長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『最後の決闘裁判』

2021-11-12 | 映画レビュー(さ)

 『最後の決闘裁判』は御年82歳、リドリー・スコットの巨匠の演出が堪能できる1本だ。一級のプロダクションデザインによって再現された城下町を活写するそれは絵画のように美しく、これぞ『グラディエーター』『キングダム・オブ・ヘブン』から続くリドリー史劇の醍醐味である。中でも軍馬が疾走し、蹄の音が内蔵を震わせる音響演出は劇場でこそ体感できるスペクタクルだ。

 ここには巨匠が熟練の技でフィルモグラフィをなぞろうとする惰性がない。14世紀フランス、騎士ジャン・ド・カルージュが妻マルグリットを寝取った従騎士ル・グリを告発し、神が裁定を下す決闘裁判に挑む。この史実を収めたエリック・ジェイガーの原作小説をマット・デイモン、ベン・アフレックが『グッド・ウィル・ハンティング』以来に共同で脚色し、演出にリドリーを指名したという。かつて決闘映画『デュエリスト』で監督デビューし、以後『エイリアン』『テルマ&ルイーズ』など強い女性を描いてきた巨匠に打って付けの題材であり、#Me too以後の時代へ呼応した同時代性がある。

 映画は事件のあらましをカルージュ、ル・グリ、そしてマルグリットの3者の視点から語り直していく。デイモン扮するカルージュは忠義に厚い豪傑。度重なる戦を経てついに騎士の称号を手にし、マルグリットを妻に娶る。しかし、戦友のル・グリが領主ピエール伯(軽薄さがハマるアフレック)に取り入った事から正当な恩賞を得ることができず、不満を募らせていく。
 方やル・グリは貧しい生まれながら武勇のみならず、知略を持ってのし上がってきた丈夫であり、その華が色事を知るピエール伯や世の女性を惹きつけた。そして腕は立っても知性に乏しいカルージュに苛立ちを覚え始めた彼は、マルグリットに好意を抱き、彼女もまた同じ気持ちであると信じて事に及ぶ。

 第3幕ではこれらの物語が全て覆される。カルージュは武骨ながら一途にマルグリットを愛した男ではなく、夜な夜な夫婦の床で妻を犯し続けた男だ。レイプの告発に怒り狂ったのはマルグリットを想っての事ではなく、所有物を傷つけられたプライド故に他ならない。おそらくこれまでのキャリアで最も知性のない男に扮したデイモンの巧演からは、この名優が新たなフェーズに入った事が伺える。

 そして横恋慕の末、マルグリットと欲望のままに結ばれたと信じているル・グリのそれはレイプに過ぎず、このグロテスクさこそアダム・ドライバーの真骨頂だ。デイモンとアフレックはこの第3幕の脚色に『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』『ある女流作家の罪と罰』の脚本家ニコール・ホロフセナーを招き、中世ただ一人の自由意志を持った女としてマルグリットを屹立させた。『キリング・イヴ』でも百面相を見せたジョディ・カマーにとって3者の主観を演じ分ける事など造作もなく、男たちの名誉と欲に翻弄されるカマーの抵抗は映画を力強く牽引した

 『プロミシング・ヤング・ウーマン』が過去の事件を描くことなく観客のモラルを揺さぶったのに対し、本作には2度レイプシーンが登場する。行為そのものを描写する事が果たして正しかったのかという批判もあるが、これが#Me too以後の男性作家の限界かもしれない。ハーベイ・ワインスタインの事件が明るみに出た当初、彼によって見出されたマット・デイモンとベン・アフレックにもどこまで実情を知っていたのか追及があったと記憶している。関与こそなかったもののアフレックはもちろん、デイモンにも素行や発言にやや難があった。本作はそんな男たちの内省であり、声を上げた女性たちへのリスペクトである。2人がフェミニストである巨匠スコットに本作を託した明晰さは今日のハリウッドが成し得る最良であり、今日時点の限界だろう。


『最後の決闘裁判』21・米
監督 リドリー・スコット
出演 マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマー、ベン・アフレック、ハリエット・ウォルター

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