本作のカンヌでの受賞を発端とした“ネタバレ”騒動を少しでも耳にしているなら、後は一切の情報を遮断してまずは劇場に足を運んでほしい。名手・坂元裕二がカンヌ映画祭脚本賞を受賞した本作は、3つの視点から核心部分の外縁を周到に描き出し、私達の生きる社会構造とそれを形成する私達の“無自覚さ”を浮き彫りにする。カンヌ映画祭コンペティション部門に選出されていることからもグローバルな訴求力を持った映画であることは明らかだが、パルムドール受賞作『万引き家族』が日本社会の不寛容さを描いていたように、『怪物』の目線もまずは日本を描写し、日本の観客に届けることにある。
とある田舎町。シングルマザーは1人息子が学校の教師から虐待を受けていると確信し、抗議に向かう。最近、孫を不慮の事故で亡くしたという校長は抜け殻のような状態で、謝罪の言葉はまるで壊れたロボットのようだ。校長は部下たちの指示を受けながら文章を棒読みする。坂元脚本に触発されてか、是枝は矢継ぎ早にディテールを積み重ね、相変わらず素晴らしいリアリズムの安藤サクラと、徹底的に演出意図を体現する田中裕子(これを怪演と評するのはあまりに稚拙で、名優の名優たる仕事ぶりである)を“坂元裕二”という1つのメソッドの中に共存させている。続く第2幕は坂元脚本の勝手を知った永山瑛太演じる教師の目線から物語が語り直され、やがて私達がいったい何を取り囲んでいるのか明らかとなっていく。脚本構造の巧みさはアスガー・ファルハディの映画を彷彿とさせ、キャンペーンが機能すればアカデミー賞ノミネートも十分に有り得るのではないか。
しかし、いくら日本が同性婚すら認めない周回遅れの国とはいえ、“社会的不平等に晒される可哀想な存在”という、2010年代後半以後避けられてきたナラティヴは図式的すぎる。劇中の学校組織に「社会が変わってしまう」と同性婚を忌避する政権与党の姿が投影されているのは明らかで、問題の本質から程遠い侃々諤々を繰り返し、「知らなくてゴメンね」と言う無様な大人たちは私達の姿でもある。是枝も坂元も本作を「特定の誰かではなく、何処かにいる子供たちに宛てた」という主旨の発言をしているが、ならば子どもたちのためにも批評で終わらず、その先に対して問いかけるポジティブな結末を用意できなかったのか。社会を構成し、少なくともマジョリティに属しながらあまりに無力な自分に終映後、暗澹たる気持ちを抱いた一方、この映画のストーリーテリングが大人の独善ではないのかという想いは日増しに強まるのである。
『怪物』23・日
監督 是枝裕和
出演 安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、田中裕子
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