(岩波新書/2005.11.18)にも触れられていた。志水さんによれば今の学校現場では、目に見える学力をテスト等で計ると、その成績は正規分布曲線を描くのではなく、「二こぶラクダ」の形状を描くという。いわゆる「できる子」と「できない子」への分極化傾向が見られるというわけだ。そして、志水さんは、PISA型の調査からも、全体としての学力の低下よりも、こうした学力の2極化の方が重大な問題であり、「問題なのは、子どもたちの全般的な学力の低下ではなく、『できない』層へのした支えがきかなくなってきていることである」と述べている。

 そして、こうした2極化の一番大きな要因は、家庭環境だと言っている。「できる」層に属する子どもたちは、恵まれた、安定した家庭生活をおくっており、そうでないグループは「できない」層に集まってくる傾向があるという。志水さんは、これを「家庭の文化的環境の差」というように言っている。私の友人も、全く同じことを言っていた。そして、彼は問題なのは、昔の親だったら、自分たちがダメな親だったら、「せめて子どもだけはしっかり勉強させていい学校へ行かせよう」と考えていたのに、いまの親たちは、「どうせ私たちの子どもだからダメなのよ」というあきらめのようなものがあると言う。

 今の親たちは、自分がダメなのは、社会のせいだとは考えないのだろうか。自分にやっぱり能力がなかったからだとすぐに諦めてしまうのだろうか。昔は、もっと、格差があったような気がする。私の子どものころも、塾などもあったが、行けること行けない子ははっきりしていた。私の家も貧しくて、それでも、両親は、勉強することを奨励していた。親たちは貧しさに対して怒っており、子どもたちにも貧しさに耐えることことを強いていたが、「勉強すればもっと高い地位を得ることができる」とか「努力すればもっと豊かになれる」と言っていたように思う。そして、私も幼心に、いま好きなことができなくても、勉強さえしっかりしていれば、やがてそれも可能になると信じていた。

 今教育の世界で「自尊感情」の低下というように言われていることはおそらくこうしたことがらを指しているのだろう。それは、子どもだけに欠如しているのではなく、既に親にも欠如しているらしいのだ。こうした考え方が生まれて来るには、それなりの社会的な背景がありそうだ。高度経済成長が終了し、バブルの崩壊以降経済が停滞していた頃、努力したからといって必ずしもいい結果になるわけではない、また、いい学校を出ていい会社に就職しても必ずしも幸せになれるわけではない、という現実を突きつけられて、人々は必ずしも勉強や努力を大切に思わなくなったということでもある。それは、一面では真実である。しかし、勉強や努力を怠れば更に酷くなるということもまた真実である。

 学校は今、とても重要な岐路にさしかかっているというのが、友人と私の共通理解だった。そして、私たちは何をしなければならないのだろうか。特別なし得ることがあるとは思われない。ただ、できる子どもにはもっとできるように支援することだし、できない子どもは少しでもできるように支援する以外に方法はない。これはとても難しいことだと彼は言う。全ての子どもたちが救われると言うことはあり得ないかも知れないが、少なくとも社会が緩やかに、子どもたちを受け入れてくれることを祈るしかないのかも知れない。

 クラスの中に、「できる子」と「できない子」に二つの層ができると、学級経営が途端に難しくなる。一部の「できる子」や「できない子」は例外として存在しうるが、これが大きな集団として存在すると、ある意味で学級崩壊が起こりやすい。現在行われている一斉授業が成立しなくなってしまうのだ。志水さんは、関西のいくつかの学校を調査して、これを乗り越えていくために、学校はかなりの努力を必要としているが、要はいかに子どもたちの関係がうまくいって、できる子どもができない子どもたちを助けてあげられるような関係になるかどうがポイントのようなことを言っていたが、それは簡単ではない。最近のテレビの学園ドラマで、やっとこうした助け合いが見られるようになった。「女王の教室」ではかなり遠回りではあったが、同じような課題に向き合っていたと思う。

 都市部では、小学校によっては、半分以上が私立の中学校へ進学していくという。丁度、先ほどの「できる子」の層と「できない子」の層が、都市部では私立中学校と公立中学校へと分かれていくことになる。いわば、小学校時代の学力の2極化が、中学校では学校格差として現実化していくことになる。子どもたちの学力は、小学校では今のところ、学校よりも塾などを媒介として向上し、私立中学校に行って更に花開くというコースができつつある。これは、学校が今後「選択と競争」の時代になり、激しく揺れ動き始める先駆けのような気がする。来年4月から始められるという文部科学省の「学力調査」がこの動きを更に加速させることは確かだと思われる。そうなっていく家庭で、私たちには、どんなフォローができるのだろうか。

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