もう2週間ほど前になりますが、爽やかな秋晴れの日、鯖街道を通って若狭まで行ってきました。
あれ、若狭って前にも行ってなかったっけ?
はい、8月の終わりに同じルートを通ってお寺巡りをしたときの様子は9月中旬に投稿済みです。
この時、すっかり若狭が気に入り、再訪しました。
今回の目的のその1は、鯖街道の一番若狭寄りの宿場である熊川宿を歩くこと。
道の駅に車を止め、標識に従って宿場方向に向かいます。
まず出迎えてくれたのが・・・
日本のアザミ!
総苞に棘がなく、下向きに咲く姿はオハラメアザミでしょうか。
マムシグサの実が徐々に赤くなり始め。
こちらはノコンギク? ノギクということにしておきましょう。
こんな道草を愛でながら旧宿場町・熊川宿に入ります。
説明読めませんよね。
こちら、国の重要伝統的建造物保存地区として選定され、当時の街並みが保全されています。
また、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の一部として、
日本遺産にも認定されているそうです。
百聞は一見に如かず、どうぞご覧くださいませ。
若狭鯖街道 熊川宿散策の始まり始まり~
最初に歩いたのが上の看板にも書いてあった「上ノ町」。
熊川宿の街道は3つのエリアに分かれており、京都に近い約450mが上ノ町と呼ばれています。
(道の駅から近い場所になります)
道の駅側から上ノ町に入ると、まず現れるのが「熊川番所」。
番所の役人の人形が置かれ、かなり忠実に復元されているそうです。
そして、こちらが上ノ町の街並み。
流れている川は「前川」。
水の郷(さと)百選と平成の名水百選に選定されているそうです。
川が生活の一部であったことが分かります。
さらに歩くと、小さい川を渡って中ノ町に入ります。
「問屋など大型の商家が立ち並ぶ街並み」とのことですが、現在は両側に土産物屋などが並んでいます。
まるで映画のセットのようですが、どの家も生活の場になっています。
ここは宿場館。資料館になっており、御城印や武将印がこちらでいただけるようです。
今回はパス。
道のそこここに小さい花など。こちらはイモカタバミですね。
白石神社の鳥居が現れました。
この先に神社があるのかと思いくぐって進みました。
道の脇にはミズタビラコやオトギリソウ。
楽しみながら進みましたが・・・
ありゃ~白石神社に行くには、さらにかなりの石段を登らなければならないようです。
今回は諦め、元の街道に戻りました。
水辺に名残のアジサイ・・・
ほとんどドライフラワー状態でしたが、まだ綺麗に咲いている花も・・
この辺りでちょうど中ノ町の中間くらい。
あ、右奥に見えている鳥居は、松木神社の鳥居です。
紅葉の名所だそうですが、まだ時期が早すぎました・・・
ちょっと長くなったので、後半は明日に・・・
【撮影:2022/10中旬 福井県若狭町】
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国道沿いで、道の駅もあって、観光客には嬉しいところですね。
福島県の奥会津にある大内宿を思い出しました。よく似た雰囲気のところです。大内宿には何度か行ったことがあります。
かなり以前から、有名な観光地になっています。
街道町では道沿いに水路が整備されているのがいいですね。
熊川宿の建物は瓦葺きですが、何となく昔の面影が残っています。昔は恐らく藁葺きだったのでしょう。
すべての建物が現役だというのが素晴しいです。
おわら風の盆で有名な越中八尾の街並みにも似ていると思いました。
八尾の通りは石畳だったかもしれません。
熊川宿、一度自分で歩いてみたいと思いました。
おはようございます。
鯖街道熊川宿、行ってみたいところです。
琵琶湖一周を歩き終わって、次はどこを歩こうかとなった時、いの一番に候補に挙がったのが鯖街道でした。
かなりの山歩きになるので年寄りにはハードと言うことで却下、今の京都一周になった訳です。
もう少し若ければ、中山道、熊野街道、鯖街道と歩いていたかもしれません。(笑)
その頃から熊川宿は気になっていた場所です。
写真で見せていただいても、中山道の名だたる宿場に引けを取らない街並みのように感じます。
ぜひ行ってみたいと思います。
shuさん、fukurouさんとは、レベルの低いところに興味を持つ私です^^;
そんな若狭一日旅、
京都は、京都市内だけでなく、こんな海がある場所なのをあらためて感じます。
なつみかんさんが、また行きたくなる場所なのが伝わってきます。
オハラメアザミって言うんですね、
名前を知らないとアザミで全部見てしまう私です。
イモカタバミ、紫陽花、
夏から今までとは、花期が長い(@_@)
若狭が居心地が良いのかもですね^^
まだ頭がボーっとしています。
鯖街道の熊川宿に行って来られましたか。
オハラメアザミは下を向いていますね。
大原女って頭に薪を乗せて売り歩く女性だそうですが、下を向いては乗せられませんね。^^;
熊川宿の上ノに入ると番所が。
手形が要るのかな?
町は綺麗に整備されていますね。
昔の面影を残していますが、今も生活の場なのがいいですね。
川が生活の一部、なるほど、川に下りる階段があります。
綺麗な水ですね。
今は中ノ町の中心ですか。
続きを楽しみにしています。
今日は久し振りの宿場町-熊川宿の紀行ブログですね。
写真で見る熊川宿の街並みは、まるで映画のロケ地のような雰囲気です。
私も甲府在住の頃、岐阜県中津川市の「馬籠宿」に行ったことがあります。
それ時、中山道の木曽11宿を踏破しようと考えたことがあります。
でも、残念ながら2カ所のみで、実現できていません。
でも昔の街並みが残り、そこで生活も営まれている方も大変だと思います。
観光客に毎日、自分たちの生活の場を覗かれる日常も大変でしょうね。
私が逆の立場になったら、恐らく転居すると思います。(笑)
なつみかんさんの紀行ブログには、現地の遺跡はもちろん神社や寺院、
そして野草などが必ず登場します。今回もオハラアザミを始めたくさんの
野草が登場しました。でも、白石神社はパスしたようで残念です。
次回に期待したいと思います。
大内宿、名前だけは聞いたことがありますが、似た感じなのですね。
江戸時代は街道筋にこんな感じの宿場町がたくさんあったんでしょうね・・・
ほとんどは名残を残すのみですが、こちらは見事に当時の雰囲気を感じることができます。
おっしゃる通り昔は茅葺だったようですね。
古い町並みでありながら、移住者も柔軟に受け入れ、今の時代に適応されている町でもあるようです。
多くの旅人を受け入れてきた文化と暮らしが今も息づいているようで、また行きたいと思いました。
機会があればぜひ足をお運びくださいませ。
鯖街道、車でも結構かかるので、徒歩だったら厳しいでしょうね~
私がいつも通るのは、国道367号線から303号線を通るメインルートですが、これ以外に古いルートもあるようです。
府道のようなので、一度は通ってみたいですが、それこそ徒歩でしかとおれないほどの腐道というウワサもあるので、悩ましいです・・・
熊川宿、これほど充実した宿場とは思っていませんでした。
後からHPでみたら見逃したところが多数あり、城跡にも上っていないので、絶対再訪したいと思いました。
近くのダムにも行ってみたいな~
鯖街道、おっしゃる通り、若狭小浜の海の幸を京の都に運ぶルートでした。
冷蔵技術のない時代なので、塩で締めて運ぶしかなく、塩サバが名物になったそうです。
ちょうど、京都に着くころいい塩加減になったそうですよ。
高速なしで2時間くらいで行けるので、また行ってみたいと思います。
アザミ、日本のアザミ検索図鑑で探したら、似ているのはこれくらいしかないんです。
間違っている可能性も大です・・・
花ものんびり咲いているいい場所ですよ~
お疲れのところ、コメントいただきありがとうございます。
一日いらっしゃらないだけでも寂しかったですよ~
オハラメアザミかどうか自信はないのですが、大型で花が小さくて下を向いて咲いて、北陸から近畿の日本海側・・・
という特徴に当てはまるアザミはこれしかなかったので、一応オハラメアザミにしておきます(笑)
番所って交番みたいな場所なんでしょうか。
時代小説にはよく出てきますが、あまり分からずに読んでいました。
この町は、昔から暮らしている人だけではなく、積極的に移住者も受け入れているそうです。
なので、活気があるのですね。
川の水はとても綺麗です。
滋賀もそうですが、家の前に小川があって、そこで食器を洗ったり洗濯したりするのが昔は普通だったようですね。
明日は中ノ町の続きからです。
どうぞご覧くださいませ。
はい、熊川宿は江戸の宿場町の風情をたっぷり残しており、すぐにもロケに使えそうです。
店が開くか開かないうちについたのですが、結構散策の人がいました。
熊川宿のホームページ、帰ってからみたのですが、見所が一杯!
半分以上見逃しました。
白石神社の長い石段を上ると、城跡もあったようなので、次回行くときは、城跡、神社ともに登って、御朱印・御城印をもらってきたいと思います。
木曽の馬籠宿は有名ですね。
私は行ったことがないのですが、昔の風情がたっぷりと残っているところと聞いています。
踏破できなかったのは残念でしたね。
それにしても、昔の人は徒歩でこれらの宿場に泊まりながら、江戸と京・大阪を行き来していたのですから大した健脚ですね。
熊川宿も昔の面影をたっぷり残して、町おこし真っ最中のようです。
ただ、前の美山かやぶきの里もそうでしたが、自分が住むのはちょっと・・・ですね^^;
紀行ブログ、手抜きばかりで恐縮です。
読んでくださってありがとうございました!